教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

無料エロゲ「se・きらら」の謎

2010-02-11 00:11:48 | オタネタ全般


18禁のエロゲ 『se・きらら』 が3月に無料配布されるぞー!!
http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52198031.html

オフィシャルサイト
http://se-kirara.jp/index2.html



なんと、無料のエロゲが発売される事となった。
その名も「se・きらら」。


どーせタダで配れるくらいの安くあげたエロゲなんだろ・・・。

いやいや。
OPムービーは何とAICが作っている。
中身もフルボイスで作られている。
エロシーンは15種類あるらしい。
開発費と気合いの入れようはタダで配れるレベルのものではないのは明白だ。


どーせエロシーン無しで、エロシーン付きは有料なんだろ・・・。

いやいや。
無料版でもエロシーン付きだ。


どーせエロシーンは1シーンとか1人分とかで、フルセットにはなってないんだろ・・。

いやいや。
無料版でもエロシーンはフルについている。


じゃあ、有料版とは何が違うのか?

有料版はfigma(アクションフィギュア)つきだ。
とはいっても、有料版は2800円しかしない。
これはfigma1体分の価格に相当する。
つまり、エロゲ本体に関しては無料なのには違いはないわけだ。


ではなぜ無料にできるのか?

これには1つのカラクリがある。
このエロゲの版権元を見てみよう。

>コピーライト : se・きららプロジェクト / Maxfactory

とある。
Maxfactoryって知っているだろうか。
先のfigmaの開発元の会社なのだ。

市販されているfigmaの全ては ”ハルヒ” や “けいおん!” などの版権モノだ。
つまり、fimgaの製造コストにはロイヤリティーというコストが多額に乗っかっている。

製造元にとってもユーザーにとっても、これはしかたがない事だ。
我々は美少女フィギュアなら可愛かったら何でもいいから買うわけではない。
自分の恋した人のうつし身としてフィギュアを買うのだから。
だから、ロイヤリティーの必要のないオリジナルフィギュアがあったとしても、製造元にとってもユーザーにとってもそれは何のメリットにもなりはしない。
例え格安だったとしてもそれは同じことだ。

しかし!

美少女フィギュアの開発元がエロゲを作り、そのエロゲの美少女フィギュアを出したらどうなるだろうか。
もし巧くいったらの話になるが、坊主丸儲けとはまさにこのことだ!



・・・とはいっても大きな課題がある。

エロゲという商売は難しい。
エロゲは参入障壁が非常に低い。
零細企業でもカンタンに参入できる。
いきおい、市場は有象無象のエロゲでカンタンに溢れかえる。
おまけに今のご時世はPCに詳しくないシロウトでもカンタンにゲームをコピーできてしまう有様だ。
そんな中でも自社のエロゲの売り上げを一定数確保するのはかなり難しい。
だからエロゲメーカーの大半は悲惨な財務状態の中かろうじてやっていけているだけの状況から抜け出せないのだ。

そんな中、いまから初めてエロゲを作ろうとしたとして、はたしてビジネスとして巧くいくものができるだろうか?

これはかなり難しい。
何か特別な勝算があるのでないかぎり、やるべきではない。
少なくともわたしだったら、会社勤めをしながらオフの時間に同人ゲーを作るというレベルにとどめておいたほうが良いと進言する。

だが、エロゲで売り上げを確保しなくても良いとしたらどうなる?
エロゲの赤字を埋められるだけの他の利益が確保できるとしたらどうなる?

どうせ売れる見込みもたたず赤字になるんだったら、極端な話タダで配ってしまえば良い。
タダで配れば、ユーザーにそこそこ注目してもらえるはずだ。
だったら関連グッズもそこそこ売れるんじゃないだろうか。
その関連グッズの売り上げでエロゲの赤字をカバーすれば良いじゃないか!

Maxfactoryはそう考えた。

同じ台数のフィギュアがはけるなら、ロイヤリティーの購入費よりもエロゲの開発費のほうが安ければ勝てる。
エロゲの開発費が安ければ、フィギュアの台数はそこそこでも利益を確保できる。
ロイヤリティーが歩合制ならば、売れれば売れるほど自社製エロゲ関連グッズのほうが利益が膨らむ。

これは実験である。
エロゲ界、いや版権モノの商売にからむ全ての業界に関係ある実験である。

これが成功すれば美少女モノの業界はガラリと様変わりする事になるかもしれない。
ユーザーにとってはゲーム本体はタダで遊べ、それ以上のモノを求めるのであれば喜んで金を払い、フィギュア屋にとってはクソ高いうえに制限の窮屈な版権を買ってくるまでもなく自社でクローズしたビジネスを展開することができる。

その変革が何を意味するか。
そこまでは読みきれない。
しかし、今の世界とは大きく違うことだけはわかる。
そんな歴史の動くときにリアルタイムに居合わせる臨場感はたまらないものがあると思うのはわたしだけではないだろう。



追伸:

かつて我々は似たようなことを体験した。
ゲーム機本体は赤字でもいいから台数かせぐ事にだけに専念し、ゲームソフトハウスからのロイヤリティーで収益をかせぐ。
旧世代のゲハ戦争さながらだと思わないだろうか?