ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

いまさらレヴィ=ストロースを読む

2010-05-08 | 読書
ポスト構造主義(ポストモダニズム)という言葉を聞き始めて、もはや30年以上が過ぎたように思う。
ポスト構造主義とはいったい何か、と思うこともなく、そもそも「構造主義」を
きちんと理解することもなく、気になりながらも忙しさに紛れて30年が過ぎてい
った。そういうわけで、遅すぎる読書になってしまったが、あらためて構造主義
の泰斗レヴィ=ストロースの古典「悲しき熱帯」を読んだ。続いて、レヴィ=ストロースの構造主義の紹介と解題を行った渡辺公三「闘うレヴィ=ストロース」を読んだ。

 翻訳が著者と同じ文化人類学の研究者によって書かれているので、なかなか難
解な文章を四苦八苦しながら読んだ。しかし、これはかならずしも翻訳者だけの
せいでもないらしい。解説書を読むと、レヴィ=ストロースの文章は、揶揄や諧
謔が至る所にあふれて、なかなか読みにくいらしい。それでもなんとか読了する
ことができた。

 読んだ後の感想は、なぜもっと早く読まなかったのだろうという悔しさだった。レヴィ=ストロースは昨年101歳で死亡した。彼自身の主要な仕事(南米インディオの社会構造の研究)は第二次大戦の前に行われたものであった。文化人類学もしくは哲学をもっと勉強していれば、必ず読んだはずの本だったからだ。物事の発展を歴史的に見るエンゲルスたちの史的弁証法にどっぷりと浸かっていた私としては、民族の社会構造の比較を発展段階の一部に規定することを否定する構造主義的な見方はこれまで持つことがなかった。彼の構造主義は、サルトルらの実存主義を批判したものでもあるが、実存主義そのものの理解があまりない私には、よくわからない。でも構造主義的な考え方に少しは理解ができたように思う。

 もっと若いときに構造主義を理解していれば、私の考え方にどのような変化が起こったか、今となっては考えようもないが、それでも史的弁証法的な考え方を止めることはなかったように思う。そもそも両者は本当に対立するものなのだろうか。レヴィ=ストロースが批判したのは、西欧中心主義的な分化のとらえ方であって、それが構造主義という形で出てきたのだろうと思う。

 レヴィ=ストロースの後半生の仕事「神話論理」をあらためて読んでみたいと思うのだが、巨匠が人生の半分をかけて書いた大部の本を読み通せるかどうか、不安でもある。きっと知的にも体力的にも負けてしまうのだろうが、それでも読んでみたいと思う。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿