荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

高知へ行く。

2017年02月15日 | 散文
帰省したものの殆ど家に篭りきりです。
寒い事が第一の理由ですが、家にほぼ寝たきり老人が居るといつ何時介助が必要になるか分からないので、傍を離れられません。
父が施設に戻ったタイミングで、暖かい所へ行こうと思い立ちました。
昨年故郷で軽四輪車を購入したので、一挙に行動範囲が拡がりました。
近くで暖かい所と言えば高知です。
高知自動車道を行きます。
ところが、四国山脈を抜けるトンネル辺りから視界が悪くなって、雪が降ってきました。


フロントガラスにも着氷します。


途中で通行止めになったらどうしようと思いながら、ノロノロと走ります。


最後のトンネルを出た途端、場面が一変しました。

陽光溢れる景色です。

高知って凄い!
「南国土佐」を実感します。


曇り空ですが、暖かい安芸市に着きました。


駐車場からグランドへの上り坂は、数々のメモリアルの写真展のようです。






ファンの寄せ書きもあります。


気持ちが逸ります。


この話、続きます。

追伸
この日高知自動車道で大事故があって、サッカー女子の主力選手だった人が亡くなったそうです。お悔やみ申し上げます。
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大使館を訪ねてー43(トーゴ、スーダン)

2017年02月15日 | 散文
「トーゴ共和国大使館」

前回報告の「ケニア共和国大使館」の在る目黒区八雲の住宅街にトーゴ大使館も在ります。


ここもちょっと大きい民家の外観です。

西アフリカに位置する共和制国家です。
東にベナン、北にブルキナファソ、西にガーナと国境を接し、南は大西洋のギニア湾に面しており、首都はロメです。

南部は高温多湿の熱帯性気候で、北部はサバナ気候で南部より雨量が少なく、湿度も低いです。


15世紀末にポルトガル人が渡来し、16世紀以降は奴隷海岸の一部として知られることになり、19世紀まで奴隷の供給地とされていました。


1884年にドイツの探検家グスタフ・ナハティガルによって海岸地域が保護下におかれ、1885年トーゴ全域がドイツ領トーゴランドと宣言されました。
第一次世界大戦にドイツが敗戦すると、イギリスとフランスによる委任統治とされ、フランスは東トーゴランドを統治し、国際連合成立後、信託統治として継続されました。

1957年に西部のイギリス領トーゴランド(西トーゴランド)はのちのガーナとなる英領ゴールド・コーストと併合され、1956年に、自治権を獲得し、フランス領地域が1960年4月27日独立しました。
(ウィキペディアより)

改めて見ても、近隣に多くある、ちょっと大きい民家です。



「スーダン共和国大使館」

目黒区八雲の散策が続いています。
立派な邸宅が在りました。


大きな駐車場の脇に国旗が立てられていて、大使館だと気づきました。


しっかりした玄関横に表札があります。

北アフリカに位置する国家で、首都はハルツームです。
エジプト、リビア、チャド、中央アフリカ、エチオピア、エリトリア、南スーダンと国境を接し、東は紅海に面しています。

アルジェリア、コンゴ民主共和国に次いでアフリカ大陸で3位の面積を擁しており、2011年7月に南スーダン共和国が分離独立する前は、面積2,505,813km²とアフリカ大陸最大の国土を有する国家でした。

「スーダーン」はアラビア語で「黒い人」を意味する言葉を原義とし、元来は北アフリカのアラブ人たちからみて南に住む黒人の居住地域、すなわち西アフリカから東アフリカに至るまでのサハラ砂漠以南の広い地域を指す地域名称で、国名としてのスーダンと区別するため「歴史的スーダン」ともいいます。

国家としてのスーダンは、地域名としての「スーダン」の東部を占め、歴史的には東スーダーンと呼ばれた地域に当たります。
南スーダンの独立後、スーダン共和国を指して「北スーダン」と呼ばれることは稀ですが、二国間関係を表す際に「南北スーダン」とする表現はよく見られます。
(ウィキペディアより)
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