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サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

秋祭りと亡くなった人たち

2010-10-13 | 日記風
今日は松尾芭蕉忌。そして忘れられない浅沼稲二郎さんの亡くなった日だ。それから、私の二度目の父親が死んだ日。10月12日は、いろいろと忘れられない日なのだ。親父は、病床にあって二年目の秋を迎えていた。まもなく秋祭りだな、と楽しみにしていた。私の家は八幡宮の参詣路に面していたので、病気の父も窓からお祭りを見ることができたのだ。そして明日から秋の大祭が始まるという日の朝、息を引き取った。

 私がまだ子どもだった頃だった。そして、ヌマさんこと浅沼稲二郎社会党書記長が右翼の愛国党の青年に演説会場で刺されて亡くなった。ちょうど私はテレビで立会演説会の様子を実況中継で見ていた。演説を始めてすぐに、左の舞台脇からあがってきた若い男がヌマさんの体にぶつかっていった。北海道の炭坑で鍛えたあの太いヌマさんの体がぐらっと揺れて、倒れ込んでいった。すべては一瞬のことだった。その出来事がようやく育ち始めた戦後の民主主義の挫折を意味するものになるとは、その時は分からなかった。しかし、聡明だった私の少し上の友人は、そのことを敏感に感じ取った。その一週間後、彼はこの世をはかなんで、自ら毒を飲んだ。若すぎる人の死だった。

 あの年は、そういえば身近な人の死も複数あった。まさに激動の時代だったのだろう。200万人が参加した戦後の日本でもっとも大きかったゼネストが行われ、日本中の鉄道が止まり、商店も店を閉めた。それだけの民衆の抗議にもかかわらず、日米安保条約は自然承認された。あの時以来、日本はアメリカに従属してきた。その時の首相の孫があの元首相の安倍晋三。アメリカさまさまの日本人だ。あいかわらずヌマさんを殺した右翼青年と同じような言説を垂れ流している。

 明日から故郷では祭りが始まるのだろうか。故郷を出てから故郷の祭りを見たことがない。親父の顔はもうすっかり忘れたが、祭りの景色は今でも目に浮かぶ。きっと現物を見たら幻滅するかもしれない。変わっていないはずはないだろう。こんなに世の中が変わったのに。祭りは続いているのだろうか。故郷にも祭りを見に、帰ってみたくなった。

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