銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

井上ひさしは、鎌倉駅のホームに在った喫茶店をつぶしたと思われる。△

2013-12-14 01:22:11 | 政治

 これは、最初の6千字は、昔に初稿を、書いたもので、今、これを公開する必然性はそれほど、高くないのです。

 でも、15日の、夜の10時から、井上ひさしに、関するドラマがNHKのBSプレミアムで、また放映されましたね。だから、ここで、これをさらす事も、きっかけは与えられたと思われます。

副題0、『鎌倉駅ホームには、スタンド型コーフィーショップがあったのだが』

副題1、『鎌倉で、井上ひさしを見かけたときに、背がとても、低い事に気がついた』

副題2、『鎌倉駅・ホーム上の喫茶店で、私は井上ひさしに、自著を献呈したいと申し出でた』

副題3、『その日の井上ひさしの沈黙を、分析すれば、いろいろ判かる点があり』

副題4、『彼は、隠れヒールを使っていた。その上、喫茶店は撤去された。暗い性格である事が、はっきりと判ってくる』

副題5、『前田夫人、清子さんの、嬌声(大声)について、ここで再び、語らないといけない』

副題6、『平木さんのお子さん方が、周南事件(平成の八墓村)が、起きた際に、どういう風に使役されたかが、問題だ』

副題7、『心理的機序の研究は、たまらない面白さを、私にもたらす』

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副題0、『鎌倉駅ホームには、スタンド型コーフィーショップがあったのだが』

 これは、大変小さなエピソードです。ただし、井上ひさしの残虐性と、それから、この世が、国際的軍産共同体に支配をされて居る事、および、井上ひさしが、そのエージェントとして、各種の権勢を振るっている事を、証明する、一挿話となっていると、確信しています。

 JR東日本は、キオスクと言うものを経営していたのですが、それが、NEWDAYと改名されて大きく、かつにぎやかに、展開しています。しかし、鎌倉駅だけは、そこの駅舎が、加藤さんと言う元の持ち主のものだったのか、それとも、他の事情があったのか?

 良くわかりませんが、加藤売店と言う名前で、独立して経営をされているそうです。2つの、売店をホーム上に展開していますが、もう、ひとつ、喫茶店を経営していた筈です。それは、ホーム上の階段の幅いっぱいの狭いもので、いすが5つ程度、並んでいるスタンド型の喫茶店でした。

 グリーン車が止まる部分の前にあるそこでは、平山郁夫さんご夫妻は、良く入っておられました。平山さんのご自宅から鎌倉駅までは、歩いて、25分ぐらいです。車の少ない裏道を歩いて、駅までいらっしゃったと、私は推察しています。それで、駅に着いたら、「一息入れましょうね」と言う事で、そのスタンドに寄られたのでしょう。そのコーフィースタンドが、消えています。たぶんですが、私が下のエピソードをメルマガで書いたからです。それも、井上ひさしが、私の文章を常に検討して、そこに現れているものを、次から次へと破壊していくという現象の人とです。

 でも、井上ひさし自身が、そんなことを加藤商店に言うはずもありません。そん菜、直接行動をとると、残虐で、残酷な性格である裏側がいつの間にか世間一般に、わかってしまいますから。で、駅長から、それを言い出させたと思います。その駅長の前に、どういう人間がいたかと言うと、JR東日本の偉い人でしょう。

 JR東日本は、大変ないじめを私に対して行ってきました。特に、遅延事故と言うのが、私が乗る電車に多発しています。それも、井上ひさしの発案だったと思われます。と言うのも彼が、自分で、自分を死んだことに決定をした、2010年の4月9日の、6日前の、3日(土)も、北鎌倉駅を出発した電車が、車内放送もないままに、一時間半も、大船駅の手前で、停車してしまい、降りてバスを使うとか、タクシーを使うということもできず、本当に往生をしたことがあるのです。

 それは、画廊側から提案された、個展の飾り付けの日であって、自宅で、主人にあれこれ、予定を言っていますので、そこで、一時間半遅刻させるのが、意味のあるいじめとなるのです。自分の個展の飾り付けに遅刻するなんて、画廊に対して失礼でしょう。

 その個展って、一から十まで、だましと、諜略といじめに満ちたものでした。そんなことは始まる前から判っていましたが、彼ら、のやり口があまりにも汚いので、怒った私が、井上ひさしと、二人羽織と言う形で、常に、協力し合っている、伊藤玄二郎の会社(鎌倉春秋社)を訪問し、女性社員に、「私は、今個展を開いていますので、来て下さいね」と、頼みに行ったのです。

 これは、一般の方には、判らないかも知れない、高度な心理作戦であって、『あなた方がやっていることの裏は、すべて判っていますよ』と言いに行ったと、同じ事なのです。で、井上ひさしは、震え上がったのだと思います。私が直後に、それを、ブログに書くと推察して。

 私が自分の個展のはがきを持って行ったのが、2010年4月の8日(木)です。で、彼は、9日(金)に自分を死んだ事にして、土曜日の、10日にそれをメディアに発表をしました。この死がとても、へんてこりんなものであることは次報で、説明します。

 さて、副題0に、書いている上の一行までは、現在2013年12月16日時点での、観測を踏まえて書いているのですが、下の副題1~4は、2005年か、2006年の私の感想を述べている部分です。

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副題1、『鎌倉で、井上ひさしを見かけた時に、背がとても、低い事に気がついた』

  私は鎌倉市内で、二度井上ひさしを見かけています。ぼっちゃんと一緒に、駅前ロータリーを歩いているところを見ました。5歳ぐらいのころと、中学生ぐらいの時と、二度です。それは無論相手とは何の交流もない出会いでしたが、『背が低い人なんだなあ』という印象を持ちました。それを、実は自分のエッセイ集の中に書いて出版をしています。

  それは、無論悪口として書いたのではなくて、階級の問題として書いた文章の中の一節として出て来るのです。内容は、・・・・・・現代日本には、こと上げはされていないものの、実際には、階級が存在する。最も高い階級は、メディアで活躍している人たちで、内橋克人さんを見かけて、背が高いなあと感じたり、井上ひさしさんを見かけて、『意外と背が低いなあ』と感じたり・・・・・というわけで、身近に階級の上の存在を見ることが多い鎌倉で、階級の低い方の存在は・・・・・云々と、続く文脈の中で、書いているわけです。

  それ(=タイトルが『れすとらん・ろしなんて』と言いますが、私の二冊目のエッセイ集です)が、ひどく好評でした。しかも、私はまったくの素人で、出版社にも、印刷会社にも、勤務した事が無くて、かつ、美大で、デザインの講習を受けた事も無いのに、二冊も、本を、一人で、工業生産的に、きちんと作り上げ、しかも中身が評判がいいのですから、ちょっと、天狗にはなっていましたね。

  ただし、とてもかわいい天狗です。だって、一冊目は400部、2冊目は、600部刷っただけですよ。しかも流通をさせず、かつ売りません。ただ、献呈するだけです。

 でもね、、献呈の相手がエリートです。日本社会の知的エリート群像です。そういう人たちから、面白かったという感想のお手紙をもらっているのですから、『あたるを幸い、なぎ倒す』と言うほど、輝いていた時期でした。

 その上、パリや、ニューヨークで、三ヶ月間、しかも、三回も、版画制作をやって帰って来たほとぼりがまだ冷めない時期でしたから、本当に輝いていたのです。セーターと、スニーカーだけで、冬でも東京を歩いていて、西麻布で、ブティックの経営者から、「あなた、外人?」と、言われたりしていました。それは、夜だったので、はっきり見えなかったからだとも思いますが、山手線の車内で、煌々たる電灯の下でも、若い日本人女性から、「あなた、フランス人ですか?」と言われるほど、意気軒昂で、おしゃれだった時代です。知らない男性でも、銀座で、会話を交わしたアーチストからは、「オーラがある」とも言われていました。

 あのね、残間里江子さんとか、烏丸せつこさんとか、非有名人だけれど、いい女だと私が感じた、酒井忠康氏夫人みたいな、水も滴るいい女と言うのとは、違うのですよ。だけど、60代の女性としては、びっくりするほど若々しく(欧米では、30代だと思われていました)、かつ、生活臭がまったく無いのだそうです。だから、風のように飛び回っていた時期でした。言ってみればフェアリーみたいにね。

 顔は美形ではないのですよ。特にお化粧は一切しません。だけど、全体像として、なにか、際立ったものを持っていたと思われる時期です。

  で、井上ひさしを鎌倉駅のホームで見かけて、彼が、喫茶店に入ったのをも見かけた時には迷わず後を追いかけて、彼の隣に座りました。

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 副題2、『鎌倉駅・ホーム上の喫茶店で、私は井上ひさしに、自著を献呈したいと申し出でた』

   彼はコーフィーか何かを、注文した後だったと思います。ただし、私は何も注文をしませんでした。だって、目的が井上ひさしと、ちょっくら話してみるというだけだったからです。長話をするつもりは毛頭ありませんでした。

  当時(2004年か5年ごろ)の井上ひさしは、日本ペンクラブの会長であり、直木賞の審査員であって、表向きの世界でも、飛ぶ鳥を落とす勢いを持つというか、頂点に立っていた頃だと思います。しかも、そのころから、7、8年たった今の私なら、『彼は、その頃は、すでに、エージェントとして、この日本を支配するアイデアを、提供していた』と、推察され、そうであったら、表側からも、裏側からも、日本を支配していたわけで、『天皇陛下より、俺は偉いんだ』とでもいうような強烈な自負を抱いていたとも思われるのです。

  また、ゆり夫人に対しては、「あなたは大切な同士です。あなたに隠し事は何もいたしません。だけど、僕は仕事上、女優と付き合う必要があり、よい仕事をさせるためには、篭絡して、自家薬籠中のものにする必要があるときもあります。(だから、ベッドインする時もあります) だけど、それはあくまでも、仕事上の必要性ですから、何も疑わないで下さいね」と、話しかけたりしているでしょう。そして、ゆり夫人は、「もちろんです」と答えたでしょう。そして、NHKテレビなどにも頻繁に出演していて、美しい女性キャスターや女性アナウンサーにも、ちやほやされながら囲まれていた時期です。

  わが世の春とはこの事であり、平の清盛を地で行く心境だったでしょう。一方の私ですが、有名度という意味では、まったく劣ります。

 だが、私は具体的な知人友人をたくさん持っていました。そのころでは、お互いに知遇があり、仲良しだと思っている相手が、2000人はいたと思います。いわゆるリア充の典型だったのです。で、むしろお金にはこだわらない時期でした。で、私は、バックパックにスニーカー、ブラウスに、カーディガンという服装で、有名人・井上ひさしの左側、15センチぐらい離れたところにすわり、「本を自分で作りました。差し上げたいのですが」と、申し出でました。

  私は6冊の本を作り、すべて、非常に面白いと、読んだ人に言ってもらいましたが、そのとき、井上ひさしに差し出した本には、彼に関しては、たった一行ほど「井上ひさしは背が低い」とだけ書いてあったわけです。とんでもない申し出でしたね。今、思い出してもおかしいです。笑い転げちゃいます。

  でもね、ありていに言って、その時に、私がとんでもない申し出でをしたわけでもないのですよ。だって、有名人って、無名の人を軽蔑しまくるのが普通です。だから、もらっても読まない筈です。特に、彼の場合はそうでしょう。それが判っていて、あげても読むはずがないと思っていて、あげたいと申し出でたわけでした。ただ、装丁が珍しくて、美つくし目、だったので、それをサラッとでいいから、見てもらいたい希望はありましたけれど。

  その一冊の、デザイン的なねらい目は、ピンクのトレーシングペーパーで、本が覆われている事と、見返しが、さらに濃いピンク(紅梅色)のフランス製の紙・マーメイドでできている事でした。全体像は、一見すると豪華でもなんでもないのですが、トレーシングペーパーをカットするのは大変だそうで、こういう本は市販本には見当たりません。それに、見返しに、それほど、高価な紙を使っている本も市販本にはありません。その二つの間に、ピンク系統のグラデーションが出現して、そこが、美しいのです。ここらあたりが、本職がアーチストである私の、面目が躍如たるところです。しかし、国会図書館では、そのピンクのトレーシングペーパーははがして、保存されているでしょう。残念ですが・・・・・

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副題3、『その日の井上ひさしの沈黙を、分析すれば、いろいろわかる点があり』

 最初の私の発言はスタイルは敬語です。で、すぐ、「はい、わかりました」といってもらえるものだと思いました。というのも共産党シンパの彼は、大衆は大切にするはずで、私もその大衆の一人ですからね。粗末にされるはずはないと、信じていました。後は、「ありがとうございます」といって受け取るはずで、そうなったら「中身はたいしたことはないのですが、デザインだけ見ていただきたくて」といって帰えるつもりでした。

 しかし、もしですが、ほかの人が言ってくれたように「デザインはすばらしいですね」とでも、いってもらえれば、「ええ、それはそうなのですが、一部に問題があります」と言って件の頁を開き、「実は文脈上必要だったので、井上さんが背が低いという一行を入れてあります。ごめんなさい」と謝罪をするつもりでした。

 しかし、上の想像はことごとく外れて、彼は単に、沈黙をしたままだったのです。これには私も真剣に考え込みました。『あれ、彼はすでに、この本の事を知っているのかしら?』と、思い始めます。彼と、関係がある人には、すでに、三人の相手に渡してありました。阿刀田高さん、安西篤子さん、伊藤玄二郎です。前の二人は実物を知っていて、紳士であり、淑女でありますから面倒な事を起こす人たちではなくて、問題は伊藤玄二郎でした。

 その沈黙は、彼が伊藤玄二郎から告げ口を聞いていて、すでに怒っているという事を知らしめました。びっくりしました。器が小さいので。

 だけど、どうにかして、ここを、すり抜けなければなりません。でね、右手で彼の左肩をぽんとたたいて、「要らないわよね」と快活に言って、そこを逃げ去りました。御大とか、巨匠と呼ばれている人に対してため口を利いて、しかもからかうように、「要らないわよね」と言ったわけですが、私は何も後悔していませんよ。というのもこの時すでに、彼に苦しめられている人が大勢いる事に気がついていたからです。

 遅筆と喧伝をされている脚本に苦しめられている人、直木賞を取れるの取れないのというポイントで、苦しめられている人、そして、極めつけは、わなにはめられて、彼より先に、不倫を犯した事となり、無一文で追い出された前夫人、好子さんです。好子さんこそ、一緒にいたころ、よい作品が量産された糟糠の妻といってよい功績者だったのに、ゆり夫人のブランド力に引かれて、そちらと、ほとんど内々のお約束ができた上で、謀られて捨てられたのでした。

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副題4、『彼は、隠れヒールを使っていた。その上、喫茶店は撤去された。暗い性格である事が、はっきりとわかってくる』

  その後、鎌倉駅のホームで、対面型で、彼と会ったことがあるのです。瞬間的に、いやそうな顔をして、きびすを返して去っていきました。不思議でした。本当に異常なスピードで、私を見かけたとたんに、いやな顔をして、逐電したのですから。上に書いた喫茶店は、ホームの上ですから狭くて、カウンターしか無いので、二人とも、マスター(女性)の方を向いているわけですから、お互いの顔は見ていません。また、一分程度しか私はそこには居ませんでした。

  ですから、二回目として、ホーム上で5mもの距離で対面的に、出会っただけで、きびすを返して逃げるとは変でした。その時に、『あ、井上ひさしは、非常に深く、私の事を知っている』と感じました。それが、その後、事実を勘案して行って、更なる確信へとつながって行き、今では、私が書くものを毎日、逐一検討をしていて、そこから、私をいじめる諜略行為を、日夜案出していると、確信するようになって来ています。

  そして、顔を見ただけで、逃げて行ったわけですから、どれほど、臆病な人間であるかを、私に知らしめました。とても、単純で、かつ臆病な人間です。だから、彼発案で、水ぶっ掛け事件も起きただろうし、平木さんのキャッチボール事件(後述)も起きただろうと、最初数年は考えていました。ところが、私は、最近では、安野、前田両家も、エージェントクラスに、格上げされているかもしれないと思うようになり、この自宅近辺の、雪ノ下で起きることに関しては、井上ひさしの発案ばかりではないと、思い始めています。ただし、今もって、生きていて、日本全国的に展開する、嘘ニュース(大相撲壊滅作戦等)には、彼は、ひどく重い役割を果たしているでしょう。そして、その見返り報酬として、NHKが常に、彼の露出を繰り返し、彼が、大衆から忘れ去られるのを防いでいます。

  今から、もう一回昔に戻れば、そのきびすを返して逃げていった日に、そのときに彼は、明らかに、前よりも10センチ以上、背が高くなっていました。隠れヒールを着用していたのです。

 で、 『何だ。やはり、あの本の事は伝わっていたのですね。伊藤玄二郎とは、ひどく仲がよいのでしょう』と、思い至ります。ただし、これは、7年前のその時であって、今では、『伊藤玄二郎から伝わるのでは無くて、彼のパソコン内には、いまだ公開されていない文章も含めて、私のパソコン画面が、そっくりそのまま、浮かぶ様になっていて、本を作り上げる前に、すべては、判明していたのだ』と、思っています。

  その上驚いた事に、その喫茶店が撤去されたのです。それが、いつだったか、鎌倉駅のホームでは前の方を使う事を習慣としている私には、はっきりしませんが、原初の撤去要請が井上ひさしから出されたことは確かです。JR東日本に、それを伝えたのが誰かはわかりませんけれど。

  以降、私の文章の中に出て来るものが撤去されるたびに、影にいる井上ひさしのことを感じるようになります。八幡宮境内の、美術館の庭にある、珍しいマメ科の大木、アメリカキササゲが、伐採をされたのもそのひとつですが、ひどくしつこくて、かつ、強烈な悪意に満ちて、次から次へとエッセイの中に登場するものを抹殺していくのです。その、発案者は、すべて彼だと推察しています。死んだ事にしていますが、無論、今は、まだ生きています。

  マイクロソフト社の、XPが、2014年の4月9日にサービス停止になりますが、それも、彼が死んだことに、した、設定日ですね。おちょくりきっています。井上ひさしは、自分では、頭がいいつもりになっていると思いますが、こういう事が傍証となって、彼が、どんなに、あくどい諜略行為の発案者であるかが、次から次へと、私側に、判明して来るのです。さすがに、今のところでは、言明ができませんが、この文章

・・・・・(これは、周南事件に関する何らかの文章の後ろに引っ付いて書いたのが初稿なので、こういう風な、文章になっています。ただし、この文章を生かすために、日付をどんどん新しくして行っていますので、いつ、最初に書いたのかが、今では、判りません)・・・・・

 の初稿の、最後で、周南事件の発案者が、彼である事を匂わせているのも、彼に関する、観察と、検証を常に行わされている私ならでの、推論であります。

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 ここから先は、完璧に、2013年の今の時点での、分析で行っていく文章です。

副題5、『前田夫人、清子さんの、嬌声(大声)について、ここで再び、語らないといけない』

 ここで、平木さんと言う名前を出しても一般の方は、チンぷん、かんぷんだと思います。だけど、前田祝一氏(元、駒澤大学の教授にして、奥さんが、國學院大學の講師であり、共産党員だと思われる人物、私の土地を事実上、盗んだという結果になっている夫婦)から、『あんたを刑事訴訟にかける』などと言うひどい、恫喝を受けていますし、その前から、似たような脅かしや、嫌がらせは何度も、受けているので、この文章を、すべて、将来は、法的に使うつもりなので、すべて、実名で書かせていただいているわけですが、

 平木さんと言うのは、我が家からは、20m奥に住んでいる若い夫婦です。奥様は、私好みの上品な美形で、ご主人は、血行のよい肌をした、運動を好むタイプですが、職業は学校の先生ではないかと、推察がされます。高校か、大学か、それとも、違う形の学校かは判明しないものの、夏休みがある様に見えるので、そうだと感じています。

 これから先に名前を出す、栄光学園の先生だったりしたら、お笑い種ですが・・・・・

 ともかく、お子様方が大変かわいいです。大切に育てられています。テレビは見せていないそうです。だけど、良く、野遊びをしています。私も、男の子の方は、横須賀に住んでいた頃、吉井の田んぼへ、ザリガニ取りに、行っていたので、そういう基礎は大切だと感じているほうです。ともかく、ほほえましくて、前田夫妻や、安野夫妻に、たぶらかされているところさえ無ければ、何も問題がないのですが、お子さん方を使って、私へのスナイパーとして、仕立て上げられているので、とうとう、今回、その実名を挙げる事となりました。

 特に、この2013年の12月6日(金)に、山の下で、大原光孝さんと、お隣の奥さんが、意味ありげな立ち話をしていて、しかも、声を潜めていて、私が、すぐそば、4mの近くになるまで、それに気がつかなかったほどの、意味ありげな、風情だった事で、すべてが統合されて、思い出され、したがって、平木さんについても、とうとうここで、語るべきだと思い始めたわけです。

 お隣の奥さんは、前田夫妻、および、安野夫妻に、たぶらかされきっていて、しかも、上手に(と、ご本人は思っているらしいが、すべての裏側は、私には、見えておりますよ)振舞って、お隣としての、共同関係は維持したままに、彼らのお役に立っている存在です。

 前田氏が、「あんたを刑事訴訟にかけてやる」と恫喝をかけてきた日も、すぐそばに居て、証言者となっていますし、・・・・・ただし、本当の訴訟が起きた時に、彼女がどういう証言をするかは、判りませんが・・・・・

 ありと、あらゆる場合に、じくじくとして、やんわりと、いじめて来る存在です。頭はいい人です。東大卒だと思われます。だから、却って、かれらにいい様に利用をされる。

 ところで、その前田氏の恫喝が、彼らの思っているほどの、効果を挙げなかったわけで、反対に、彼らの弱みになってしまいました。それは、私が、このブログで、すぐ、その詳細を書いたからですが・・・・・

 で、困った彼らは、すぐ、次の策謀を考え出しました。それが、周南事件だと、私は思っています。この際の彼らと言う部分に、私はエージェントたち、井上ひさしやら、伊藤玄二郎を含めるのですが、最近になって、非常に驚いたことがありました。それは、前田夫妻や、安野夫妻も、すでに、エージェントの高さに、上り詰めているのではないかと言う推察です。

それは、 

 を書いた途端に、顕著に現れました。その副題5が、フォントの色を、10%ぐらいに薄くされて、ほとんど読めませんね。そこに、書いたことこそ、前田夫妻や、安野夫妻が、すでに、エージェント化していて、いろいろな、諜略行為のアイデアまで、出せる立場であるという可能性を書いているのです。

 それが、薄くなっていて、世間の人が読めないという形なのは、私の推察が、本当なのかもしれません。

 ところで、平成の八墓村事件は、7月21日の参議院選の開票日に決行をされています。それも、私は、この事件が、諜略行為であると見るゆえんのひとつですが、もっとも、変だと思ったのは、ご近所の動きなのです。23日の火曜日には、けたたましい・うるささ・だったのです。

 この・うるささ・ですが、前田夫人・清子さんと言うのが声が大きくてね。早稲田悠季さんと言う当時は、市会議員で、今は、県会議員になった人が、我が家を訪ねて来た日に、我が家の下で、「浅野さーん、大丈夫よー」と、大声を上げたりした女性なのです。

 この「浅野さーん、大丈夫よー」は、浅野さんと言うところのお嬢さんの携帯を利用して、タイミングを計って、安野夫妻が、そこの家のベランダから、私の頭に水をぶっ掛けようとしたのですね。その件について、いろいろ、文章を書いていますが、それを読むと『浅野家って、本当に馬鹿だなあ』と誰でも思ってしまいます。だから、早稲田悠季さんを利用して、浅野家の名誉挽回を図ろうとしたのですが、早稲田さんも馬鹿ではないから、脅かすような文言は一切なくて、私は話を聞いていても、前田夫人、清子さんが叫ぶように、『浅野さんが、大丈夫だ』とは、ぜんぜん思いませんでした。

 ただ、最近、は、浅野さんの名前を伏せています。それは、お嬢さんが昔みたいに、純真にかわいい形に変化して来たからです。・・・・・浅野家については、まだ、まだ、書き足りませんが、いずれにしても、・・・・・たとえ、純真にお嬢さんが変化して来ても・・・・、大原さんが、この2013年12月6日に意味ありげな行動を取る限り、浅野家の名前を伏せる気持ちはうせました。すべては、元の木阿弥ですね。かれは、本当にしょうがない、ちゃら男さんです。

 ともかく、私の様なインテリに、具体的な、攻撃を仕掛けるという事自体が、間違っているのに、いつまでたっても、その本質に、気がつかず、やりたい放題にやってくださいます。だから、モノを書く種が尽きなくて、かえって助かっているほどです。常に新しい項目が出来しますので。

 ところで、前田夫人清子さんは、鶴岡八幡宮様のご推薦かどうかは知りませんが、・・・・・いや、たぶん、そうだと思う。・・・・・國學院大學の講師にしてもらっていました。それなのに、それに感謝して身を清めるという事をしないで、やりたい放題の意地悪をし続けているから、鶴岡八幡宮の大銀杏が倒壊しましたね。無論、彼女が、100%の原因を担っているわけではないでしょう。30%ぐらいです。

 だが、彼女がやった事を、逐一、一箇所に集めたら、本当にすごい女性だとわかって来ます。で、私は何度も、彼女の声は、雌鳥時を告げて、国滅ぶの典型だと書いています。で、昔はメルマガで、非公開だったのですが、その頃から、すぐ、前田家にもそれが伝ったらしくて、少し、静かになりました。その方がいいと思います。と言うのも、我が家の土地が、他人に無許可で、コンクリート打ちをされて、事実上使えない・・・・・(だから、時には盗まれたといっている)・・・・・事の主因は、前田夫人の嬌声に怒った藤本夫人が、前田家を困らせるために、道路は幅が、3m必要なのだと、主張し始めた事から起こっているからです。

 前田家と、安野家の間は、事実上、道幅が、1mしかありません。これは、中古の家を買ってこの山へ入って来た前田家の前の住人が、違法な建築をたてているのですが、前田夫人があれほど、きゃあ、きゃあ、うるさい人でなかったら、藤本夫人が前田夫人に対する・・・・こらし目(=制裁)・・・を行う必要も無いからです。なお、藤本夫人は、駅近くの実家の跡地(鳩ノ巣屋敷と呼ばれる有名な洋館)へ、新しい家を建てて、我が家の北側の対面からは、すでに、引越しをしてしまっておられるし、しかも、老人ホームに入居中だとも噂では、聞いていますが・・・・・これは、30年間にわたる物語なので、人員も入れ替わるのは、ご容赦くださいませ。井上ひさし達から「嘘を書いている」と、責められると困りますので、しっかりと、ここで、明記しておきます。

 ともかく、静かになって来たのです。それは、いい事だと思います。だが、時々、彼らが再び、うわーんという感じで、大騒ぎをする事があるのです。そういう時には、裏に、必ず、諜略行為が隠されています。それは、30年間、ここに住んでいるので、すぐ判かります。

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副題6、『平木さんのお子さん方が、周南事件(=平成の八墓村)が起きた際に、どういう風に使役されたかが、問題だ』

 上で言っている様に、この山は、私が引っ越してきた当時は、すさまじくも、うるさいところでした。特に午後、はかったように、安野夫人が自宅前で、井戸端会議を開くので、それが、うるさいのです。はた迷惑極まりないもので、もっとも、近い場所に住んでいる藤本夫人が、戦端を開いたのも良くわかります。前田夫人の話している事は、窓を閉めていても、逐一内容が判るほどでした。

 それで、私は『安野夫人が、実母ではない』とわかったほどです。三人も子供の居る母が、これほどの、はた迷惑な事をする筈もないので、『ああ、不倫の略奪婚なのだなあ。勝気な人なので、前の奥さんからご主人を奪っただけではまだ、足りず、近隣で、一番の主婦となりたいのですね』と、引越し後、2週間以内には、判ったほど、ひどいものでした。

 だから、アジサイ畑欺もう事件と私が総称している、私の土地がぬすまれてしまった件の、主因者は、安野夫人でもあります。この安野家には、道路側(南側)に、我が家にそれが、あったような、アジサイ畑があるのですが、なんと、北側の崖も、開墾をして畑となしました。それは、1998年の暮れから、2002年にかけて、私が逗子にアトリエを作って一人暮らしをしていて、武者修行をしていた時代です。

 で、私が、鎌倉の雪ノ下の自宅には居ないわけです。そこを狙ったのだと思います。つまり、鬼の居ぬ間の洗濯の典型です。だが、私が、こちらへ帰って来てからも夫婦で、堂々と、畑仕事をしていました。私の土地は、彼女が原因で、10坪強盗まれているのに、そちらは、新しく開墾した部分が、南斜面の、傾斜地だから、20坪近く使えますので、二つの家の差が、30坪程度、安野家側に、増えた事となります。それを見ていると、安野夫妻が、インテリとは程遠い、単なる強欲な人間であるかという事が、よく判ります。

 しかも、彼らが意気揚々と、二人そろって、畑仕事をする時には、小沢一郎氏が元気な時とシンクロしていて、だからこそ、安野夫妻が、強気であることも、推察ができました。つまり、日本の真実の支配者、国際的軍産共同体の支援を得ているわけです。どうして、そういうことになっているかと言うと、私が前に住んでいた、北久里浜で、私は、益山某氏(その死後は、瀬島龍三が、すべてを担う)の、大規模な土地をめぐる、一種の詐欺事件を目撃しています。

 それ以降、我が家の電話、および室内は盗聴され続けていて、私が「安野夫人と言う困った人が居て、云々」と、友達に電話をかけたのを、盗聴されたせいだと今では考えています。

 で、彼女は元から持っている人たらし術、+、使命感(?)をもって、近隣の人を手なづけるのですが、なんと、藤本夫人さえ、2005年には手なづけているのでした。

 で、私はどうするかと言うと、一切、近隣には手を出さない事としたのです。ちゃんと、できますよ。お付き合いが。主婦としてもお母さんとしてもベテランです。だけど、あれほどの暗い性格で、かつ、しつこい性格の安野夫人と、人付き合いと言う側面で、争いになったら、最後には、私が、負けるでしょう。その戦いのために、外出さえおちおちできない事となるでしょう。『それは、判っていますわ』と、思っているから、ご近所には手をつけず、したがって、ご近所はすべて、安野夫人の支配下に下っています。

 ところで、安野夫人は、お隣も、それから、平木さんもすぐ手なづけたみたいですが、あの平成の八墓村事件が起きた時ほど、彼女の勝利感のひどかった日はありません。21日の夜に、それが起きたのですが、23日の昼には、すでに、問題の、北側の崖に、平木さんのお子さん方を招きいれて大騒ぎをしていました。

 勝った、勝ったと、大喜びをしていて、『このチャンスを生かそう。自分達の北川の畑を、公認のものとしてしまおう。つまり、お前の土地を盗んだというお前の言い分を、チャラにしてやるんだ』と言う激しい意気込みを感じました。またねえ、それを見せびらかすのが好きなんですよ。彼女は、この山に来る前に主婦業の経験がないと思われますので、

(不倫関係に長らくあって、別居だったのだけれど、とうとう、前の奥さんが根負けして、正式な離婚に追い込み、自分達が正式に入籍をして一家の形成を新しくなして、その後で、ここに引っ越してきて、主婦業をはじめたと推察できる。そういうところが多々ある)

 ともかく、短絡的にでもいいから、結果を求めるタイプなのです。目に見える形で、勝ちたいと願っているし、威張りたいのです。こういう人間が目の前に居ると、皆、負けないと駄目だと思うらしいけれど、

 平木さん、あなた方は、本当のお子さんでしょう。それが、こんな、『殺人事件で、勝った』と思う人たちに、利用されてどうします。? それって、神様の視座からは、はるかに遠い境地ですよ。大丈夫ですか? 将来?

  ところで、安野夫人が、その2013年7月23日(火)に考えた事は、

 「私って、こんなに、平木さんの子供たちになつかれているんですよ。だけど、川崎さんは、なつかれていないじゃあないですか。あなたは、鬼みたい。でも、私って、天使なのよ」って言うぐらいのところでしょうね。「まあ、そう思っていらっしゃいませ」と、私はただ、単に、見過ごしているだけです。ただ、預言者と呼ばれるぐらいに、将来が見通せるので、平木さんのために、悲しむのですよ。お子さんを本当に大切にしたいのでしょう? 大丈夫ですか。殺人事件によってかろうじて守られている存在たちですよ。彼らに協力してなんとなるのですと、思って。

 その時以外にも、彼らに奉仕なさっておられますね。すごいレベルで、お子さんを、彼らの貢物として差し出しておられます。我が家の前で、キャッチボールをなさったり。すべて、教唆、や、指導を受けたから、おやりになっている事でしょう。恐ろしいなあ。むろんの事、彼らは、私がここで、こういう事を書くと、魔弾をあなたに与えるでしょう。

 あなた方のお子様方は、これから、栄光学園、もしくは鎌倉学園などの、中高一貫教育校にお入りになって、その後、東大、慶応、早稲田、上智のどれかの大学へご入学なさるのでしょうね。その際ですが、お父さんが、栄光の先生とか、鎌倉学園の先生だったら、私は、眉につばをつけて、オタクのお子さんの成功を考えることはありません。

 先生が、自分の勤務先の学校に、自分の子女を入学させることは大いにある事ですから。デモ、今のところ、東大では、東大の教授でも自動的に、自分の子女を、入学させる事はできませんね。それが、推薦入学制度では、できる事になります。

 皆さん、お分かりになりますか? 東大に推薦入学制度を作ろうという動きは、こういう風に、エージェントたちが、自分達の手下として使った人間に、ご褒美を与えるシステムとして、東大を使おうという、動きに、他ならないのですよ。つまり、自分達の利益のために、国税を使うという措置です。前田夫人を助けるために、2005年以来、国税がどれほど、使われたかは後日に語ります。

 しかも、1986年から、28年の長きにわたって、安野家に対する、国税が使われた実例を見ているから確かです。安野家のご次男は、舞鶴の海上保安学校へ、ご入学になりました。ただ、その頃、いかにも芝居がかった態度で、石川和子さんが、「国立大学の付属高校ご入学おめでとうございます」と、わざと、私に聞かせるように、こちらを見ながら、安野家の玄関先で言っているのに出くわしたので、『これは、何かが有るなあ』と思っていたのです。

 だって、安野君って、御成中学では有名なお子さんだったのですよ。おいちに、おいちにのあひるさんって。お通信簿に1と、2しかないという事で。それほど、お成績が悪いという事で、有名だったのに、筑波大学の付属2校と、学芸大学の付属3校に入学になるとは、不思議な事ですから、注目をしていたら、舞鶴の海上保安学校だったのです。

・・・・・ここで、何かあるなあの、何かが何だかはわざと言わないで、置きます。皆様のご想像にお任せします。・・・・・・

 と言うことは、自動的に海上保安庁に就職できるので、生涯賃金、1億5千万円ぐらいが、『私が、安野夫人を嫌いだ』という理由だけで、エージェントたちの力によって、安野家に入るのです。そんな、実例をすでに見ているわけですから、

  平木さんのお子さんが、どんなご成功をなさっても、私は、これから、は、

眉につばをつけて、『は、ハーン。あのときに、安野さんや、前田さんの言う事を聞いて、彼らに、ご奉仕なさったので、この成功がもたらされましたね。魔弾の実例ですね』と、思うこととなるでしょう。ただし、ご主人が栄光、聖光、桐蔭、鎌倉学園などの、神奈川県内の、偏差値優秀校の先生だったら、『あ、そうだったのですか。なるほど』、と思っているだけです。

 デモ、これから先に言うことは、読者の皆様も共感なさると思うけれど、人生は、偏差値の高い学園で、勉強するだけで、全部が安全走行できるほど、生易しくはないですよね。それを開きさんご夫妻は、ご存知かしら? 今、引きこもりが150万人に達するといわれています。それらは、きっと、小学校四年生から、受験のシステムに引き込まれた挙句、そうなった少年、および、青年達が多いと、推察していますし。

 お子さん方にテレビを見せないような無菌栽培をなさっているみたいだけれど、会社でも大学でも、いじめはありますよ、大丈夫かなあ? ふつうの人と違い過ぎる教育は、将来に禍根を残すと思うけれど。まあ、ここから先は、「ご勝手に」、と言うしかないですね。ただし、私に関係している部分については、はっきりといいましょう。五年ぐらい我慢をしてあげていますから、もう、ここら辺で、あなたが、お子さんを、悪人達の利用物として、献呈をしている事は神様の前に、説明をしておかないといけません。

 それに、大原さんの、あの、おっちょこちょいな、気の働かせ方を見ていると、ここまで言わざるを得ないです。

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副題7、『心理的な機序の研究は、たまらない面白さを、私に、もたらす』

 この山には、各戸に駐車場がありません。もし車を持ちたいなら、どこか、鎌倉市内に駐車場を月ぎめで借りないといけませんが、歩いて、五分以内の場所は、すべてふさがっていると思います。で、歩いて、10分ぐらいかかる場所に借りるとしても、月に三万円は取られるでしょう。だから、ほとんどの人は、アウトドアー派ではないと、思われます。一度丁寧に数えた事があるのですが、何らかの形で、一家のうちの一人ぐらいは、芸術に携わっている家族が、80%だったと、覚えております。

 つまり、珍しいぐらい、インテりが集中している地帯なのです。あそこも、ここも、夫婦そろって4年制大学卒ですねと、思われるご家庭が多いです。その中で、トップクラスは夫婦そろって大学院を卒業している前田夫妻ですが、その前田家が、孫まで、動員して、勝ちたい、勝ちたいと、小ざかしい策略の限りを尽くして来るのです。それも、自分側の落ち度を無かったことにしていきたいが、ために行うものです。そして、一度や二度ではないのですから、最初は驚いたり、怒ったりしたものの、今では、その心理的な裏側の分析が面白くてたまらない事となりました。そして、丁寧に分析し文章に書いているから、とうとう、『孫を使うのは、まずい』となったらしくて、孫よりも年齢的に、さらに年下である、平木家の、お子さんを使う様になったと見なされます。

 そして、我が家の前で、キャッチボールをするのなど、私が非公開で、書いている、益山某氏を主役にして、彼を、仮名で書いている小説『元参謀の陰謀』の中に、出てくる、30年前のエピソードのコピーでしかないのです。そちらでは、実名を上滝さんと言う、銀行マンが、益山氏から、彼が企画をした、地籍変更届を利用した詐欺事件が、成功したら、それに協力した報酬として、当時で、100万円分の土地を、ただで、もらえる事となっていたそうです。それが増えると、自宅に駐車場を作る事ができて、車が、もてるので、上滝氏は、必死で、協力していました。

 で、彼が、益山夫妻の言うなりになって、協力した結果が、我が家のまん前の、道路で、キャッチボールを、父親主導で、やって、そこに、私の子供を入れないという形で、私の、子供をいじめる事でした。

 平木さんが、やった事は、そのヴァリエーションであって、少し、柔軟化している現象です。だって、我が家の子供たちは、すでに、40歳近くになっていて、近所に住んでいません。だから、内の子供がいじめられるという事ではありません。それよりも土地が、盗まれている事実を、既成事実として、認めさせたいという強い別の悪意が、込められているのですが、外に見える現象としては同じなのです。

 そして、その目的としては、私を苦しめたいという効果が狙われています。私は、その小説内では、「そういう現象に苦しんだ」と書いていますから、同じ事を再現すれば、私が苦しむだろうと、推察されて、それが、再現されたのです。しかし、私はいったん文章化したことは、そこで、昇華しますので、二度と苦しむことはなくて、平木さんは、無駄骨を冒したのですよ。そして、悪魔に加担したという事実だけが、天国の神様の閻魔帳または、お通信簿に、お子さん方の実名入りで、記載されたのです。

 そういう裏側をミスター平木が知っているか知っていないかは、私にはわからないものの、徹底的に、いわゆるCIA=国際的軍産共同体に、協力しているという、結果になるのです。

 と言うのも、北久里浜で大規模な土地詐欺事件(地籍変更届と言うのは、実際には、横須賀市の水道山1200坪をただで、私有化することなのですが、書類上は、整っているので、表面上は犯罪ではありません)を起こした、益山某氏は、元海軍参謀であって、親友が戦後最大の、エージェントだったとされる瀬島龍三なのです。

 だから、殺人など、平気で起こす事ができるし、盗聴や尾行も、意のままで実行できるのです。外交的なニュースも意のままで、作り出せます。

 で、家来として使えるのは、何千人もいます。JR東日本のガードマンもそうですし、鎌倉市内、および、銀座+京橋・界隈、それから私が、母の見舞いに、毎週出かけていた老人ホームの在った、東上線常盤台駅近辺に、突然に、工事を起こすことができる建設業組合など、すべてを支配できるのです。それに+銀座の画廊街のオーナー達や、美術9条の会に所属している画家等も、です。そして、最近では、同窓会にも手を伸ばして来始めています。

 そして、極めつけは、ご近所様です。東には鶴岡八幡宮、東北には、安野家、北には前田家、西北には、大原家、西側には、お隣の小野寺夫人と、四面楚歌もいいところです。ところが、私が意気軒昂で、いられるのは、この世のすべてを覆う神様の支配と言うものを、信じているところにあります。「嘘でしょう。それって甘いわ」と、おっしゃる方があるかしら。

 いえ、真実です。彼ら、悪人に味方をすると、必ず、悪い事が訪れます。すぐにでは無いのですよ。現れ方は、すこぶる緩慢です。だけど、必ず、善と悪とのバランスは取れて行くのです。

 なお、このブログの、2010年より数えはじめた伸べ訪問回数は、1935701です。

 2013年12月14日に初稿を書き、16日に、推敲をする。雨宮 舜(本名 川崎 千恵子)

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