海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

大江・岩波沖縄戦裁判について

2011-05-01 23:52:54 | 「集団自決」(強制集団死)

 以下の文章は4月27日付琉球新報に掲載されたものです。

 大江・岩波沖縄戦裁判の傍聴を重ねて印象に残った場面がいくつかある。中でも忘れられないのが、2007年11月9日に行われた原告・梅澤裕氏の本人尋問の一場面である。大江・岩波側代理人の近藤卓史弁護士が〈『沖縄ノート』を読んだのはいつか?〉と尋ねた。梅澤氏は〈去年読んだ〉と答えた。
 一瞬、呆気にとられたような雰囲気が法廷
内に流れた。『沖縄ノート』の記述が名誉を毀損しているとして、梅澤氏らが大江氏と岩波書店を訴えたのが2005年の8月。その時点で『沖縄ノート』を読んでいなかったことが明らかになったのだった。
 『沖縄ノート』が世に出たのは1970年9月である。出版されてから35年もたち、しかも読んだこともない本を訴える。原告・梅澤氏のこの奇妙な行動は、大江・岩波沖縄戦裁判が、ある政治的たくらみを持って起こされたものだということを表していた。
 この裁判が起こされた背景については、原告の梅澤氏・赤松秀一氏の代理人であった徳永信一弁護士が、雑誌『正論』2006年9月号で赤裸々につづっている。それによれば、〈当初、裁判には消極的だった〉梅澤氏を説得したのは、元陸軍大佐の山本明氏、のちに原告側代理人となる松本藤一弁護士であった。徳永弁護士はこう記している。
 〈やがて梅澤氏の提訴の意向が松本弁護士に伝えられ、松本弁護士とともに靖國応援団を組織して闘ってきた稲田朋美弁護士、大村昌史弁護士、そしてわたしを中心に弁護団が結成され、裁判の準備がはじまった。提訴の約一年前のことだった〉(前掲『正論』137ページ)。
 2004年から「靖國応援団」を自称する弁護士グループによって裁判の準備が進められる一方で、2005年になると藤岡信勝氏が代表を務める自由主義史観研究会が「沖縄プロジェクト」を立ち上げる。藤岡氏らは、教科書から「集団自決」の日本軍による強制という記述を削除させる運動をとりくむと宣言し、同時に大江・岩波沖縄戦裁判の原告支援活動を中心となって行っていく。
 また、雑誌『SAPIO』04年8/25・9/8合併号から漫画家・小林よしのり氏の「新ゴーマニズム宣言 沖縄論」の連載も始まっている。小林氏は前述の徳永弁護士と旧知の間柄であり、同弁護士と連携をとりつつ「ゴーマニズム宣言」ほかで原告側支援を行っていった。
 大江・岩波沖縄戦裁判はその後、2008年度から使われる高校教科書の検定に影響を及ぼした。文部科学省は原告側の主張を一方的に取り上げ、「集団自決」に軍の強制もあったという記述内容の書き直しを教科書会社に命じたのだが、日本史・沖縄戦を担当した教科書調査官が「新しい歴史教科書を作る会」と関係する伊藤隆氏(東大名誉教授)と共同研究をしていた事実が明らかとなった。
 このような一連の動きを見るとき、大江・岩波沖縄戦裁判が、「集団自決」の軍による命令・強制という史実の歪曲と、教科書の記述削除を目的として周到に準備され、大掛かりに仕掛けられたものであることが分かる。
 1990年代なかばに自由主義史観研究会や新しい歴史教科書を作る会が結成され、南京大虐殺や「従軍慰安婦」など日本軍の蛮行を示す記述を教科書から削除する運動が展開されてきた。その一定の成果にふまえ、2000年代なかばになって、日本軍による「集団自決」の強制という記述を標的に運動が展開され始めたのであった。
 大江・岩波沖縄戦裁判はその運動の足掛かりとされた。右派グループからすればノーベル賞作家を訴えることで社会の注目を集め、岩波書店や沖縄を巻き込むことで、日本軍の名誉回復のみならず、戦後民主主義や沖縄戦、基地問題も争点化できたのだ。
 03年6月に有事関連三法が成立し、04年末には新防衛計画大綱で島嶼防衛や沖縄の自衛隊強化が打ち出される。06年9月には右派グループが待望していた安倍晋三内閣が成立した。
 北朝鮮や中国の脅威を煽りながら米軍再編と自衛隊強化が進められる時代背景のもとで、大江・岩波沖縄戦裁判は、元軍人の名誉、表現・出版の自由、沖縄戦の史実の究明という問題を超える政治的性格を負わされていたのである。
 そのことを考えるなら、今回の最高裁の決定で、裁判そのものは終わったとしても、裁判と同時に焦点化した問題は終わっていないことを、私たちは認識する必要がある。教書検定意見撤回はいまだ実現されていない。沖縄戦の歴史歪曲は執拗に行われ、島嶼防衛をうたって先島地域への自衛隊配備が進められようとしている。
 東日本大震災を契機にナショナリズムが煽られるなか、現在進行形の問題として、私たちはそれらに対処しなければならない。


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