銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

国立劇場、6月公演を見て・・・姿の小川、仕事の波野・・・中村錦之助、隼人+尾上右近、大谷廣太郎

2017-06-05 20:45:06 | 歌舞伎

 私は如何様な、方向でも文章を作り上げることができるつもりです。本日、2017年6月5日は、国立劇場で歌舞伎を見てきました。これについても、裏を込めて、政治の課題として語ることもできるし、芸能についての、感想文としても、かたることができるのですが、まず、この一章は、後者に、片よせて、語りたいと、思います。

副題1、『演目は、【毛抜】であって、主役は、中村錦之助であった。声が初代の錦之助に似ていることを、本日初めて、私は、悟ったのだった。この三年間、ずいぶんな回数、この優を見た筈なのだけれど』

 【毛抜】というのは文字通り、刃物の毛抜きが、重要な役割を果たしている芝居です。古今集に出て来る、文屋の康秀と、小野の小町の子孫どうしが、結婚をしようとしている(もちろん、フィクションだが)ところ、お嫁さんの方の、【錦の前】というお姫様が、奇妙な病気にかかったので、延期になっている状況です。そういう処を、

 お婿さんの方の家来である、【粂寺弾正(くめでらだんじょう)】が、「どういう具合だろう」と、探りに来る話です。

 病気とは、錦の前の、家の、重臣がたくらんだ悪事によって起きていて、粂寺弾正が、それを科学的な謎解きで、解決して、めでたし、めでたしというエンディングを迎えます。

 ところで、主役の粂寺弾正が【中村錦之助】です。この人は美貌の二枚目が似合う人で、どうも、この粂寺弾正の役柄ではないと、思う人です。そういうのを歌舞伎の世界では、「ニンでない」と言うらしいのです。このニンは、人柄と言う意味から、来るのか、それとも、その、任務には合わないという意味で来るのか、知りませんが、そういうらしいのです。そして、ご本人もそれを良く知っている人です。今回のプログラムにも、それを、ご本人が、書いています。

 この演目は、荒事で、有名な、成田屋(市川団十郎家)が、自分のカンパニー専門の、演目としして、選んだ、歌舞伎十八番の一つなので、荒事中の荒事です。でね、意地悪ではなくて、どうしても、二世・中村錦之助の繊細さを、見つけてしまう事となります。

 声にそれが、現れていました。繊細な、声が、ところどころに、出てきました。その声を聴いていると、『あれ、この声って、初代、錦之助にそっくりだわ』と、感じ、驚きましたね。初代錦之助とは、東映・映画で、少年少女向けチャンバラもの【笛吹童子】などで、主演した後で、最後には、内田吐夢・監督などと、【宮本武蔵】を、演じたり、TVでは、【子連れ狼】などを演じた俳優です。後に苗字を、萬屋と、変更しています。その弟が、中村嘉津雄で、現役の映画俳優、または、テレビタレントです。

 初代、錦之助が、甘い声の持ち主で、勇猛果敢なはずの、宮本武蔵とか、子連れ狼の主役の、浪人にしては、優しい声だったのは、父親が、三世時蔵(女形)だったので、仕方がない様な気がします。

~~~~~~~~~~~~~

副題2、『私は、70年・弱・前に見た三世・時蔵の、動く実物を、未だに覚えている。・・・・・背が高くて、すらっとして居て、いいなあ・・・・・と、子供心に思った。梅幸も覚えている。<ちょっと太っているからねえ。好きじゃアない>と、当時は、思って居たが、歌右衛門よりは、好きだったのだと、思う。歌右衛門のことは、一切覚えていない。立ち役では、九世海老蔵を覚えている。今の海老蔵の祖父に当たる人だが、助六など、<本当に美しい>と、思った。父は、「【もしほ(のちに、十七代、中村勘三郎を、襲名する)】がうまい」とか、「【勘彌(守田勘彌、玉三郎の、養父)】がうまいなあ」とか言っていたが、それらは、うっすらとは、覚えているが、先に言った三人には、比べ物にならないほど、記憶が薄い。つまり、4、5歳の子供、特に私には、美しい事が第一であって、それ以外のニュアンスを理解するのは、まだ無理だったという事だろう』

 というわけで、1940年代には、私は歌舞伎を見ているのです。しかし、その後、ずっと見ていません。どうして見ていなかったかですが、それは、やはり、安保闘争を、横目で見ていて、大学紛争を、いささか渦中で経験し、そして、成田闘争に、新聞やテレビで、接しているからです。1966年かな、安田講堂事件が起きました。その時、東大に勤めていて、安田講堂と、医学部以外は、しーんとしているというか、すべて、平静に普段通りの生活をしているわけです。しかし、丸の内線の中で、医学部に進学している、昔の友達に出会ったら、滔々と、政治論(一種の理想論、その後も、まったく実現をしていない社会変革の話)を、ぶち上げられたものです。

 私は、彼女のお話を聞きながら、普通の色の、ツーピースを着ている私と比較して、何と、大人っぽいおしゃれをしているのだろうと、驚愕をしました。同い年だから、23歳か、24歳だったと、思うのですが、まるで、40代のパリのマダムと言う感じで、全身真っ黒で、アクセサリーをじゃらじゃらつけているのです。女性アーチストが、個展の初日には、こういう格好をする事があるのですが、それは、1990年代に入ってですから、1960年代で、黒づくめのおしゃれとは、30年も時代を先取りしているわけですが、それほどに高度な、おしゃれをして、かつ、革命論をぶつ、彼女に面食らって、私の方は、鳩が豆鉄砲を食った様な、感じのまま、お別れしました。本郷三丁目で、同時に、同じ車両に乗っても、彼女は東京駅で降りて、横浜駅に向かいます。こちらは、赤坂見附で乗り換えて、渋谷に向かうわけですから、たった10分程度の、講義を聞いたわけです。だから、充分ではないけれど。

 ところで、彼女は、当時も今も、弾圧の対象にはなっていないでしょう。どうしてかと言うと、それらは、一過性の流行みたいな思想運動であって、『そんなことあったかしら?』という雰囲気で、今、彼女は生きていると、思われるからです。一方の私ですが、革命論をぶったこともなければ、デモを先導したわけでもないです。しかし、今朝、歌舞伎座に向かう途中でも、横須賀線が遅延しました。これは、何度もやられている妨害事項の一つです。

 二人の間で、どこが違うかと言うと、私は、心底真面目なのです。その上、文章を書くことができます。だから、私の方が、CIAちゃま、からは、怖がられているのです。はい、そういうわけです。・・・・・あーあ、どうしても政治に入ってしまいますね。本日も銀座で、いろいろ、感じましたのでね。避けられない思考です。しかし、最初に決めていますので、心を鬼にして、脇に入らない様に気を付けて、歌舞伎に集中しましょう。

 私は、一過性の流行として政治をとらえているわけではなくて、常に、社会とは、どうあるべきかと考えております。そういうまじめな、人間にとって、歌舞伎とは、遠い、遠い世界でした。

~~~~~~~~~~~~

副題3、『私は、弾圧によって、友達を奪われてきている。本日も感じたのだが、高橋和さんと言う、実力の有る女流画家が、秋山裕徳太子の差し金だと、思うが、奪われて行った。既に、4年ぐらい前から、それは、判っていたが、それでも、本日は、明瞭にそれが、誇示された。

 それは、先週来書いて居る、井上さんというご近所様【=ペンネーム、岸田淳平と言う、斯界では、すでに、有名な画家】が、裏に何があっても、品が良く、礼儀正しい態度で、接してくれていたのに、小野寺夫人と言う、女性と、前田祝一氏とが、組んで、弥栄に、明瞭に、こっち側の人材だと、示して置けと言う、処遇を受けてしまう現象を見て、それについて、書き始めていて、途中なのだが、それと全く同じことが、同じく、品が良くて、そして、頭が良くて、教養が高い、高橋和さんとの間で、起こった。

 という事はこの二つの現象とも、同じ人間が命令を下しているということになる。それは、伊藤玄二郎か、その後ろにいる井上ひさしであろう。なあるほど。なあるほど。

 それは、はっきり言うと、・・・・・ギャラリー山口のオーナーが、自殺だと、喧伝をされて居るが、絶対に他殺だ・・・・・と、信じている私に、・・・・・そこから先を書かせまいとする、秋山裕徳太子氏と、その後ろにいる例の鎌倉エージェントの動きを、示している現象だと、思う。

 だが、それに、紛らわされて、今、山口みつ子さん他殺の、真相を、書かないというわけではない。すべて、途中になっているが、書けるときは書くつもりだ。だけど、頭の中の発想が、そちらに向かない時は、それを書かないだけの話だ。

 保坂涼子さん(=ペンネーム、保坂航子)とか、野見山暁次氏、そして、美術9条の会、それから、例の五軒のテナントが共同使用するトイレの、特に、女性用の方を、私が訪問する時間を狙って、閉鎖している画廊の話、などなど、全部が、山口みつ子さんの他殺と関係をしてくるので、相当に大きな話になる。だけど、暗い話ではある。それで、なかなか、書かないで、ゆっくりと、エネルギーが充実してくるのを待っているだけなのだけど?!?!?

 こういう風に無残な、しかも、激しい攻撃かにある私が、何故、歌舞伎にはまって、それを見に行くかと言うと、それは、外人と一緒に行ってみた、【蛇柳】と言う、演目が、非常に美しいし、面白いと感じたからだ。私には、嫌なことが一杯起きてもいるが、一方で、楽しく、美しい事も一杯起きていて、従って私は、充実して元気に生きている。その人が、<ああ、この相手は、今、神様の化身として、私の目の前に現れているのだ>と、感じるほどに、好感の持てる人物との出会いもある。しかし、それが、また、奪われることを恐れて、私は、最近は、自分の周辺に起きている、いいことは、ほとんど、ブログ等には、書かないことにしているのだ。

 いやア、【蛇柳】と言う演目は、グーグル検索等では、傑作であるという評価がないが、私は、非常に面白く、感じた。特に外人に、一幕みで、紹介するのには、最適な舞踊の一つだと、思って居る。出演者も多いし、衣装が美しくて、かつ、奇抜だし、高野山の説話を、含んでいるしで、日本文化の短い解説ものとしても、もうし分がない。・・・・・そう、思って居る。そして、一緒に行った外人は、非常に喜んでくれた。それ以来、歌舞伎にはまっている。そして、2015年の夏以来、歌舞伎座と、国立劇場に関しては、ほとんど、全演目を見たいし、見たと思って居る』

 いや、いや、政治には触れたくないと思って居ながら、電車の遅延とか、・・・・・北側順一郎さんが、私が高橋和さんのグループ展を訪問をしている、将にその時間帯に、その画廊に来訪した・・・・・という様な現象が、自然な事ではないと、思う、私は、ついつい、それに触れてしまいます。特に、木内万宇氏の本日の、動きを見ていると、どうしても、それを語らないといけなくなってしまうのですが、後で、この辺りは、削除をして、別の章へ、この部分を移動をさせておきます。

~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『どこかで読んだのだが、三代目歌六の息子が三人いるが、長男の吉右衛門は、息子がいないので、一時期途絶えたので、次男の三世時蔵の子孫を、美形で、特色づけて、美形の小川と呼び、三男の、勘三郎の系統を、芸がうまいという事で、特色づけて、芸の波野と、呼んでいる人が居た。 今年の六月の国立劇場で、主演をしている二世、中村錦之助は、まさしく、美貌の役者である。その息子、隼人も、一種の美貌の役者として、世間からは、見做されているだろう』

 三世時蔵は、母方の姓を継いだのだと、思います。不確かですが、そうでしょう。そこへお嫁さんとして入ってきた小川ひなさんは、ゴッドマザーとして有名でした。男の子を五人生んでいるし、他に女の子もいた筈です。しかも教育熱心で。

 ただ、初代錦之助だけは、映画俳優として、莫大なお金を稼ぐ人だし、小さい時から、京都へ行っているので、おとりまきに囲まれて、お金を蕩尽する人だったらしいですね。そして、女性の方から見込まれて、惚れられて、三回結婚をしています。同じ様な伝説で、有名なのが、石原裕次郎と、勝新太郎です。ただ、後者の二人は、結婚は、一回ですね。

 でね、歌舞伎を見始めるまでは、私は、初代錦之助の事を、『どうしようもない放蕩息子だ』ぐらいにしか考えていなかったのです。あまり、詳しくは知らなかったのです。

  ところが、いったん凝り始めると、とことん、追及する形の私は、書物と言う形で、歌舞伎について、学び始めます。単行本と、雑誌の両方で、急速に学び始めます。すると、判ったのですが、初代・中村錦之助は、再び歌舞伎座で、芝居をし始めているのですね。8月が中心だったらしいのですが。そして、休んでいた分、ものすごい勉強を、主に書物を、読む事からやったらしいのです。東映の映画俳優だったわけなので、ずっと、歌舞伎座だけで、活動をしている先輩に教えを乞うわけにもいかなかったかもしれません。名声がありすぎるでしょう。と言うか、大衆的知名度が高すぎるでしょう。普通の歌舞伎俳優からは、『ちょっと、違うよね』と言う感じで、疎外をされて居る形、哉? または、東映と、松竹の確執もあったかもしれないし。その上、一族郎党を率いるうえでの、お金の問題等もあって、相当な苦労があった模様です。

 知りませんでした。でもね、まじめだったのです。それは、確かだったみたいです。

 でね、二世錦之助にもまじめさが見えます。そのまじめさって、長短を生みますね。俳優の場合は、です。

~~~~~~~~~~~~

副題5、『二世・中村錦之助の、妻は美しくしとやかで、また、息子・隼人・も、美形で、人気者である・・・・・一方で、まじめで美しい事は、俳優としての味が薄いという事にもつながるだろう。それには本人も気が付いていると、思う。で、荒事とか悪役に挑戦しているみたいだけれど?!?!?』

 真面目であるという事は、俳優としては、長短があると、上で言いました。だけど、人間としては、基本中の基本ですよね。で、家庭や家族を作るのに、それが、とても良い事だと、言うのを、奥様をちらっと見て思いました。2016年の新春浅草歌舞伎に来ていらっしゃったのです。ひときわ美しかったです。そして、つつましやかな感じがしました。テレビなどには露出して居ませんね。それは、あのご一家にとっては、とてもいいことでしょう。

 お子さんは中村隼人と、後、女の子がいるらしい。

 でね。ご本人もその弱点を克服しようとしていて、荒事とか敵役(悪人の役)に挑戦をして居るのだろうか? 劇評を見ると、そういうニンではない役を担った後で、進化していると、書いてあります。

 三月の国立劇場で、沢井股五郎という、敵役についています。吉右衛門が頭目を取るカンパニーの、演目で、全体として、非常に評価が高いものです。【伊賀越道中双六】というものです。

 ただ、私はね。その時の配役を見ていると、・・・・・歌舞伎俳優と言うのは、とても、独立性の高い職業に見えても、意外にも自由が無くて、松竹と言う大会社のサラリーマンなのだなあ・・・・・と、感じてしまいます。でも、それが、有ったからこそ、三か月後に、主役を、張る事ができたのかもしれません。ところで、息子の隼人君が、今、大変な人気者です。それで、常に同じ劇場に出るということとなるので、2016年の新春浅草歌舞伎では、この人=二世・錦之助が一座のトップでした。それを、歌舞伎界の用語では、上置きと言うらしいのです。しかし、どうも教室のリーダーは、尾上松也みたいで、二世・錦之助は、先生みたいでした。学校に例えればの話ですが、まさしく、上置きです。

 ところで、私が知らない時代の歌舞伎界には、いろいろあって、実は、吉右衛門は、意外にも時蔵一家とは、疎遠だった時期もあるらしい。しかし、現代の、吉右衛門は、中村錦之助を、自らのカンパニーに入れています。まあ、いいでしょう。仲直りと言う事を、子孫が果たしたという形で。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『中村隼人君が、人気が高いので、去年の同じ時期の、演目よりも、聴衆が多いような気がした。国立劇場、6月と、7月は、主に、高校生を相手にして、歌舞伎を教えるという目的がある。で、演目の前に、講義がある。今年は、隼人君が担当だった。

 その講義の名前を、【歌舞伎の見方】と言い、私は、今まで、三回見ているが、中村萬太郎の会は、とても充実していたと、思う。これは、原稿を書く人があるそうなので、あながち、役者だけの力量では、計かれないところもあるのだけれど・・・・・うーむ。

 後日、2ちゃんねる等で、知ったのだけれど、中村萬太郎も、非常にまじめで、歌舞伎に対して、研究熱心であるそうだ。中村隼人とは、いとこ同士に当たる。

 で、ブログが、紹介をされて居たのだけれど、本当にびっくりをした。まあ、研究熱心で、全部歌舞伎の演技についてであり、長文であり、どこにも媚びるところが無いのだ。コメントも<いただきたくない>と書いてある。一方、隼人君のブログは、短いもので、自分の身辺で、感じたことを、読者に、話しかける様な、口調でつづり、人を引き込むところがある。どっちがいいとか、どっちが悪いとか、言うのではないが、萬太郎の方は、少数の熱心なファンを呼び込んでいるが、あまり、多数の投稿がない模様。一方で、隼人君は、一週間に、2、3回更新をするので、歌舞伎界の現状がよくわかる処がある。それで、読者数が多いはず。

 なお、これは、2ちゃんねる等で、ちらっと流れていた話で、グーグル検索では出てこないことだけれど、隼人君が、婚約をしたといううわさもある。相手は宝塚の人だという話で、宝塚の中では、すでに、有名な話だそうだ。だけど、まだ、私には、確かではない話だ。私は歌舞伎にも宝塚にも素人なので、何もわからない。でも、お客さんが多かったのは、それもあったかな?

~~~~~~~~~~~~~~

坂東玉三郎が、隼人君を贔屓にしている話とか、まだ、まだ、続きますが、午前二時を過ぎたので、ここで、中断をして、就寝をさせてくださいませ。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 又、歌舞伎見物の日に、妨害... | トップ | イギリスでテロが多発してい... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歌舞伎」カテゴリの最新記事