銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

受験や就活で、面倒をみなくていい母親?)は、楽過ぎる+ 片山容疑者が今出てくる理由?

2013-07-11 07:06:48 | 政治

 今は、12日の午前二時です。下に抜かしたことで、重要だと思われることを最初に置きましょう。それは、なぜ、息子が東大教授である中谷共二さんという男性に、心の芯がないかの原因です。それは、戦争と、アメリカが関係があります。

 彼は帰米二世です。多分カリフォルニアにわたったご両親のもとに生まれています。で、戦前、戦中、戦後と、すさまじいまでの価値観の変動に翻弄された人なのです。その上、私が見るところ、カリフォルニアこそ、日本支配の根本的な渦の存在している場所です。
 日系二世、三世、四世の多いところですし、大衆操作の最も大きな道具である、映画産業がハリウッドにあるところだからです。

 だからこそ、中谷さんは、つかみどころのない鵺的な存在となっていると私は見ています。強いものには、従わないと生きることができなかった過去が、この一文の中にあるような、蝙蝠のような、選択をさせています。
 年上の紳士に向かってそこまで分析するのは、失礼なようですが、こちらは被害者なので、なぜああいう裏切りを、中谷さんがやったかの原因については、はっきりと言っておきたいです。

副題1、から副題3、までは、下へ移動をさせてあります。
副題4、『藤本邸を売り急いだ、仲介者は、三菱銀行ですか?』
副題5、『この山の持ち主は、毛利様から、藤本真澄氏へ、移動していた』
副題6、『当時の中谷共二会長は、実は会長職には向かない人だった』
副題7、『なぜ、藤本夫人は、山を崩せと主張をするのか?』
副題8、『孫を使う諜略行為と、井上ひさしの役割の判明』
副題9、『そう言えば、昨日片山容疑者が、またぞろニュースになりましたね』
副題10、『かっこうの託卵、受験の面倒も、就活も、経験しない母は楽ですね』
副題11、『三菱銀行が、彼らエージェントたちに、利用をされているケースを、他に語ろう』
副題12、『三菱銀行のカードが、このカードは第三位レベルのものなので、現金を引き出せませんと言った夕方の事』

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副題1~3までは、本筋への導入として、私の5年前までの隣人だった藤本夫人が、大金持ちだと言う話をしています。全体が二万字を超えましたので、それは、スクロールすると出てくる下へ移動をしてあります。
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副題4、『藤本邸を売り急いだ、仲介者は、三菱銀行ですか?』

 御兄弟が、生存中でも、この駐車場から彼女には毎月、50万円の収入が入り、それは、30年以上にわたったと思われます。みずほ銀行が合併する前、第一勧銀の駐車場だった事もありますが、彼女は、三菱銀行の上得意客だった可能性が強いのです。三菱銀行鎌倉支店は、日本一、預金高が多い銀行だそうです。・・・・・ともかく、最近の五年間は、毎月100万円の余分な収入のある方です。ご主人の遺族年金とか、一緒に住んでいるお嬢様の給料以外に。
 三菱銀行の金庫室のある二階にコーフィーが飲めるラウンジがあります。引退したおじさん風の薄手の化繊のジャンパーの男性(つまり、はっきり言えば見かけのさえない老人)が入っていって、コーフィーを注文していたので、一緒に入って、「私も、コーフィーをお願いをしたい」と、申しいでると、「ここは、会員制です」と女性スタッフが言います。それで、銀座の美術家連盟のラウンジの制度を思い出して、資格を問うたのです。美術家連盟の方は、一応100円でコーフィーが飲めることとなっていますが、理事さんとか、有名な画家が来訪したら、ただでコーフィーが出てくる仕組みになっているのでは無いかなあ? それと似ているシステムになっているだろうと推察していました。だから、質問をしてみたのです。
 普通なら、『ああ、恥ずかしい』と思って引きさがるところでしょうが、私が現在直面している数々の諜略行為を考えると、それをクリアーしているうちに、それも一種の修行となっていて、常に冷静さを保てるし、そこから探索の糸がほぐれてくるので、質問をすることが重要なのでした。すると答えとしては、会員の資格は、誰にも明かせないそうです。預金高2億以上とか、3億以上とか言う答えを予測していたので、当てが外れましたが(笑)、それにそこの会員になるのを決定するのは、鎌倉支店ではなくて、もっと上の段階だそうです。はい、よくわかりました。(笑)
 母から遺産が入りましたと言って、有頂天になっている場合ではないみたいです。でも、父から遺産が入った時は、この同じ銀行の、2階の応接間で、私は、ちやほやと、対応をしてもらったのでしたが(笑)・・・・・改築をされて、2階には、応接間が無くなったみたいで、代わりに会員制の、ラウンジができたみたいです。
 「日本には既にカーストがあるのですよ」と、私が常々言い、それに対して、メルマガ時代の読者が反論をしてきたケースがあるのですが、カーストが如実に顕現をしている世界がここにありました。(笑)
 三菱銀行の鎌倉支店のもっとも上得意様は、鶴岡八幡宮さまですが、藤本悌子夫人も、個人としては、上得意なお客だった可能性があります。資産家の資産運用は信託銀行が引き受けるケースが多いそうで、麻生さんが、提唱した「1500万円までは、無税です。ただし、孫に教育費として出す場合は」も、管理は厳重で、信託銀行に預けないといけないのだそうです。だけど、それほどの、大資産家ではないケースでは、銀行本体が、いろいろお世話をしてくれるものです。
 それは、父が亡くなった時に、母が、「(伊藤)深水の、掛け軸(ただし、満州から引き揚げる時に、箱を手放しているし、表装もはがして、母が、帯の間にはさんで、持って帰ったから、お安い。ただし、深水の図録に載っている本物)を銀行が世話してくれて、3千万円で売れたのよ」と言っていたので、わかっています。銀行さんは、日本画コレクター(たとえば美術館)へそれを、売ったのだと考えられます。
 母は忙しいので、ずっとお手伝いさんを使っていました。ある時期には元大学教授夫人と言う名流の奥様が働いていました。その人が、日吉駅まで一緒に歩きながら「千恵子さん、お宅で私が学んだ事は、お金の力が偉大だと言う事です」と、私に言いました。ただし、その母が「お金がある事が、幸せにはつながらないわね」と言っていて、うちの主人を高く評価しているのでした。
 私の連れ合いがいい人だと言う事は、私が、よく発するジョークでも、皆さんにもお分かり頂けるでしょう。「あなたは、100円単位のお金の事はよくわかるけれど、100万円単位のお金の事はわからない人だ」と言うのがあります。事業家タイプではありません。質素で堅実なサラリーマンの典型です。だけど、清潔なところはありますね。そして何が正しいのか、そういう事もわかっているでしょう。
 ところで、2009年5月4日(? 後で、正式な日付を見つけておきます)は決定的な、日でした。アジサイ畑欺もう事件の3つ目の、証拠隠滅が、図られた日なのです。もし、この件を勝負という1点で、考えるのなら、私は、何も手を打たないうちに、完敗したと言ってもいいでしょう。だけど、私が目指すものは勝負ではないのです。人間とは何かという哲学的な考察をする事ですから、そこで、負けたとは思っておりません。
 どうして、そう言いきれるかと言うと、当時は、頭脳優先主義の生活を送っていて、よく入眠できず、ずっと、深夜族だった私が、その日に限って、朝の5時に目が覚めたことが挙げられます。そして、私は、午前7時という自分としては、珍しい時間帯に、鎌倉市内探索のためのお散歩に出て、午前9時に、この山へ帰って来たのでした。そして、山の下の道路で、藤本夫人と出会い、決定的な、証拠隠滅が図られる日だと言う事への、心の準備ができたのです。それこそ、天が見守ってくださっているという事の証拠でした。
 敵は藤本家の御夫婦関係をめちゃくちゃにしたのですが、(それは、過去、どこかに詳細に書いてあります)、今度は我が家の夫婦関係にも手を伸ばし、「奥さんには、この測量の事は教えないでください」と、うちの主人に頼んであったそうです。それで、私は危うくツンボさじきに置かれるところでしたが、天のご配慮によって、きちんとすべてがわかったのです。

 藤本夫人は、私に向かって、「三菱銀行が、お世話してくれたので、私の土地が売れたのよ」と、得意そうに言いました。これは、後でとても重要なセリフとなってきます。一種の捨て台詞ですが、捨て台詞って勝とうと思って発するのに、自分が負ける方向へ行くのです。(笑)
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副題5、『この山の持ち主は、毛利様から、藤本真澄氏へ、移動していた』

 日本史が好きな主人が、毛利家について、よく知っているのですが、毛利様は、もともとは鎌倉幕府の幕僚的存在でした。だが、御家人間の争いで、選択を失敗して、西国へ流れていくのです。でも、この山だけは、江戸時代、および、明治維新後も毛利様の持ちモノでした。
 しかし、敗戦後の華族制度の崩壊により、毛利様は、ここを手放すこととなり、それを買って差し上げたのが、東宝の重役をしていた慶応出身のサラリーマン、藤本真澄さんでしょう。藤本さんは、たまたま山口中学時代は、父の親友でした。私の実家についての知識は、私の実のおば、から、少しですが、私に、入っています。その叔母は、103歳まで生きたし、明治期に女子師範学校へ入学しているし、で、非常に頭脳明晰なのです。我が家も毛利家の上士であり、毛利藩内部の、一種の財務大臣をやっていたとか?
 で、藤本悌子夫人の家ですが、この山の分譲地としては、形がよい方で、崖地としてロスになる部分が少なくて、しかも海抜としては下にありますので、駅に近いという事にもなり、他の家ができる前までは、一番よく見えた場所だったと推察されます。で、義兄が、持っていた土地だから、藤本夫人が、最も良い場所に家を建てたというのも、よくわかります。しかし、うちの主人に言わせると、「あそこはよくない土地だ」となります。「最も、くぼんだところだからだ」ということです。藤本家には、眺望と言うものが、ほとんどありません。しかも平屋を建てています。これでは、ご本人さえうんざりするでしょうと思うほど、暗い家となっていました。南側のまさきや、松、杉類が、造成後40年で、我が家の現在の、北久里浜並の大木になっていましたし。
 ここで、挿入ですが、今度、そこを買った若いご夫婦は、建築家だそうですし、2階のある家を建てるでしょうから、日当たりや、眺望のある家となるでしょう。だから、今度、引っ越してくる人にけちをつけるつもりはないのですよ。

 しかも、安野家の前で行われる、井戸端会議に、抗議ののろしを上げてしまっていたので、嫌われていて、孤立化していました。そして、い汚い、その主流派がいじめ抜いていて、それに対して、中谷共二会長(当時)が、根本的な解決へ向かう事をせず、大勢に順応する方であったので、藤本家のご主人を、自分方の味方にしようとしたので、藤本夫人は、怒って、家庭内別居状態であって、北側にある一室にご主人を閉じ込めて、ご飯さえ作ってあげなかった可能性があり、ご主人は不自由な足を引きずって、ご自分一人分の生ごみを、石段130段を、降りながら捨てにいっていました。パーキンソン氏病にかかっていると私はみて今しt。

 お嬢様も完璧に支配されていたので、毎日出勤するお嬢様さえ、お父様を助ける事が出来なかった模様です。お気の毒でした。

 私は藤本夫人に対しては、常に忠誠を誓った方ですよ。というのも引っ越しの前に聞いていた、トラブル多発地帯だと言う事の原因が安野家の前で開かれる井戸端会議にある事はすぐに分かったからです。それに関しては、一番近い位置にある藤本家は、最も大きな被害者だったからです。
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副題6、『当時の中谷共二会長は、実は会長職には向かない人だった』

 だけど、その藤本夫人も、会長の中谷さんも、私の事をすぐなめて来たのでした。私は文章を書かせると鋭い人です。だが、外見は鋭くありません。色が白くて、痩せていて(最近、やっと太ったのですが、60年間、常に、45キロで、しかも背が162センチですので、痩せていました)、目が小さいです。美人ではありません。手相を見る方によると、結構フェロモンの旺盛なタイプらしいのですが、勉強ばかりしていてそういう方面は磨いておらず、また、常に、すっぴんであって、ともかく総合力で言って、目立たないタイプなのです。押し出しが利かないタイプです。前の住所では、「あなたって生活臭のない人ね。ほんとは、人間ではないみたい」とも言われていましたし。
 いや、「本当にもう、若くして、仙人になってしまっていたのですよ」と、ここでは、言っておきましょう(笑)もっと美人で若かったら、「フェアリーの化身です」と言いたいところだけれど、美人ではないので、仙人と、規定しておきます。

 ともかく、なめられたので、「川崎さんの前の持ち主が擁壁を作らないで、自然のままの山で残している部分(=我が家の崖)を崩してほしいと藤本夫人が言った時に、中谷さんは、『イエス』と約束をしたみたいなのです。それを、事前に私に言ったら、私が反対するので、黙って事を行ったのでした。大きな裏切りです。
 ここらあたり、後で、推敲しますし、その際に写真を多用します。すると皆さんも事情が明瞭になるでしょう。今は文章だけを先に進めます。

 中谷さんによれば、藤本夫人が勝手に、地境石を入れたそうです。それの確定が、アジサイ畑欺もう事件が起こった23年後の2009年、五月に行われたのです。それが上にあげた、私が山の下で偶然に、藤本夫人に出会って、彼女から、勝ち誇ったように、「三菱銀行さんが世話をしてくれて売れたのよ」と言う言葉を聞いた日でした。
 でも、藤本夫人の主張する、「道路が、4mないといけないので、自分の家の塀から、2mのところに地境石を入れます」は山全体を見ても、全く通らない論理なのです。

 めちゃくちゃな論理が通る場所です。でも、どうしてそうなるかを、私が探索をして、紐解いている最中なのが、現在の時点です。
 で、中谷さんは、藤本夫人のおお悪口を私に聞かせて、「一種のきちがいです」と言っていました。ともかく、安野夫人と前田夫人一派に逆らうタイプは、常に、おお悪口を言われるみたいなので、私の事も、さぞや悪口を言われているでしょう。特に最近、新たに引っ越してきた人々に、前田・安野連合軍が、悪口を吹き込んでいる気配が濃厚です。それは、その藤本夫人の測量の日に明快に現れました。新参者が、藤本夫人の見方をしたのです。古株連中はさすがに、黙っていましたよ。それ関与して、どっちかの見方をしてしまったら、将来、自分の方が、大変な事になると良くわかっているからです。
 その詳細は今は語りませんが、彼らのあくどさを証明する必要が出てきたら語りましょう。

 ともかく中谷さんって、度胸が据わっていないタイプでした。本当はこんな難しい場所で、町内会長などできるタイプではないのです。私は当時、『中谷さんは、すでにノイローゼになっている。ここは義侠心を出して救ってあげましょう』と思って、私のアジサイ畑をつぶす案を受け入れました。それなのに、大きな裏切りをしてきたのですから、それは、ひどいものです。会長なんて言う役割はできない人間だったのです。
 まだ、現在の前田祝一氏の方が、町内会長としては、できが良いと思われるほど、だめな会長さんでした。でも、この山では、子供をいい進路へ向かわせた人が、カースト的に格上だとみなす論理がまかり通っていますので、お金持ちである上に、こどもを湘南高校から東大と、慶応に進ませた中谷さんは、トップクラスの階層の人間とみなされていて、それゆえに、会長職を引き受けていたのです。
 でもね、お子さんが優秀な成績だったのは、奥さまの力も大きいのですよ。

 御主人の方は、例の、中学校のいじめ集団みたいな主婦たちを制御できないばかりか、それと対立をしている藤本夫人もコントロールできないタイプなのでした。めちゃくちゃな、対応を示した人で、私に一方的に犠牲を強いたのです。
 だが、抗議した私の論理や行動力に、恐れをなして、山を崩した次の日に、その客間に私を招じ入れ、三時間もかけて説得工作に乗り出したのでした。裏に瀬島隆三がいる事を察して、『だめだわ。この人は、何らかの餌と取引して、こういう事を行っている』と、私はみなしたので、その時は我慢をして、相手の言う通りを、信じているふりをしたのでした。だが、まったく信じていません。既に、山を崩すと言う裏切り行為をした人をどうして信じられます。ただ、単に、米つきバッタみたいに頭を下げて謝罪(ただし、形だけである)をする彼に、根負けをしただけです。
 その後、大原光孝さんが、「川崎さん、知っていますか。中谷さんの息子さんは、東大宇宙工学研究所の所長なんですよ」と言ったので、『は、はーん。そこもひとつの餌ですが、私企業(ただし、一部上場の超有名会社)に勤めているご次男の方に、もっと、その出世への餌の提供の事が強く出ているのでしょうね』と内心で思ったものです。大原さんは勝つ目的でその捨て台詞を放ったのでしょうが、私は中谷さんの裏切りを、傍証する事実として、それを聞いたのでした。
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副題7、『なぜ、藤本夫人は、山を崩せと主張をするのか?』

 ところで、藤本夫人は勝手な地境石を入れて、激しく、私の現在の家の元の持ち主、堀内大衆紙が、違反をしたと主張をするのですが、どこをどう見ても、それは、当たっておりません。

 ただ、藤本夫人が家を建てた当時は、目の前は単なる山だった可能性があります。宅地造成業者によって、側溝だけが設定されていたと仮定をすると、「気持はわかります」となります。つまり、南側が、自然の山だったところに、擁壁が造成されて、しかも、総2階に近い形の建物(でも、西側に寄せて建っていたので、藤本家の日当たりは、保全されていたのですけれどね)が急に建ったら、頭にくるものです。

 その上、堀内大衆家って、中谷共二さんに言わせると、普通の意味で、幸せな家だったそうです。娘さんが結婚をして孫ができて、しょっちゅう遊びに来ていて、楽しそうだったそうです。もっとはっきりと中谷さんの言葉を再現すれば、「藤本家のお嬢さんは、結婚をしていないでしょう。ところがあちらは、娘さんは、結婚をしていて、孫が遊びに来ている。だから、その幸せぶりに対して、嫉妬心があったのでしょうね」となります。

 『ふむ、ふむ、それは、喧嘩が始まるに当たって、ありえる動機ですね』と、私もわかります。父の遺産が入って、新しい台所を作る前までは、古い家の台所に、小さい子が描いたいたずら書きがたくさんあって、堀内大衆さん方のジージ、バーバぶりがしのばれました。夫婦がそろって、お孫さんに特別に甘かったのも推察され、にぎやかだったでしょう。その上、元映画館の館主だったという堀内大衆さんの妻なら、奥さんも庶民的な人で、例の井戸端会議にも気軽に参加をしたでしょうね。すると、そういう身軽さのない、藤本夫人は当然嫉妬したはずです。
でもね、私の土地って、東急Livable で、売買契約をしたのですから、違法な土地ではないでしょう? 

 今度の藤本邸の売買も、実際の交渉は、三菱銀行ではなくて、東急Livableが間に立っているみたいです。が、なんと、矛盾をした商売を、東急Livableは、やっているのでしょう。驚いてしまいます。より気があったら東急Livableに問い合わせに行かないといけません。
 でも、そういう矛盾が強行されるのが、瀬島龍三、もしくは国際的軍産共同体のエージェントたちが絡んでいる、ケースの常なのです。

 ともかく藤本夫人はお嬢様育ちで、わがままなところがあって、ちやほやされるとご機嫌がいいのですが、敵対する人は許さないというタイプであって、私が引っ越してくる前は、堀内大衆家を目の敵にしていて、堀内家が引っ越して行ったら、今度は前田家を目の敵にし始めた模様です。
 私は、堀内家の様子は、中谷さんから聞いただけですが、前田家の様子は、自分で観察したので、すべてをわかっていて、藤本夫人の主張も無理がないなあと思って中谷氏に協力をしようとしたのです。だけど、突然の大裏切りにびっくりして、アジサイ畑を提供するのはやめますと言っているのですよ。だけど、強行をされました。

 私は俯瞰的に、すべてをわかっていながら、これも含んで、ご近所問題については、ずっと、看過していて、美術系の大芸術家になる事を目指していたのですよ。だけど、前田家が『ペンキ塗り御当番事件』ほか、『おはねつき事件』とか、『記念撮影事件』とか、『ちよこれーと遊び事件』とか、『雨戸がたがた事件』とか、起こすものですから、だんだん黙っていられなくなったのです。安野家も同時進行的にひどい事をやっています。これは毎日、二十四時間体制でやってきますので、大変ですが、その分、いろいろな事が良くわかります。

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副題8、『孫を使う諜略行為と、井上ひさしの役割の判明』

 ここで挿入ですが、前田家と、安野家に孫ができたころ、その孫を使って、いろいろやられました。つまり、私が書いた文章を詳細に検討している、エージェント(たとえば、その一人が、いまだ、実際には生きていて、地下潜行をしている井上ひさしですが)が、上記の『藤本夫人は、堀内家に孫がいる事をうらやんでいる』という部分を取り出して、藤本夫人に似ている生活態度(それは、井戸端会議には加わらないという形で明瞭であろう)を、とっている私を悲しませるために、行った諜略行為の一種でしょう。しかし、そういう事をやればやるほど、彼らの本質をも暴くものとなるのです。小細工は、必ず両刃の剣となっています。

 たとえば、<安野夫人が娘さんにとっての、実母ではなくて、孫にとっても、実の祖母でもない>というのがさらに明らかになってきます。と言うのもプリンターを外部からしょっちゅう壊される私が、コピーを取ろうとして真夜中コンビニに出かけた日の事、目の前で、安野家の門が静かに開いて、娘さんが、二人の幼子をひきつれて山の下へ降りて行ったのです。『は、はーん。以前にも見知っていた事だが、お母さんに、いじめられましたね。それをご主人(外国人であって、海外に住んでいる)に、電話で訴えたいのだけれど、長話になった時に、お子さんが起きて泣くと困るので、二人とも連れて外出するわけですね』と、わかってしまい、それを別の日に文脈上必要となって、このブログの世界で、書いた途端に、お孫さんの来訪がやみました。でも、安野家の方は、夫婦にとって、本当の子供でも孫でもないも同然です。だって、3人も子供のいる前の奥さんを捨てたのだから、あのご主人も、子供を愛しているとはとても言えない人です。奥さんに至っては、引っ越してきてから、たった2カ月のうちに本当のお母さんではないと、わかったほど、偽物お母さんぶりが際立っていました。
 態度そのものは、優美なのですよ。優雅なのですが、誠実さも、賢さも見えない態度の連続だからです。母とは、ああいうものではないのです。彼女は演技をするのが、好きなだけの人です。

 だけど、前田家の方は本当の御子さんであり、本当のお孫さんでしょう。それは、遺伝的な素質を見ても顔がそっくりだから、よくわかります。ところが、ご自分のお孫さんを使うばかりか、時には他人の子供や、孫世代に当たる他人の子供を使います。不思議でなりません。だって、国学院大学の講師と、駒沢大学の教授と言う夫婦なのですよ。教育心理学等を、学んでいるはずでしょう。だけど、実践例が下品すぎる。考えられないほど下品です。また今度、暇があったら、実践例を語りますけれど・・・・・今日は彼女に関しては、矛を収めておきましょう。

 ところで、こういう諜略行為の裏に、伊藤玄二郎と、井上ひさしの二人羽織の企画である事が、見え見えな時があるのです。で、・・・・・・なんとひどい人間だろう。自分にも子供がいるだろうに。ただし、前夫人との間のお嬢さん方は、かわいくない模様だ。後継者として、三女を選んだそうだが、それは、複雑な思考回路に耐えられる人間だからであり、ゆり夫人と、その間にできた坊ちゃんを温存して隠して置くためであろう。真実の愛情は、好子夫人との間の3人のお嬢様の間には、生まれていない模様だ。・・・・・と、書いた途端に、鎌倉市の防災無線が、「鎌倉市は子供を守ろうキャンペーンを行っています」と言ったのです。時間的に五分も経過していませんでした。その日以来、井上ひさしが、生きている事は確信をしています。で、各種の諜略行為の案を練っては、それを然るべき筋に、提出しています。

 彼は自分のパソコンに、私がブログを書き始めた途端に、アラームが鳴るようなシステムを構築してもらって、常に同時進行的に覗き込んでいるでしょう。アップして公開する前に、内容を知っていて、それに対応する妨害を加えて来ています。最近英語のセキュリティソフトが、削除しても削除しても、入り込んできて、マイクロソフト社からだと言いますが、それを、画面からどけるだけで、都合3分はかかります。で、それも、私のパソコン内に、起動するようなスイッチみたいなものを、自分のパソコンにアイコンとして入れ込められているでしょう。で、面白い事に、それは一つの文章を書く際に、200回ぐらい起動するのですが、起動するタイミングに特筆すべきポイントがあって、文章をわかっている人間固有の、癖があるのです。

 それは、全く新しい事を書いている時は、のぞきこみを担当している人間自身が、興味をひかれるらしくて、その妨害ウィンドーが開かないのです。が、繰り返している文章の時は、彼ら本人が興味がないので、妨害ウィンドーが頻繁に開きます。それと、もっとも重要な部分でも、書かせたくないと思うのか、開きます。その傾向を読みながら、文章を書いていくのも面白みがあります。その妨害ウィンドーは画面が英語で、マイクロソフト社が配信していると語ってはいますが、こんなソフトが実際に機能していたら、全世界からブーイングが起きて、マイクロソフト社は商売が上がったりとなるでしょう。で、これは天城旅行以前にもあったCPUが不足していますと言う警告(だが右下隅で、小さいウィンドーだった)と同じ傾向のもので、より派手になっただけの、妨害工作だと感じています。
 そう言えば、一昨日だったかな? ひょっこりひょうたん島の歌をしつこく繰り返してテレビが放映をしてました。死んだ事になっているので、どれほど、自分で自分を称揚するように各界に伊藤玄二郎を通じて働きかけてもらっても、不思議ではないわけです。うまい仕組みを考え出したものです。
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副題9、『そう言えば、昨日片山容疑者が、またぞろニュースになりましたね』

 アイデアを出すのは伊藤玄二郎と、井上ひさしの二人組で、それに協力するシステムエンジニアは、これについてはアメリカにいる可能性はあります。ただし、日本人でも英語が堪能な人間はいますので、いかにもアメリカ発みたいなソフトを作成する事は可能でしょう。普段入れ込められるバグよりも相当に高度な仕組みを持っています。でも、これも、井上ひさし、生存説を裏づけるものとみている私です。
 
 ところで、現在、政府の公務員たちのメールを他人が閲覧ができるという問題が浮揚しています。それも、私がパソコンの被害を語る際にいつも現れる、「雨宮舜岳の被害ではないのだ」と敵が主張したがっている一般的なトラブルのニュースですが、本日また、片山容疑者が引っぱり出されました。

 となると、今回私がトラぶっているこのアプリも、国際基督教大学で同期だったKK君と彼が使う事の出来る部下たちが作成をしている可能性はあります。片山容疑者は、ほぼ冤罪だと私はみなしています。この本命の方を隠す目的で使われているダミーでしょう。私のパソコン被害を語るために、それは、一般的にも起きている事だと語りたい連中が次から次へと、IT的な脆弱性を語るニュースを作り出しているのです。
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副題10、『かっこうの託卵、受験の面倒も、就活も、経験しない母は楽ですね』

 私から言わせれば、引っ越してきてすぐわかった諸悪の源泉は、安野夫人主催の井戸端会議にあります。毎日、隘路となる場所(細口花瓶の口に当たる部分で、番長主婦たちがにらみを利かせている・・・・・その人たちには、頭を下げないと生きて行かれない。それは、ありとあらゆるいじめリンチ集団と、コンセプトは同じである)で、行われているので、山中の人が影響を受けるものです。

 彼女の悪女ぶりの、具体的な例をあげたくなるのですが、ここでは字数が増えるので、やめておきます。恰好だけは若尾文子並に優雅で素敵ですが、実態は、意地悪な女性で、お子さんがたは息をのんで、生活をしている恐ろしい家です。それが、種々様々な実例でわかるのですが、ひとつをあげれば、当時は高校生だったご長男は高校卒業後、一切家へは寄り付かない事でも理解できます。前のお母さんの思い出が、しっかりある御子さんだからでしょう。
 次のお子さん(=孫ができた御長女さま)は、お孫さんが、幼稚園時代に、3回か4回ほど、夏休みを利用して帰国して長逗留をして行ったのですが、私が自分の被害があまりに大きいので、上に書いたような孫を利用する前田家のエピソードを書き始めた(同じ章に、安野家のエピソードも加えている)途端に、来なくなりました。彼女が来日すればするほど、安野家が隠している秘密がぼろぼろ外へ出て来てしまうと、例の悪人たちが考えた模様です。
@@@@@ここから先は、あす12日に整理・推敲をさせてくださいませ。

 ところで、連続してお読みいただいている読者の方なら、3番目のお子さんの受験や就職にまつわる疑惑がある事を、私が既に曝したのを、御承知でしょう。それは、仰々しい、大学付属高校後入学おめでとうございます事件に、依って、1986年の3月に私には、分かったのでした。それ以来、彼女は一切の子育てから解放をされたのでした。唯一、心が通じ合っていると彼女の方が信じているらしい次男さんは、遠く舞鶴で、寮生活を送っています。かつ、大学受験の必要がなく、就職運動(当時は、就活と言う言葉は無かった)は、必要ではありません。自動的に海上保安庁に就職できるからです。そして一生の収入を保証されるからです。

 で、普通なら、絶対に井戸端会議など、やっていられない年齢なのに、暇が有り余っているから、それを続けていたわけです。しかも、それをやる事によって自分が上に立てる事がわかっていて、それが目的でした。
 私は、武蔵野美大の教授である保田春彦先生から、奥さまの業績をまとめたご本を頂いた事があるのですが、その中に、美術作品とともに、つぶやきというか、詩となっている奥さまの言葉も入っているのです。その中に、あるもので、もっとも感銘を受けたのは、「子供とは、大人になってからの方が、大変なのだ」と言う感慨の吐露です。本当にそうなのですよ。大人になってからの方が気がかりな事が多いのです。
 
 子供が小さい時には、おむつを替え、後を追いまわして遊ばせるなど重労働が必要ですが、安野夫人の場合は、それは前の奥さんにやらせておいて、普通なら思春期や青年期に必要な、受験や就活の、親としての心配(ただ、待ち続けるだけだから、しんどいものです)も、一切なくて、ただ、ただ、私は3人の子供を育てた勝ち組の母ですと言う形で威張っていて、真実を見抜く目がなくて、しかもアジサイ欺もう事件の後で、引っ越してきた人々を、煙に巻いているわけです。

 ここで、前田夫人の御成中学PTA総会での武勇伝と、前田家での大学受験時代の事(私は、悩む彼女から、相当に失礼な措置を受けたので、それを語る資格がある)を語りたいのです。それこそ、大人になった子供の事は大変ですの実例です。が、字数制限の事を考えて強引にそれをひっこめます。ともかく、安野夫人と前田夫人が主導した、井戸端会議は、後ろで、瀬島龍三が、許可し、支援していたので、普通ならあり得ない年齢でも、行われ続け、はた迷惑の限りをつくし続けたのでした。それが、アジサイ畑欺もう事件の主因です。

 が、日本におけるエージェントの代表格の瀬島隆三は、自分たちが北久里浜で行った悪事の裏側を知っている私を、間接的に暗殺したいわけですから、安野夫人を使って、事を成就できるのなら、何もかも、願ったりかなったりの進行状態だったでしょう。そして、この鎌倉地域で、主婦たちを陰で動かす役目を伊藤玄二郎に任せていました。

 伊藤玄二郎の方は、その御奉仕の結果、関東学院大学の教授にもなる事ができたし、ポルトガル国から、エンリケ皇太子勲章を授与されています。ここら辺りも詳しく書けば、10万字を超えますので、今日は詳述部分は、ひっこめておきますが、いい気なものです。だが、その授勲の根拠になっている『びょんぶ(河出書房新社刊)』は2012年度中に探し回ったけれど、どこにも見つかりませんでした。、
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副題11、『三菱銀行が、彼らエージェントたちに、利用をされているケースを、他に語ろう』

 さて、藤本夫人が土地を売った事は、彼ら国際的軍産共同体の日本人エージェント、特に伊藤玄二郎にとっては大助かりの一件でした。アジサイ畑欺もう事件の証拠隠滅が三段階目として進んだし、さらに、藤本家の植木類を、のちほど、全部伐採して行きますので、4段階目、5段階目の証拠隠滅を図って行きます。そのうえで、時間を、五年ほど経過させて、この2013年5月28日に、前田氏は、私に向かって「あんたのブログが迷惑行為に当たるから、刑事訴訟を起こしてやる」と言ってきたわけです。

 驚いてしまいます。その悪辣ぶりに。証拠隠滅を図っておいて、自分たちの方の悪は、すべて隠しておいて、そのうえで、正当防衛の一種として、また、ヒットラーがどうして生まれたかの哲学的研究の一助として、その悪を書きとめている私を、刑事訴訟(?)で、世の中から葬り去ろうと言うわけです。

 NHKニュースを利用したり、外交関係を利用したりする段階でも、私が堂々と真実を書き続けるものだから、敵たち悪人は、鉄砲玉として、具体的な人間(この場合は前田祝一氏)に、言葉による恫喝をくわえさせたわけでしょう。この一件は、どうせ、彼、一人だけで、考え出した事でもないでしょう。裏には伊藤玄二郎他の指図があったと思います。
 でも、ここで、ついでだから前田氏にも言っておきますが、「あなたの方が、私にかけた迷惑行為の方が先にあって、しかも、私は、毎日それを目にしますよ。あなたの奥様が主因となって起きた、アジサイ畑欺もう事件によって、奪われた山、奪われた土地、そういうものを毎日目にするのは私の方です。朝刊を取りに行く際、お買い物に行く際、郵便物を摂る際、夕刊を摂りに行く際、それを一日につき四回も、目にしますよ。その上ペンキ塗り御当番、おはねつき事件、ちよこれーと事件とやりたい放題ではないですか? だから引き続いて書いていきます」と言っておきましょう。

 でも、それはともかくとして、藤本夫人が、自分の家をたった1200万円で売り払ったその値段には驚きました。2008年当時は、不況だったとは言え、鎌倉駅まで健脚なら、徒歩12分の距離にあり、東側は鶴岡八幡宮と言う風光明美な、山の上の家、土地は、ロスの少ない形で、利用できる正身が、45坪程度(公簿上は65坪程度だろう)が、実質、一千万円です。売値1200万円でも古い家の解体費用が、重機もトラックも入らない場所なので、高くとられるはずですが、ともかく、藤本夫人が手にしたのは、1000万円以下でしょう。ふもとで、車を使える場所で、藤本邸より、より駅からは遠いところでも、4800万円程度で売っていますので、1000万円とはお安いです。

 この一件は、藤本夫人の実家の縁者の死亡と、その遺産相続をきっかけとして、三菱銀行がお世話したという事になり、平凡な、流れではあります。異常なものではありません。ただ、「お値段を安くなさいませ」と銀行側が勧めたと仮定をすると、その部分に例の腐臭(=証拠隠滅を図り続けていた伊藤玄二郎側の意志)を感じるわけです。
 でも、藤本夫人が、「仲介したのは、三菱銀行よ」と、私に言ってくれたのは、とてもありがたかったです。どうしてありがたかったかは、のちほど別の機会に語ります。伊藤玄二郎たちは、国庫金、県の税金、市の税金を平気で使って、自分たちの悪事の隠蔽に励んでいますが、鎌倉市においては、その一行員の労働力の提供と言う形で、三菱銀行さんも、悪人側に組み込まれているのでした。それがわかっただけでも、大助かりです。

 三菱銀行、鎌倉支店長様、どうか、雪の下二丁目の我が家近辺にご訪問を下さり、現場を見ながら、私の口からアジサイ畑欺もう事件を説明をさせてください。そうすると、すべての裏側を、御理解いただけますでしょう。
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副題12、『三菱銀行のカードが、このカードは第三位レベルのものなので、現金を引き出せませんと言った夕方の事』

 このカードの一件は、すでに、書いています。

『三菱銀行のカードが、貴女は、第三位の貧乏人だから、現金がおろせませんと、ATM画面で言う△
2013-04-09 22:30:54 | 政治』
 です。

 特に、最近横浜銀行鎌倉支店でも、カードの異常が起こりました、突然に、カードが使えなくなったのです。無論、これは、例の連中が起こした事であり、前田祝一・清子夫妻、及び安野家を救おうとする働きの一種でしょう。私が五億の被害がありますと良く言うのは、こういう事も全部を含めるとそうなるわけです。

 ずるいという言葉などでは、とても表現ができないほど、ずるい人が、前田夫妻と、安野夫妻なのです。そこに石川和子・柳沢昇が加わって最強の連合軍を作っているので、他の人も、そちらに、従っているという構図です。以前は、私の、この種の文章の主役は、自分から、「私は、伊藤玄二郎の愛人だったから、彼に良くしてもらっている」と吹聴をしている傲慢極まりない女性、石川和子さんと、その現在の夫柳沢昇でした。ところが、最近は前田夫妻の跳梁跋扈が、すさまじいので、主役がそっちに移っています。(笑)

 それについても、私独特の解釈があるのです。私の文章を詳細に検討すると、時々ですが、前田祝一氏をほめています。それを利用されているのです。私がほめている人物が、私に敵対してくる方が、私が馬鹿にしている人物が敵対してくるよりは、効果が高いだろうと、彼らはみなしています。はい、そういうわけです。(笑)

 なお、この一文ですが、写真をもっと添えないといけません。写真は、探さないといけなくて、それに時間がかかります。で、それが終わったら完成としましょう。
なお、このブログの2010年度より数えはじめた伸べ訪問回数は、1703369です。

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