南無煩悩大菩薩

今日是好日也

北叟笑み

2021-06-25 | 有屋無屋の遍路。

喜びと悲しみは互いに連続している。双子のようなものだ。人間万事塞翁が馬、禍福はあざなえる縄のごとし、だから、深く人生を知るものは喜んでも、多く喜ばない。悲しんでも、多く悲しまない。

故事にある、その昔、唐に北叟(ほくそう)という老人がいた。君に仕えて名利を貪るような心もなければ、私利を営んで財宝を蓄える思いもない。ただ、都の北に庵を結んで身を宿し、麻の衣を着て寒さをしのぎ、草を摘み実を拾って日また日を送った。

喜ぶべきことを聞いても少しく笑う。憂うべきことを聞いても少しく笑う。畢竟、人間の事は喜びも憂いも、久しいものではない。是非、善悪、すべて夢になってゆくという、無常の理を知っていたからである。俗に、少しく笑うことを「ほくそ笑み」というのはここから出た言葉だという。

2004年の9月15日から始めたこのブログの最初が猫の「寅」であった。

過日、寅をゴミ捨て場から拾ってきた娘に娘が出来、婆さんがその世話のため暫く家を空ける日の前日、寅は17年の生涯を終えた。

孝行猫である。喜び悲しみもさることながら私は静かにほくそ笑んだ。

ほくそ笑む、と、ほくそ笑み、は違うものだということにわたしはうすうす気づきつつあるような気がする。

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もののけ

2021-06-22 | 世界の写窓から

(photo/source)

英国の女性であったキーラ・ベルという人は、性別違和感に悩み、10代の時から二次性徴抑制剤や男性ホルモン剤の投与を受けた。そして20歳で乳房を切除した。

だがその後、ベルさんは自身がトランスジェンダー男性ではなく、レズビアン女性であることに気付いたのだという。

このように張りつめ研ぎ澄まされたテンションの時は、其のまえに「もののけ」ということを落ち着いて考えて見なければならない。

もののけ姫/米良美一/cover by maina

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三方よし

2021-06-18 | 閑話休題

(photo/source)

焼き物の恵比寿の像をみて、じいさんはこれは「えびす」だといい、ばあさんは「きびす」だといって喧嘩になった。

おたがいゆずらないので仕方なく和尚さんに決めてもらうことになったが、負けたくないので二人とも相手に知られないように内緒で和尚さんにお金を包んで頼んでおいた。

さて、和尚の所へ二人連れだって聞きに行くと、和尚はこう言ったという。

「これは、えびすでもきびすでもない。絵に描いたときはえびす、木で彫ったときはきびす、これは土で造ったのだからどびすだ」。

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わしゃしらん。

2021-06-13 | 野暮と粋

/2代目歌川豊国)

鼠小僧治郎吉親分は金の無心を受けると、いつも胡坐の股座から金をつかみ出して、「さあ、持ってけ」と言いながら後ろ向きで差し出し決して相手の顔を見ようともしなかったという。

子分どもはそれを不思議に思って「親分どうして金を貸すのにいつも後ろ向きなのはどうしてですかい」と聞いてみた。

「さればよ、人の身の上はあてにはならぬ。今日絹の着物を着ていても明日にゃ菰を着るようになるかもしれぬ。その時もし借り手の顔に見覚えがなければ返してくれとは言わずに済むし、借り手もまた心苦しい思いをせずに済むわけだ。それでわしは借り手の顔は見ないようにしておる」

と答えたそうだ。

私たちがよんどころなく借金したら通常、借りた自分よりも貸した人の方が記憶が良いものであって、ややもすればこれを恩に着せたり、まわりに吹聴したりするものであると思わなくてはならない。

また返すときには借主の催促を待たず借りる時の地蔵顔で返すのも大事である。またどうせ金を貸すのなら治郎吉の心をもってわが心とすれば、借主が返してくるときの閻魔顔もまた見なくてよくなるのである。

出典/酒井不二雄「動的人格の修養」より

ちなみに肉親の葬式も挙げられずにいる清貧の友人に、「かそうか?」と言ったら彼はこう答えた。

「いや、土葬だ」。

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無茶の説

2021-06-10 | 有屋無屋の遍路。

不顧が茶は無茶なり。有茶に対する無茶にはあらず。

然るに無茶ということは何ぞや。若し人無茶の佳境に入り給わば無茶はすなわち大道なり。

道に生死迷悟是非取捨の備えなし。備えなきの域に至らば無茶の道なり。備えなきを知って行うは無茶の徳なり。

されば貴きことも無茶の道より貴きはなく、美なることも無茶の徳より美なるはなし。

-誠拙禅師

知らずにあるがままのおこないが無茶である。生死迷悟是非取捨を知りつつおこなうのは、それはヤンチャであり、しまいにワヤクチャとなるのである。ということであろうか。

ああしてそうしてこうすれば こうなることとはしりつつも ああしてそうしてこうなった。

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達磨と遊女

2021-06-08 | 意匠芸術美術音楽

/勝川春好「達磨と遊女図」)

九年面壁なんのその

わたしゃ十年うきつとめ

煩悩菩提のふた筋に

わたしゃ誠のひと筋を

加えてみ筋で日を暮らし

縁が切れたら成仏と

客の相手に飲むアミダ

済度なさるとなさらぬは

それはあなたのご了見

ほかに余念はないわいなあ。

-穆山禅師

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当てが外れる

2021-06-05 | 世界の写窓から

(gif/source)

ある人が貧者と富者の違いを云うに、

「余計なものだ使ってしまえ」というのと「余計なものだ蓄えておこう」というところにある。

また貧者は収入を予想して浪費し、富者は支出を予想して蓄えるから、貧者は常に当てが外れて困り、富者もまた当てが外れて儲かるのである。

ということだ。

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visible and invisible そのなにか

2021-06-03 | 世界の写窓から

(photo/source)

透明なガラス越しならばあちらの世界はありありと見える。

しかしその裏になにか一貼りすればそれは鏡になり、こちらの世界をありありと映すようになる。

見える(在る)、ということと、見えない(在らざる)、ということが薄い裏張り一つで逆転する。

ガラスまたは硝子(しょうし)という語は、物質のある状態を指す場合と特定の物質の種類を指す場合があるようだ。

Alessandro Marcello - Adagio

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