銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

葉山で、私が強烈な後悔をした日

2010-04-10 01:59:47 | Weblog
 あれは、黒田清子さんが結婚されたころだったと思います。冬のことで午後五時には空はすでに、濃紺色でした。皆様は葉山という地名で、御用邸を思い出されますか? 私などにとっては、葉山とは、神奈川県立近代美術館、葉山館のことを指します。

 その建物の出口は二つあって、北側の方に旗が立っていました。7,8メートルの高さのポールの上に、二、三メートルの長さの、縦長の旗が三本。オレンジ色のライトが当たってややくすんで見えるが、赤、青、黄色の三原色です。そのくすみがあるところがかえって美しいのです。後ろの空が濃紺ですから、対比として浮かび上がってきて、非常に美しいと感じました。ちょっと日本離れした色でした。ヨーロッパにある色のような感じ。

 あまりに美しいので、その下で、記念写真を撮りたいと感じました。こんなことはめったに無いのです。そのときに、59歳ぐらいでしたが、ほぼ、20年間ぐらい自分の写真を撮ることなどありませんでした。パリへ行っても、観光地で写真を撮ることは思いもよらず、ニューヨークでもそうです。毎日、毎日、版画のことばかり考えていて、自分の姿を記念に残しておくなど、気がつきもしなかったという感じです。

 しかし、その日だけはその旗も入れて、自分を撮りたいのですが、旗の高さが高いところにあるので、自分でシャッターを押したのでは、自分自身が入りません。誰かに頼まなければならないのですが、誰に頼むかが問題です。

 葉山の美術館前のバス停には、四、五人の男性がバスを待っていました。そのうちの四人はお互いに知り合いらしくて、話し合っていました。しかし、庶民的な雰囲気ではありません。すぐぴんと来ます。これは、学芸員か美術評論家であろう。または、今日の主役のお知り合いであろうと。こういう人に頼むわけには行きません。当然のこと、軽蔑されるからです。丁寧にやってくれる可能性もありますが、内心では、『おのぼりさんだなあ。今日初めて、葉山に来たのか?』と思われるでしょう。それは私のプライドが許しません。

 というのも葉山の近代美術館は鎌倉が本館だったころよりは当然行きにくくなってしまって、ある程度以に余裕のある人が、見物客として多くなっているのです。そうですね。その場所は勉強の場所というよりも、一種の観光地としての扱いを受けている。しかも勉強で行く人も、経済的に余裕のある感じで、「しょっちゅう、ここには来ています」という感じの人が多いのです。

 私は普通の人から比べれば目立ちたがり屋でしょう。しかし、美術界では静かな人で目立たない方で、無名です。しかし、プライドは非常に高くて、『絶対に、死後は、有名になれるであろう』と言う自信があるので、人に軽蔑されるのなんか大嫌いです。だから、『そういうきっかけを作るのは、やめましょう』と決意して、その四人組には頼まず、一人で座っている男性に頼みました。
 その男性は大荷物を持っていましたが、くさいという感じでは、ありませんでした。私は何も疑わず依頼して、旗から10メートルぐらい離れた位置で、シャッターを押してもらいました。バス停はやや暗かったのです。で、彼がホームレスみたいな人であることには、まったく気がつきませんでした。バスに乗ってから初めて気がついたのです。

 彼は私の目の前に座り、じっとこちらを見つめます。その凝視が、20分ぐらいかかる逗子駅までの間、ずっと続きました。さすがの私もその意味がわかりました。

 もし、この凝視の意味が、男性として女性を見つめるものだったりしたら、どんなに気が楽だったでしょう。しかし、そんなとんまな発想を抱くほど、私は楽天家ではありません。

 ちゃんと、わかっていました。『僕、親切にしてあげたでしょう。なにかお礼をくれないかなあ?』と彼が思っていて、それで、私を凝視していることを。
 同じ千円札一枚でも彼にとっての意味合いは、私の場合より大きいでしょう。だから、ここでは、「ありがとう。お礼です」といってさらっと、千円札一枚をあげるのが普通でしょう。

 その目は、とってもやさしい目でした。犬みたいな目でした。犬といっても、私の記憶にあるのは捨てられた結果、大人になってから我が家に住みついたスピッツの目ですが、そういう真ん丸いかつ真っ黒な目をして、私をじっと見つめました。私はその20分間考えに考え続けました。

 ・・・・・どうして、葉山の美術館の前などに、ホームレスの人が居るんだろう。あそこあたりは、閑静な場所で、山の方は邸宅ぞろいなのに。彼はたくさん荷物を持っているから、なりたてのホームレスかしら。ともかく、太っているから、新橋駅の地下構内で寝ている人みたいには、消耗をしきってはいない人だわ。最近にホームレスになったばかりでしょう。ただ、肌の色でわかるの。白くない。スキーやけでもない。なんともいえない褐色の肌。それが、数日おきにお風呂に入っている人との違いです。それで、わかってしまう。でも、ホームレスになるとは、やさしい人なのでしょう。

 きつくて、自分を守り大切にする人間は、ずるいところもある。だけど、それゆえに、お金が儲かるのです。かわいそうに。お金を上げたい。だけど、後ろの方に座っている、例の四人の紳士になんと思われるかしら? ・・・・・と思うと、いつもの軽くて自然体の自分には、なれないのでした。

 彼らの、非・庶民的な雰囲気に影響をされて、自分も普段と違った、お高い人みたいになっているのです。お高い人は、他人となれなれしくしません。特にホームレスの青年などとは。

 そう思って、まったく硬くなったまま、お金を上げないでバスを降りてしまったのです。

 今は大変後悔をしています。私は、求められたわけです。求められたことへ応えなかったというわけです。これは真人間としては、よくない行動です。恥ずかしい行動のひとつです。
 でも、それをやってしまった。しかも理由はとても小さいことが出発点でありながら。

 今でも後悔していることのひとつです。相手が優しい目をした青年だったから特に。
                        
 私は普通だったら勇敢にさっさと上げたと思います。しかし、葉山の美術館から逗子までの間のバスという特殊な条件が災いしました。例のえらい男性たち、に、目立ちたくないという感じ。余計な事をしたくないと言う感じ。で、お金を上げなかったのです。降りてから駅に向かう間でも上げなかったのです。自分が美術の世界でいっぱしだと認められたい見栄のために、その青年のささやかな願いを無視したのです。                では、2010年4月10日 雨宮 舜
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2 コメント

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女用のダッチワイフって!爆 (はめ次郎)
2010-04-11 00:06:37


すんげぇ時代になっちゃいましたね(笑)
でも、これ金もらえるんだぜ!カネ!
うひょほほぉぉぉぉ!!!!(゜∀゜≡゜∀゜)
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吐き気がするほど (実るほどこうべを垂れるもの)
2017-12-10 12:01:36
思い上がりも甚だしい。
自己満足のアーティスト気取りがどれほどのものか知らないが、そのうち自分のお尻の穴も満足にふけなくなって、あなたが見下している低所得な労働者のお世話になったら、一回拭いてもらうごとに千円払ってあげたらいんじゃない?

「分かる人には分かる」というのは、芸術ではないよ。
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