夢のあと

釣りには夢があります。夢を釣っていると言っても過言ではありません。よって、ここに掲載する総ては僕の夢のあとです。

行政の手口

2016年10月02日 10時22分43秒 | 社会
オリンピックにしろ豊洲にしろ上尾の図書館のしろ、実際にかかる費用が当初の金額からはかけ離れた金額に跳ね上がっています。それも我々の感覚をはるかに超えたあり得ないほどに跳ね上がります。そこには、その事業関係者の私利私欲を満たすための罠が最初から仕組まれているのです。

 行政の手口はこうです。まずは市民、都道府県民、そして国民(以下『民』という)の反対が出ないように『超低価格で出来るんですよ』と偽って議会で企画を通してしまいます。ここまではほとんどの場合民の目には触れません。そしてその企画はどんどん進んで行きます。そしてそれを進めるうちにどんどん金額を上げていきます。議員は自分のお金ではないですし、高額になるほどお礼(要は「賄賂」)の額も大きくなるからです。勿論こういうことは水面下で行われる事なので民の目には触れません。議員もそんな事は最初から解っていることなので何も感じません。ってか、すでにそれが当たり前となっています。それどころが自分たちの小遣いが増えるのですからそれが良い事と思っている議員もいるようです。で、民が気が付く頃には莫大な予算になっているのです。
こんな構造で予算は民の感覚からは遠く離れた価格に落ち着くのです。
 この方法がいいのは責任の所在がないところです。何せ決めたのは議会ですから。そしてその議員たちは我々、つまりは民が選んだ人たちだからです。ですから、予算が大幅にオーバーした事に苦情を言うと必ず彼らは「議会が決めたことですから今更撤回できない」と言います。これは彼らにとって撤回は都合が悪い事であることに加え、合わせて「おまえらが選んだ人たちが決めているんだ。つまりはお前らが決めたことだ。それをお前らが撤回しろっていうのはおかしいだろ」ってことです。つまりは民に責任転嫁してしまうのです。ですから警察が動いて犯罪が表面化しない限りは責任は民。・・・そう我々だと言っているのです。

 この手口が平気でまかり通ってしまっている現在、我々の税金は湯水のように扱われ、議員や関係職員、そしてそれを請け負った企業の手に渡って行くのです。
 企画段階の予算と実際にかかる費用とが大きくかけ離れるのはこういう理由からです。彼ら(議員や関係職員)にしてみれば責任を負わずして自由に税金を私物化できる方法、つまり、美味しいところはしっかり頂いて、責任を問われると民に押し付けられる素晴らしいやり方なのです。

このように、当初の金額からはかけ離れた金額に跳ね上がるのは決して材料費の高騰や人件費の増加などではありません。最初から仕組まれている罠なのです。

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