南無煩悩大菩薩

今日是好日也

狛犬。

2007-01-31 | つれづれの風景。


なんとも愛嬌のある狛犬であります。

焼物の狛犬で、ところどころ痛んでおりますが、これもまぁご愛嬌。

人の手で創ったものが、時間と風雪で意図せぬ姿で違った楽しみに転変する。

楽しみとは、そんなものでございましょうや。

酒と肴。

2007-01-30 | なんとなく落書。


肴があっても、酒がなければいけない。

酒があっても、友するものがなければいけない。

もちろん。魚は新鮮でなければいけない。


美味しいものは、美味しく頂かなければいけない。

美味しいものは、まず友ありて、酒ありて、肴あり。



もちろん。酒は呑める内に呑んでおかなければいけない。

活きの良い、友と肴があれば、これにましたる酒は無い。


旨いものには、油が乗っている。


茶の湯にも通じようか、酒の肴。

けっこうなお手前。趣向を凝らす、酒肴の妙。



定め。

2007-01-27 | なんとなく落書。

定。

在止至善
知止後有定
定後能静


大学の道。一節。


小さくまとまるより、大きく学ぼう。


己の定むるまで、歩みつ悩みつ学びつ吐つつ。

善に至り。知を止め。静かに定むること叶うまで。


己なりにせよ。


老虎健在。

2007-01-24 | なんとなく落書。

「あたしゃね。頭を下げるのが大嫌ぇなんですよ。」

稀代の噺家。故古今亭志ん生師匠。


やぶれかぶれの豪放磊落、大酒呑みで極貧なその生活ぶりにも、妻のおりんさんが、語った言葉がすばらしい。

「この人はね。こんなんですけど、噺のことだけは熱心なんですよ。噺家が噺に熱心なら、何とかなるだろうと思ってね。ついてきました。」

なんともよろしいじゃあありませんか。

夫が夫なら妻も妻。

熱心になれもしないことにうつつをぬかし、お茶を濁して自分を慰めるような未練は一切無し。

生きざまで、スカッ!っとさせてくれる人はそうざらにはおりゃしません。


あばら家に掛かっていた額には、「老虎健在」


はい。小生の心にもしっかりと掛かったのでありました。


頓着。

2007-01-23 | なんとなく落書。

つりがねも、ちょうちんよりは軽ろかろと。


普通は、釣鐘が提灯よりもずっと重いですわな。

バランスが取れんから提灯でも一緒に担いだろ。てなことですわ。

まあ。あんまり頓着せんとやりましょか。

ぽ~ん。と突き抜けるには無頓着も大事なことであります。



言葉遊びで行きますと、成就しない恋愛とかけます。

その心は。

提灯と釣鐘だけに。

「かたおもい。」

片重い。の段でございますな。


ま。頓着ということで。



眼福。

2007-01-22 | 日日是好日。

慈しみを持って視てみれば、この世界は、無量に水を湛える海の如く、福寿に満ちている。

何事もものの見方でございましょう。

できうるならば、眼福に与りたいものでございます。


慈眼視衆生 福寿海無量。


せつが無い。

2007-01-20 | なんとなく落書。

逢いたさ見たさ欲しさに心を忘れ。


山東京伝さんに学ぶのは、せつないのは、せつがなくなってしまうからでありましょうなぁ。



素肌に片袖 いなせに羽織り。

洗い髪の 鬢もうるわし湯上り吐粋。

忘られぬ 身は想い出しもせぬほどに。

あらぬこととは 思いきや。

はにかむだけなら 害は無い。

想うているぞよ せつもなく。

ほんに難儀な せつがある。

思うているぞへ わしゃほんに。



男にとっての女。
女にとっての男。
なぞと言うものは、「せつ」というもののメタファー(暗喩)のようでもあります。


関東では粋(いき)
関西では粋(すい)

と申すものでございましょうか。

「せつ」の持ちようもそれぞれのようでございます。


ああ。せつが無い。


この世あの世。

2007-01-19 | 日日是好日。

夢を見た。

そりゃ夢や。

喧嘩して傷ついた。

そりゃ夢や。

嬉しくて弾けた。

そりゃ夢や。

情けのうて泣きべそかいた。

そりゃ夢や。

得意げに勝ち誇った。

そりゃ夢や。

生まれてきた。

そりゃ夢や。

死んだ。

そりゃ夢や。

夢も見なかった。

そりゃ夢や。



この世も夢。
あの世も夢。


たくさんの美人に惚れられた。

そりゃ気のせいや。


・・・。


夢を見る。

夢見し夢と夢見ぬ夢を見る。

夢とこそ知れ。

花も実も。

2007-01-18 | 日日是好日。

花も実もある人生だ。


結実。
花が無用になり、有用が生まれて実が結ばれる。
その実も有用たる花を咲かすために、やがてはからっぽの無用と化す。

有用と無用が存在してこその、花も実もある人生だ。


コップはそれ自体では、無用だ。

水を入れる。と言う行為があってこそ有用となる。

水の入ったコップは、ジュースを入れるためには無用の存在だ。

実の詰まったコップは、もうコップとしての役割を果せない。

無用の空のコップが、有用となる。

無。こそが、有。を生み出せる。


無用の人生を嘆くことは無い。
有用の人生を誇ることは無い。

花も実もあるのが人生だ。

ありがたく頂戴する。
ありがたく献上する。


花も実も。


仁王か。

2007-01-17 | 有屋無屋の遍路。

仁王ぞ。

仁王様は番人。

邪悪な者や行いの悪い者を蹴散らし捕まえる。

不埒なものが通りかかると一度に見破ってしまう。


「おい!そこのおまえ。くせものであろう」

「・・・におうか?」

「ん。におうぞ。お前は臭い奴」

さすが、仁王。


・・・。

てなもんや参度傘。



近頃はノロウィルスなるものが流行しています。

昔は大体おなかを壊すものは、におうと臭いので予め対処できましたが、この頃はウィルスでございますので、におうでも手に負えない妙なことがおこるようであります。

物騒な出来事も、ウィルス性になったのやも知れませぬなあ。

このような未知の脅威と言うものは、何かの祟りであることも多いものでございますから、わたしはてっきり、化けて出る栗鼠(リス)の祟りがこの、ノロウィルス事件だと・・・。

・・・「呪(のろ)う栗鼠」

・・・。

どちらさまも、お気をつけ為されませ。



やはり臭まするか?仁王様。

「ん。おまえのような、すかしっ屁噺が、一番臭い」
「噺と言うのは綺麗に落とすものよ。」
「もちょっと、精神を洗浄せよ」


しかし、くさいにおいの噺だけに。

・・・なかなか「落ちません」

・・・。

大無量。

2007-01-13 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

命。

「いのち」と「めい」と読む。

いのちながらえて、めい倦むことなく。
めい死ねども、いのち死なず。


皮膚のメタボリズム、新陳代謝は、約30日。命(めい)を全うすると皮膚は死ぬ。
しかし、人の命(いのち)は、それによってこそ、永らえる。
一番長いといわれる肝臓細胞でも、7年で全ては死に絶え、生まれ変わる。


老子は、功遂げ身退くは、天の道なり。と言った。
命(めい)を終えたならば、すっきりと死ぬることが、命(いのち)を保つことなのだ。


生活にしても、仕事にしても、人付き合いにしても、関わりあうという事は、そこにはなんらかの命(めい)が生まれる。

可不可成功失敗是非善悪関係なく、必ずや命(めい)果つる時は来る。

そのときは、すっきりと死ぬるべし。止まる心を捨つるべし。

命脈を保つの一番の方法である。
と、大無量寿経では述べているようだ。



今、死んだ。
どこにもいかぬ、ここにおる。
たずねはするな。ものはいわぬぞ。


つまり。西洋風に言うと、千の風に乗るのである。

「私のお墓の前で、泣かないで下さい。
 もう。私はここに、眠ってなんかいません。
 千の風になって、この広い空を吹き抜けています。」

というような歌詞であったろうか。


きっぱりとした、清涼感が残る。

生と死は一本の線である。


このような観点にたちえた人に、
「人生を束縛するようなものは、もはや何も無い」

である。


彫る。

2007-01-12 | 日日是好日。

刻む。


読み書き算盤は、生きていく上で大事な行為だ。

文字を読み、人を読み、世の中を読む。
文字を書き、夢を書き、人生をえがき、恥もかく。
そろばんをはじいて、足るを知り、過不足を算段する。

彫る。刻む。掘る。ということも、面白い。

浮き彫り。掘り下げ。刻み込む。彫るのである。

人の営為には、読み書き算盤が大事なように、彫る事も大事なようだ。

それなりの何かが、浮かび上がる。

頭ではなく、肉体で彫り刻む。

だから面白い。


う~ん。なるほど。

素人はつい、えぐれてしまうのであります。

目を読んで、頭に書いて、力加減を算用するのが、これがなかなか。


よい木目に、よい刀で、彫ってみたくなった。

材料は、力量を補ってくれるだろうか。


なんにしても、ほり進めるということの難儀さを思う次第であります。



えべっさん。⑤

2007-01-11 | つれづれの風景。

やって来ましたでぇ。

禿もおります。えべっさん。

年の初めの景気づけ。今宮戎は十日戎。

宵戎に、残り福。

よろしいなぁ。この賑やかさ。


すんませんけど。わしも混ぜておくんなさいよ。

禿来たりなば、福遠うからじ。

てな風によろしゅうたのんます。