オケ合わせからの連続4日間
出演された皆様、本当にお疲れ様でした。
振り返れば
「子供を産んだらもうバリバリやっていくのは無理」
と思った12年前。
次のステージが『カルミナ ブラーナ』だと知り
引き戻された。
何よりも「この曲を歌いたい」という気持ちが強かったし
今まで歌って来て『カルミナ ブラーナ』に乗らずして
何を歌ったというのだと思った。
その時産んだ子は11歳(もうすぐ12歳)になりました。
そして・・・
再び人生のかなり苦しい場面でこの曲がやってきた。
長く歌っていれば、誰にも『節目の曲』というのが
出来てくるようですけど
アタシの場合はこの『カルミナ ブラーナ』だなって
思います。
「もう無理だ」と諦めそうになった時でも
この曲の譜を手にすると歌いたくて歌いたくて
しょーがない気持ちをかき立てられるからです。
偉大な作曲家というのは本当にすごいです。
アタシがこういう気持ちになる前にも
数え切れないほどの人々の心を動かし続けて来たでしょうし
アタシが灰になってしまったその後も
そんなふうに多くの人々に感動と影響を
与え続けて行くでしょうから。
自分の一度限りの人生の中で
めぐりあわせてもらえたことに感謝します。
さて、初日の本番には運命の女神が現れました。
人間サイズとは比べられないくらいすごい大きかったです。
客席上に透けてました(怖)
いつ?って冒頭のフレーズが再び出現するクライマックスの部分です。
あの鳥肌立つ歌がもっかいラスト部分に出て来るのは
非常に恐ろしいですよね・・・
演ってて恐ろしいので聞いてても恐ろしいと思います。
そこで急に現れました(泣)
手には泣き叫ぶ赤ちゃんを抱いていました。
「抱く」というと愛情がこもってしまうので
それよりは「持っている」という感覚でその手の中にいました。
赤ちゃんは・・すごい泣き方で・・
まるで発狂しているみたいでした。
歌がffからPPの“semper crescis aut decrescis,
vita detestabilis”という部分に入っても
そこを動かず、あのモナリザに似た
笑っているとも悲しんでいるとも怒っているとも
とれないような表情でじっとこちらを見ていました。
(顔はモナリザとは違います、でもあんな表情)
(あぁ、そうだ、ヨーロッパ系の顔をしていました)
“nunc obdurat et tunc curat ludo mentis aciem,
egestatem, potestatem dissolvit ut glaciem.”
時間的にそのあとくらいだったでしょうか、
「お前には止(と)められまい」と・・・
そう言いました。
低い声でした。
そしてその顔は圧力をかけるような笑みに変わり
泣き狂う赤ちゃんを手に、ゆっくりゆっくりと
客席の後の壁をすーっと透け抜けて
会場外へと消えていきました。
歌が再びf にまで音量を上げるその時には
もう居ませんでした。
女神はその言葉の中に2つの意味を語ったのだなと
感じました。
発狂してしまいそうな自分をおさえました。
重い話でしたが、今日の画像は
アタシの衣装ケース?です(笑)
移動のBagに入れる際、
いつもこうやって風呂敷に包んでいます(笑)
(実は歴史は古く、高校の頃も体操服はこんな風に
風呂敷に包んでいましたネ。笑)