南無煩悩大菩薩

今日是好日也

New Year's Eve

2017-12-31 | 意匠芸術美術音楽
(gif/source)

SUSAN BOYLE - Auld lang syne
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張公喫酒、李公酔ということ莫れ

2017-12-29 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(画 山口晃/引用

八っつぁんや、今年も暮れだねぇ。

そうよ、熊さんは来年の目標はもう立てたかい?

来年なんてけち臭いことはよしにして一生の目標を立てようじゃないか。

そりゃあ豪勢だねえ、それでこそ生きるための尻が落ち着くってもんよ。ところでどんな目標を立てるつもりだい?

そうさなぁ・・・よし、決めた!

ほぅ!どう決めた。

この人生一生かけて死ぬまで、生きてやる。
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地獄からの使者

2017-12-28 | 世界の写窓から
(photo/source)

地獄は空っぽだ。

なぜなら悪魔の全てはこの世にいる。

-シェイクスピア
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骨折り損の草臥れ儲け

2017-12-27 | 世界の写窓から
(gif/source)

どうする?どうなる?

どうにもならんでしょう。

どうにもならないものを追いかけると「草臥れた」というだけで「儲けた」ような錯覚に陥ったりします。
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Oh my love

2017-12-22 | 意匠芸術美術音楽
(photo/source)

Oh my love Jacky Terrasson & Cécile McLorin Salvant


-ウミガメは母親の顔を知らない-

ウミガメは、母親と会うことなく(もちろん父親も)一生を終えます。
母ウミガメは、産卵のために海から浜にやってきます。そして、砂浜に浅いあなをほり、時間をかけて100個くらいの卵を産み落とすのです。産卵を終えた母親は、さっさと海へ引き返し、そのままもどってきません。
ウミガメの子どもたちは、自力で卵の殻をやぶって生まれ、これまた自力で海まではいっていきます。当然、そこに母親のすがたはありません。
その後も、彼らは人生のほとんどの時間をひとりで過ごします。
生まれながらに孤独に強いのでしょうか、ウミガメが二匹以上で連れ立っているところは、ほとんど目撃されることがありません。

-タコには友達がいない-

タコはひとりでくらし、いつも海底の岩の下にあるすき間にひそんでいます。
ちょうどよく転がっているつぼとかビンとかを見つけた場合、其の中に入り込んで家にすることも。唯一外に出るのは、えものを狩るときだけです。

-引用/ブルック・パーカー「せつない動物図鑑」より-
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風・鈴・音

2017-12-17 | 有屋無屋の遍路。
(photo/source)

風鈴は、風を音に変換する。

風ありても鈴なくば音かなわず。鈴ありても風なくば音またなし。

その音欲すればその風その鈴あい和すほかこれもまたなし。

変換は理(ことわり)であって、目的でなく結果でもない。

風も鈴も音も。

Rain & Koshi Bells Meditation Relax Sounds - Sleep Music
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なにもしないことをする

2017-12-16 | 世界の写窓から
(cartoon/Calvin and Hobbes)

何かをして誰かを助けると喜ばれ感謝される。が、何もしないことが助けになったとしてもなにもない。

この「なにもない」つまり、

いらんことをしない。ほうがより援けとしては有難い。
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「モウヤメタ」について一考

2017-12-15 | 古今北東西南の切抜
(書/白隠禅師)

人間は喜寿ともなれば、死の足音にいわば「冷静な哀感」とでもいうべき思いをもって耳傾ける以外に生きようがない。 
老人は思う、現代文明が没落して何の不思議があろうか、日本国家が滅亡して驚くいわれがどこにあろうか、それどころかお前の人生には何の意義もなかったと世間から烙印を押されたとて抗弁の必要があろうか、それらに抗い続けるのはもう無駄だという時期が必ずやってくるもののようであり、そんなとき「モウヤメタ」との呟きが喉の奥からおのずと出てくるのである。

つまり死は束の間の生の最後のほんの一環にすぎぬと心の底から思わないわけにはいかないのである。

残るのは(事故死を別とすると)耄碌と病気にどう対処するかということだけになる。その平凡事が実は難しい選択問題なのである。
この男、「自分が家族や友人や社会に何の貢献もできないのに、彼らや彼女らから世話を受けることばかり多き」という状態に入るのでは、死ぬ甲斐も生きた甲斐もなくなると考えてきた。また病院での死における「安楽死」とか「尊厳死」とかの要求も莫迦げたものに聞こえた。

一般に死にゆく者もその周囲にいる者も人に死に安楽を覚えるはずがない。また、そういう心理計算は「苦痛の減少が安楽だ」ということで、そんなのは安直かつ平板な功利主義だ。

尊厳死とやらについては、人間の尊厳の最後の一片をも奪いとるような延命法は言語道断とはいうものの、その人格の全体として、尊厳に値するはずもない人間なる者に、尊厳のほんの一片(植物人間化の阻止など)を与えたとて、その死の全体が急に尊厳味を帯びるわけもないのである。

-切抜/西部邁「ファシスタたらんとした者」より-
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それは構造体からナノ

2017-12-14 | 古今北東西南の切抜
(picture/source)

画像は、DNAナノ構造体の大規模な自己集合体に再現されたダ・ヴィンチの名作、モナ・リザの微笑みである。(切抜/ネイチャー

ショーペン・ハウアーのこんな言葉を思い出した。

「我々の人生の場景は粗いモザイクの絵に似ている。この絵を美しいと見るためには、それから遠く離れている必要がある。間近にいてはそれは何の印象も与えない」
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空裏一片石

2017-12-09 | 意匠芸術美術音楽
(Rene Magritte/The Arrow of Zenon)

ここにいう空とは、色と対置される空ではない。「色即是空」とは本来、色を空と同一視することではなく、空から色を作るということでもない。空は空以外のなにものでもない。空に岩が一つ浮かぶ(空裏一片石)。

色即是空(色は即ち是れ空なり)は般若心経の一句である。「色」とはサンスクリット語の漢訳で、「いろ・かたちあるもの」つまり物質的存在の意である。

もし「即是」を一致・同一の意味にとれば、色を「強いて」空と「為す」ことになる。あるいはもともと同一のものを色と空とに分離したことになる。

しかし「即是」を同一ではなく、同等と解釈すれば、

差異を維持したまま互いに他を反映し合うような二者関係=双対性となる。

空は空であり、空はけっして色ではないが、色と対をなすことによって相互に他を示しあう。

空間におかれた一個の石が空間を際立たせ、空間が石の存在を強調するのと同様だ。

-切抜/齋藤嘉文「跳訳道元」より-
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山彦のシンフォニー、海彦喜ぶ

2017-12-07 | 意匠芸術美術音楽
(gif/source

Ezio Bosso - Symphony No. 2, Under Trees' Voices - Between Man and Trees - HD
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マイグラスを求めて

2017-12-06 | 酔唄抄。
(photo/original unknown)

「今」をグッとにぎりたい。

さっきまでの過去に呑んだいきさつは忘れ、これから何を呑もうか何処に行こうか、そんな決め事の未来は頭から払う。

「今」を呑み「今」に惚れる。

しっくりとした「今」を実感できるような。

そういう生き方をしたいとつくづく思う。
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アリスとクイーンの禅問答

2017-12-04 | 古今北東西南の切抜
(picture/source)

「たし算ができるの?」白のクイーンがたずねられました。「一たす一たす一たす一たす一たす一たす一たす一たす一たす一は、なに?」

「わかりません」とアリス。「数えられませんでした。」

「たし算ができないのよ、この子。」赤のクイーンが口をはさまれました。「引き算はできる? 八引く九は?」

「八引く九なんて、できません。」アリスはすぐに答えました。「でも・・」

「引き算もできないわ」と白のクイーン。「割り算はできる? パンをナイフで割ります、答えは?」

「ええっと・・」アリスは答え始めましたが、白のクイーンが代わりにお答えになってしまいました。「バターつきパンですよ、もちろん。別の引き算をしてごらんなさい。イヌから骨を引きます。答えは?」

アリスは考えました。「骨を取ってしまったら、もちろん骨は残らないし・・イヌも残らない。かみつきに来るだろうから・・そしたら、わたしも残らない!」

「では、なにも残らないということ?」と赤のクイーン。

「それが答えだと思います。」

「また、まちがい」と赤のクイーン。「イヌのおちつきが残ります。」

「でも、どうして・・」

「だって、いいですか!」と赤のクイーン「イヌはおちつきをなくすでしょ?」

「たぶん。」アリスは慎重に答えました。

「じゃあ、犬がいなくなれば、おちつきが残るでしょ!」クイーンは勝ちほこってさけばれました。

アリスはできるだけ重々しく言いました。「おちつきは、イヌとは別に、なくなっているんじゃないかしら。」

でも、

なんておそろしく意味のないことをわたしたちは話しているのかしら!と思わずにはいられませんでした。

-切抜/ルイス・キャロル(河合祥一郎訳「鏡の国のアリス」より-
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La Stravaganza

2017-12-03 | 意匠芸術美術音楽
(sculpture/david)

Antonio Vivaldi La Stravaganza


このタイトルの「ストラヴァガンツァ」には「奇妙・狂態」などの意味があるようだ。

ダビデが本当はかっこよくなくてもたぶん歴史へのロマンは変わらない。
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厭わず染まず、はちすばの露

2017-12-02 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(gif/source)

かかりくる難波の事にふるるとも、ふるるままなる、蓮葉の露。  -盤珪禅師-
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