銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

三浦皇成騎手の母から、お手紙が来た。

2009-10-12 14:41:00 | Weblog
 私が、09-9-18にこの世界にアップロードした、『ニッポンの少年、三浦皇成騎手』という一文に関して、昨日、お母さんの美智子さんから、コメントという形で、お手紙をいただきました。

 それは、左側にあるカレンダーの前月、18日(薄い青い字になっていて、まるで、記事が無いみたいですが、そちらが記事のある日で)、そこにコメントとして載っていますが、母としての真情があふれている、美しいお手紙なので、ここに、再録をさせていただきます。ペレリマン博士のことはちょっと中断。

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 始めまして、余りにも嬉しい内容のブログの記事を見つけコメントさせて頂きます。

どんな新聞の記事を見るより親として涙が出るほど嬉しく読ませて頂きました。

ギャンブルという世界なので心無いヤジを言う方の方が多く、息子が自分はヤジられても仕事なので我慢出来るけど、そのヤジを私には聞かせたく無いから競馬場には来ない様に言われてからは、どんな大きいレースでもこの一年テレビの前で怪我をしない様に手を合わせています。

息子の夢と思い一心でここまできましたが、
毎週末ただただ心配で心配で、なんでこんな危険な騎手にしたんだろうっと後悔の日々でした。

そんな中このブログを見て、騎手という職業を超えて、息子をこんな風に見て下さる方が居る事を知り、
無我夢中で子育てだけを生きがいにしてきた私にとって嬉しくて有り難くて涙が出ました。

いきなり失礼とは思いましたが、お礼を伝えたくコメントをさせて頂きました。
                                 母 美智子

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 このコメントをいただいた文章を、もし、お読みにならなかった方があればいけないと思って、再録をさせていただきたいと感じます。

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 まず、前半部分を簡単にまとめますと、自分が、人生の途上でひたすら我慢をしていた時代があってそのころは、競馬をテレビで見るのが楽しみだったと書いています。1980年代は、オグリキャップや、ヤエノムテキの時代でした。しかし、自分が割と自由に仕事ができるようになって、競馬から離れたのです。

 その間、吉田牧場系列が強くなりすぎて、小説『優駿』の世界も遠ざかりましたし・・・・・景気も悪くなったわけで、一般紙や、一般のニュースとして競馬のことが載ることも少なくなりました。

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 さて、次行から、その当時の記事に入っていきます。

 しかし、メルマガやブログの手当てをするために、パソコンは開くわけです。そこで、ウエブ・ニュースと言うのを自然に見る形になります。4種ぐらい見ていますが、その結果、2008年度中に、三浦皇成と言う旗手が大きな話題となっているのを知りました。
 それで、09-1-24日に放映されたNHKトップランナー『三浦皇成』編を、録画をしておいたのです。なんとそれを、本日、9月17日に再生をして見たのですが、彼に対して、相当に感心をしました。

 それを、どうか、本日語らせてくださいませ。今、現在の三浦皇成騎手の成績も知りませんが、普遍性を持った話題として語らせていただきたいのです。

 それには、『彼は、顔立ちからすると、ニッポンの少年の典型である』と言うポイントから入ります。週刊文春はどうしてか、ジャニーズ事務所を目の敵にしています。私はそれについてはどちらにも与しません。が、現在の美形タレントと言うのが、男の子も女の子も、昔の日本人の顔とは、相当違ってきている事は、感じています。彫りが深くて、目がパッチリしています。昔だと女の顔なら、おかめか、般若として、分類をされたのでしょうが、今の言葉で言えば、しょうゆ顔・ソース顔という分類となります。

 三浦皇成騎手は、どちらかといえば、しょうゆ顔の典型ですが、久しぶりに、・・・・・よき時代の、日本の少年に出会った・・・・・・という感覚を得ました。また、たまたま、ですが、映画『トウキョウ・ソナタ』の主演の少年、それから、映画『ブタがいた教室』の中で、重要な発言者となる少年なども、こういう顔立ちの子どもなのです。

 彼は、20年間も破られなかった武豊騎手の新人最多勝記録、69勝をはるかに上回る91勝をあげました。それなのに、それほどの大物とも思えない、あどけない顔をしています。そのギャップが、私の注意を引きました。

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 さて、これから、先は三浦皇成騎手の発言とか、生活、および人生(その放映時でも、たった19歳ですが)について、語らせてくださいませ。と言うのも、おせっかいながら申せば、このメルマガの読者は、ほとんどが競馬など無関心であり、三浦皇成騎手の事も知らない方だと思うからです。でも、彼は一流中の一流の人間でした。単に騎手内で一流(と言っても、これから、それを目指す、プロ二年目の騎手ですが)と言うに、とどまらず、他の分野の人間に比べても、一流といえる人間でした。

 こういう人間が現れた社会と言う日本も、相当に、良い社会であると感じました。時々現状について、絶望をしますが、その一人の少年の存在が、気持ちの救いになったのです。

彼は、競馬とは無関係な家庭に育ちました。ただ、一家で、大井競馬場に遊びに行った事を機縁として、5歳にして既に「騎手になりたい」と考えたそうです。それ以降は家庭の協力もあって、将来騎手になるために役立つ、お稽古事(8種類かなあ、またはそれ以上)をやらせてもらったそうです。

 乗馬や剣道(勝負強さとか、勝負勘を養うためであろう)は分かるけれど、生徒会(副会長だった)が、お稽古事の一つとして紹介をされたのには、会場につめている人と一緒に、笑いました。
「JRAの競馬学校(それは、入試が厳しいらしい)への内申書をよくするためでもあった。もちろん、学校を良くしたいという思いもあったのですよ」と、これも会場を笑わせる発言をしましたが、この経験は、大試合で、大観客を相手にしても、平静でいられるスケールを彼に与えたでしょう。度胸をも獲得できたと思います。

 この日(09-1-14)のトップランナーは、人間としてよく生きるための、指針や希望を与えてくれる番組でした。NHKのオンデマンド放送は、過去の全番組に該当するのではないらしいので、それは、残念ですね。皆様にもお勧めをしたい番組でした。

                 09-9-17 それを、10月12日に再び、部分的に、あげる     雨宮 舜(川崎 千恵子)
 
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