銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

文部科学省(26日、虎の門)から、芸大(27日、横浜)へ

2010-07-27 12:09:02 | Weblog

 ご訪問者の皆様へ、罫線、=====以下の部分は、26日の深夜に書き、午前三時半に推敲を終えてアップしたものです。しかし、本日、27日に、新情報を耳にいたしました。特に芸大映像研究科の設立経緯について、私側に誤解があったかもしれませんので、それを正す意味でも、新情報を書き加える必要を感じています。で、、後半の罫線*****以下にそれを、付記させていただきたいと感じます。しかし、書く形態は、ツィッター方式をとらせていただきますので、最終的な完成は、午後一時を見込んでおります。どうか、よろしく。

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 今日もツィッター方式でお送りをさせてくださいませ。頭の中には、もっと、切実なものがありますし、この文章を今日の時点でさらけ出すのは損だなという思いもありますが、ともかく、午前三時ごろまでに完成できるものとすれば、単純な話題でなければならないのです。

 文化庁からと認識をしていたのですが、一月以上前から「活動報告書を送ってください」という郵便が来ました。これを、私は嘆かわしいことと受け取っていたのです。パリから帰国してすでに12年がたっていますが、こんな書類が郵送されてきたことは過去に一回もありません。しかも普段ですと、文化庁に提出する書類の字数は意外と少ないのです。A4の紙の四分の一程度です。しかし今回は数頁にわたって多数の書き込みが必要です。

 『これって怪しいぞ』と思いました。暗喩としての、脅かしで、『新しい本の制作と、出版を抑えろ』という命令ではないかと感じたほどです。
 実は七冊目用のデータの中に、文化庁が映画の助成金を出す際、どの程度審査しているのかという疑問を呈する部分があります。

 特に映画『TOKYO』が大問題です。映画『靖国』に関しては大勢の人が論議の的としており、十分に世間に知られていると思いますが、こちらのほうはあたらなかったこともあって、ほとんど論議の対象になっておりませんが、大問題がある映画です。

 三話形式ですが、第二話のL.カラックス監督の部分が大問題です。で、私が、本の試作品一冊目を大体完成させて終わり、試作品二冊目として、こちらの映画に関する本の編集を始めた6月初旬から、大相撲疑惑も起こり、身辺もいろいろおかしくなったので、一冊目より、こちらのデータの方が、国際的軍産共同体にとっては、危険だとみなされていると判断しました。

 内容は『消された映画』についてです。当初は大衆を心理操作する目的で作られた映画が、あまりにも悪辣だと、他者が気がついた際に、製作側本人が反省して引っ込めたケースもあるだろうし、軍産共同体が、圧力をかけて、存在を消し去った映画もあるのです。

 それらについて述べております。

 トライアル一冊目の方は、雅子様とか、稲盛和夫さんを中心にして、実態は、小沢政治批判でした。それも自分にとっては、十分に危険な本だと認識していましたが、映画の本の方がより大衆に訴える話題なので、より広範囲の読者に訴求力があるとみなされているのだと感じました。ですから、間接的に政治に踏み込む、こちらのトライアル二冊目の方が、小沢批判という直接的な政治本より、より高度に、警戒をされていたわけです。

 もちろん、それは十分にわかっていますから、自宅でやらないのですが、どうしてか、インターネットに接続しないでも、把握をされるのです。

 錦糸町の、スーパーの六階にある、自然食系のバイキングレストランで仕事をしていても、画面が白閃化(ホワイトアウト)して、一切が消えてしまったりして、『あ、ここでも追跡されているんだ』と感じました。これはマイクロソフトのワードに何らかのバグ・・・・・たとえば、仕事開始後、50分目に画面が白閃化することと、命令をされていると仮定する・・・・・が仕込まれていると、こうなるのでしょう。

 で、『文化庁を批判するのなら、在外研修生の資格を剥奪されても仕方がないなあ』とは思いながら、でも、『それって、よく考えると、片手落ちでもあるし、単純に、受け入れるべきでもないわね』という思いもあって、その書類を出すのを控えていたのです。だって、最近でも、映画コーヴの上映の際にはその『言論の自由』の論理が大手を振ってまかり通ったわけですし。

 しかし、こういう問題のある書類は、盗まれるケースが多いので、肌身に離さず、持ち歩いていました。一ヶ月間も。・・・・・私が家庭内では、ころころと呼ぶ、アテンダントバッグに入れて外出の際は、持ち歩いていたのです。が、それが重いのです。パソコンも入っているし、校正用、プリントアウト、256頁分も入っているし、CDやモバイルハードディスクも入っているし、<<<同じくすでに数冊は盗まれてしまった>>>住所録一冊分も入っているので、引っ張るだけで、腰が悪くなってしまいました。

 あのね。皆様は携帯に住所等を記録なさっておられると思いますが、私は携帯を持ち歩くと、そのGPS機能を利用されて、いく先々で脅かされるので、携帯を使いません。2008年の四月1日の朝の六時に車も人も誰もいない集英社前に、二台のパトカーが待っていたことはお話をしてあると思います。その上、いまでは、パソコンにもいつの間にやら、GPS機能が、入れ込まれていて、携帯を持ち歩かなくても追尾されていて、脅かされ続けています。電車の遅延も見事に繰り返されます。

 でも、すでに、気にしていませんけれど、不便は不便です。普通の人が駆使している携帯を使えないと、『使用料も延滞した貧乏人だろうね』と誤解も受けるみたいで、参るときもあります。それに、機動隊のバスやら、パトカーに早朝六時に出くわせばそりゃあ、ドキッとして、私には行動の自由は、まるでないのだなどと憤慨していましたし、今でも引き続いているので怒っています。が、今では、相当の部分で「はい、はい、そうですか。わかりました・ざんすよ」という程度で受け流せるようになりました。

 ただし、調査に出向くことはまだまだ、警戒をされていると感じます。これから、登記所にでかけたりすると、またまた、職員が白目で、迎えるということとなるでしょう。覚悟の上で生きていますし、『自分が語っているものが真実であるからこそ、これほどに、警戒をされるのだ』と、納得もしています。

 それで、元に戻って書類の盗難の予防のことに入ります。重い荷物を、半分に分けて、一方を主人にオフィスにまで持っていってもらう始末です。気を使うという意味で、超・大変なのですよ。私の日常って。だから、被害総額が五億円というわけです。

 後日実例を、もっともっと、詳述します。そうすれば、皆さんも「なるほど、五億円といえますね」と納得をなさると思いますけれど。まあ、それは後まわしにして、文化庁の件に戻ります。

 しかし、そんなに気を使って保護していたのに、やはりというか、想定どおりというか、その書類は盗まれました。しかも、このたった、2,3日のうちにです。
 土曜日にお墓参りに行って留守にした間か、日曜日に同じく二時間ぐらい留守にした間か、詳細はわかりませんが、どこかで、私が防衛を忘れたのでしょう。『今日は、東京までは行かないのよ。鎌倉近辺だから』という油断もあったと感じます。しかも、あまりにも暑いので、そういうミスがおきても無理もないと、感じます。

 さあてね。主体性をこちらが持っている場合は気強くいられますが、盗まれた結果出せないとなると、こちらに主体性がなくなり、こちらが弱くなります。『どうしようかな』と、一日熟考した挙句、ともかく、背水の陣を張りながら、文化庁へ出かけてみることといたしました。

 その際、マイケル・ムーア監督の手法ではないが、ビデオカメラを持っていこうかと思ったぐらいですが、15年以上前に買ったもので、重いし、どこにしまったか忘れたので、探すのが面倒ですので、手ぶらで出かけたのです。が、ビデオカメラを持っていた方がよかったというほどの、失礼な扱いを受けました。

 ただし、善意に考えると、それだけ、私の会話能力が高いとみなされている可能性はあります。私は実際の人物と出会って会話を交わせば、裏側に何が隠されていても、ほとんどの真実はわかってしまいます。だから吏員に、面談をさせないように、工夫をしたとも考えられます。

 まず、去年まではすいすいと自由に入れた建物自体に入れないのです。文化庁のビルの入り口に二人の中年のガードマンがいて、身分証を出しなさいといいます。それは、覚悟の上ですから逃げも隠れもしないので、出しました。すると、運転免許証でないとだめだといいます。それは、私は持っていません。母が「あなたは夢見る夢子さんだから、車の運転はやめなさいね」というから、教習所に通ったことがないのです。で、ボクネンとした顔をしていると、それは、国民保険証でもパスのようでしたが、次に言われたのは、「アポがないとだめですよ」という言葉と「団体の代表でないとだめです」という言葉です。あっけにとられましたが、ともかく、内容を丁寧に説明して、通してもらえました。

 が、2階へあがる階段が封鎖されていて、仕方がない形で、次に控えている高層ビルの、合同庁舎(実質的には文部省)の入り口に、向かうように仕向けられました。そこには、なんと、五人のガードマンが立っていて、さきほどより、さらに、厳しいので、これも憮然とします。文化庁は、その新高層ビルの前にある、古びた六階建てのビルの方に入っているはずなのに、そこにも入れてもらえず、文部省にも間単には入れない模様で、にっちもさっちもいかないという具合です。これは、おかしいですね。数年前とはえらい違いです。

 ともかく、そちらのガードマンたちは、先ほどのおじさんたちとは違って、制服も高価そうな、若い男女ですが、『こんなに多数のガードマンが必要かな? この財政緊迫のおりに、変だぞ』とは思いました。

 でも、ともかくですが、電話だけでも文化庁の担当者に通じました。で、再発行していただけますかと、問い合わせると、その書類は多分、『在研の会』から送られたものでしょうとの答えです。『在研の会』とは一種の同窓会で任意の団体のはずです。ただ、すでに、法人になっているのかもしれません。が、ともかく、一応はほっとしました。民間の団体には、言論の自由に対する規制力はないはずです。

 ただし、あの会に、それだけの財力があるかどうかは、不明ですが、時々厚手の同窓会名簿が作られますので、それようの資料集めが狙いだったのかもしれません。そうだったら、自分が早とちりをしたことになります。で、今から再請求をしても、「提出期限が過ぎています』といわれる可能性は出てきました。一時期私は、幹事長・島谷晃さんの秘書役みたいなことを頼まれて、やっていたのですが、あそこの会が、維持費で建物を借り、人を雇い、広報を出す上に、こういう名簿を作る資金力があるかどうかは、不明です。何も詳細は知りません。

 で文化庁の担当者に対しては「そうですか」と、その件では引き下がり、別の件を問い合わせをしました。

 ドマーニ展についてです。これは、一種の卒業発表会みたいなものですが、私は一度も招請をされたことがなくて、すでに11年も過ぎています。同期で行った方はすでに皆さん、それに招かれています。だから、招請されないのは、悪い意味での、差別だなと思っているし、どうして差別されるか、その理由を知りたいと思っています。もし、この軍産共同体の件で、裏から手を回されて、招請されないのなら、それも、瀬島龍三、伊藤玄二郎、小沢一郎元幹事長等(?????)の悪を証明することになるから、追求したいのです。

 ただ、自分からそれを言うのは、さもしいこととなるのは理解していますので、今まではそれを問い合わせたことはありません。が、今現在の私はこれから先に出す予定の本のデータを守るということについては必死ですから、その目的の一環として、問い合わせたわけです。

 でも、「担当者がいない」という形で、これは答えを、はぐらかされました。
~~~~~~~~~~~

 で、そちらへの質問が終わったので、今度は、文部省に対して、質問を開始しました。そのトライアル二冊目の本の中で白眉の部分としての、『L.カラックス監督の大問題のシーンは、横浜の、芸大映像研究科内でセットを組んで撮影をされた』といわれています。

 日本人としてみると暗澹たる気持ちになるくらい、暗い惨めな映像(現実にはありえない裁判の場面とか、絞首刑の場面)が、銀座や、渋谷でのロケも含めて、たった、二週間で撮影をされたそうですが、芸大の研究室が提供されたことも大問題だと私は考えています。
 特にパリにならあるであろうが、日本では実際にはありえない、黄土色をした地下下水道のなかに、戦車が保管されていて、その胴体に、旭日旗が、描かれている場面など、大問題すぎる大問題です。主人公メルド(くそというフランス語が当てられている)は、現在の銀座を疾走するのですから、これは、外国人には現在の日本であると誤解をされます。

 で、この問題を追及するためには、まず、北野武監督がどうして、この財政逼迫の折に、新しい学部を横浜に作ってもらえたかを追求する必要があると考えました。非常なる特別待遇なのです。上野の芸大キャンパスの一隅を使うわけでもないのです。変です。

 しかし、大学設置局というところは逃げ回ったという形で、大学支援局というところに電話が回り、上級公務員でも中級公務員でもないと言う女性が、対応してくれました。一応明日、27日にメールか電話で、詳細(?、それは、その事情を知る人物の、最寄先を教えてもらえるということらしいが)が知らされるという形で今日は終わりました。

 さあ、これから、どうなるかなあ。映画コーヴが、日本人にとっては切なくて、いやな映画であっても、それが、言論の自由のひとつとして、日本で、上映されなくてはなりません。ところで、映画コーヴは十分以上に面白いので、大変に厄介です。特に主役のオバリー氏に『いるか漁は悪いことだ』という信念があるので、説得力が高くなります。

 私が敵にすさまじい勢いで弾圧をされるのも、そこが共通するポイントかもしれないのです。私は一見するとやさ女(やさおとこではない)です。が、本当の男性と見まがうように堅固なところも持っているのです。信念に裏打ちされた堅固さです。今対峙している敵側のおっちょこちょい振りを考えると、私の方がしっかりしているという面もあると感じています。

 ところで、コーヴに比較をすれば、映画『靖国』は、音声が悪くて、それに途中で悪意が見え見えなので、かえって、反面教師となっていて、靖国神社と小泉さんに同情することとなります。が、コ-ヴの方は有無を言わさずに、太地町の漁師たちが悪人と見えます。

 海外で上映されたら、完璧に日本人が野蛮で悪人と見えます。だけど、超がつくほど面白いので、大変なことになりました。でも、ちょっとどうしようもないのは、日本の資金を使っていないことです。文化庁(最近では、芸術文化振興会ということとなっている、外郭団体が映画への助成金を出すこととなっている)が、支援をしているわけでもないので、どうにも上映を阻止する手段がないのです。困ったものです。

 一方で、L.カラックス監督の映画『TOKYO』はそれほど、単純ではありません。暗喩に満ちていて難しいと思われています。それで、それをわかった振りをすることが、モダンで進んでいて、かつ賢いとみなされるのでしょう。おしゃれな、(と、自称をしているらしい)評論家たちが、ほめまくっていますが、大きな問題を含んでいます。

 ともかく、6月のはじめには、映画『TOKYO』に関しては、一切の情報がインターネットの世界からは、消えておりました。三話目を担当したボンジュノ監督のwikipediaにも、二作目に登場した俳優陣、石橋蓮司氏や、島田久作氏のホーム頁からも消えておりました。三話目に出演した香川照之氏のホーム頁からも情報は消えていました。

 しかし、私側のその試作本の編集やデザイン化が進むにつれ、Piecies of Tokyo というDVDが販売されていることと、インターネット上の情報が変化して来ました。こうなるから、自分を大人物だとみなしたくなってしまいます。だって、手に取るようにその変化の理由が、理解できるからです。
 しかし、そのDVDは値段が、1800円弱ですので、Piciesという題名どおりに、断片的に、一部分が提示されているのでしょう。となると、問題のシーンは隠してあるはずです。ずるいですね。しかも、外国では、全部が上映される可能性はあります。だから、日本人が今でも戦闘的で、野蛮であるという宣伝になってしまいます。大変困った映画です。

 しかも、その省略DVDは、私が注文しても注文用画面が最後までは進行しません。購買を妨害されているわけです。

 このようにして、映画も利用されて、四方八方から、その心が蹂躙され、傷つけられ、辱められているのが現在の日本と、日本人です。それに気がついてしまった私は個人的には、大弾圧を受けて、大損をしているわけです。・・・・・でも、使命感に燃えて元気ですよ。元気、元気です。相対的に誰かと比較して元気というわけではなくて、私自身の内部では、数年前に比べれば、元気になったと言うことです。すべの裏表が見えてしまったので、明快になってきていて、したがって、元気になりました。理由や因果関係が、わからなかった時期もあって、そういうときには、これらの被害に、参っていましたが、今はすっかり解消して、元気です。では、今日はこれで。
 午前二時半で、まだ、夕飯も食べていませんので。
                2010年7月27日午前、三時二十分  

********************

追記;1 前書き

 ありがたいことに、本日横浜の東京芸大・大学院、映像研究科から、お電話がありました。ということは、上の文章内で、文部科学省の警備体制に、大いに不満を感じたと述べていますが、最終的には情報が入ったということで、担当者、(国立)大学法人関係の第二支援課の方は職務を全うしてくださったわけです。それは、感謝申し上げます。

 本日の朝お電話を下さった方は、教務畑の方ではなくて、事務畑の方だそうです。ですから情報は整理されているもので、それを、逐一記録していく作業は罫線*****より上の文章とは、テーストが変わってきますが、それは、お許しくださいませ。ただし、内容は正しく伝えるつもりですが、電話の言葉をストレートに書き記すのではなくて、私なりの、文章に変換はしております。

追記2、本文

 芸大の内部に、『将来構想委員会』というものがあるそうです。そこで、芸術の新しい分野である映画、テレビ、アニメ等を学び研究する新学科の設立が検討をされ始めたそうです。その構想は平成14年ごろから相当に具体化し始めました。

 と、同時進行的に、横浜市が、映像文化都市構想、および、芸術文化都市構想というものを立ち上げて、そちら側から芸大に対して、働きかけがあったそうです。

 それで、東京芸大と、横浜市の連携協力に関する協定書というのが、交わされ、横浜市の持ち物である通称バンク(元は銀行の支店だった)を使うことが大体決まり、

 文部(科学)省へ平成16年に設置申請を出して、
 平成17年に大学院の一部門として、映像研究科が設立をされたそうです。

 北野武、教授の実現の前に、複数の候補があったが、最終的には、北野氏が選任をされました。芸能活動もあるので、集中講義をする特認教授という形だそうです。

 私がどうして、こういう質問をそちらに投げかけたかの動機は、ちゃんと説明をする必要があると感じました。電話で情報を教えてくださった方は、映画TOKYOは、ごらんになっていないそうで、私が何を問題としているのかについては、ご意見はない方でしたが、
 ここの映像研究科と、L.カラックス監督との付き合いの始まりは、教えてもらえました。誰かがここを使うように示唆したわけではなくて、映画撮影の前に、こちらをカラックス監督が訪れて、特別講義をなさったことがあって、そのとき、監督の方に、『ここを使いたいという構想が芽生えた』と考えられるそうです。

追記、3、私の真情、

 私はこの電話をいただいたことを相当以上に感謝しております。それで、今まで書いたことを訂正する必要もあると考えます。しかしです。今なお、一抹の懸念を捨て去ることができません。

 すべてはまっとうに整っているのですが、その裏に、国際交流基金の理事長の絵図があったりして。・・・・・・横浜市、芸大と、別々の働きかけが、統合をすると、結果として、北野武監督の、見事な洗浄化作戦へとつながるといえないこともないのです。だから、当時の中田市長へ働きかけがあったら、これらは、見事に整合性を持って、疑念がなく、進行することとなります。

 美術畑の人間にとって、それに触れるのはタブーかもしれませんが、横浜トリエンナーレの構想と、この芸大映像科設立の動きはすべて、軌をいつにしているからです。だから、国際協力基金の理事長の関与を疑わせます。

 この追記、3の部分を今日開示するかどうかについて、先ほど以来熟考を重ねていて、普段より、字数に比較すれば、書くことへの時間がかかっています。

 人と人との具体的な付き合いというものは書類で読み取るより重いです。以上の追記2の部分も誠実な対応として声だけですが、開示されたので、それを打ち消す、この追記3の部分を今日、27日の午前、11時四十六分に書くかどうかは、相当にためらいました。今午後5時近いですが、いまだにもたもたと整理している始末です。

 しかし、現在私が書き続けているテーマは大相撲壊滅作戦から発しています。ああいう流れがどうして起きるのかを身命を賭して書いているのです。大きな覚悟を持って書いています。その連続性を考えると、上の追記3は、書き加えないといけません。途中放棄した数々の話題も気にかかるし、私本来の美術の仕事もあるし、あらゆる、ジレンマの中で、『下品だ』と、批判されることも気にせずに書いている諸問題は、『大銀杏倒れる』から特に顕著に、・・・・・この現代日本の底流にあるもの、隠されているものを、追求する・・・・・という点に収斂していきます。

 一見、無関係にみえるものが、どこかで、一本に収斂する。そのかなめが、国際交流基金の理事長であったりする可能性は、大きいのです。

 もちろん、文部科学省の吏員さんも、芸大大学院の事務方さんも、日常の業務が忙しいでしょう。ですから、今ご自分が携わっている仕事の裏側などを探っている暇はないと思います。
 しかし、そここそ、私のディメリットでもあり、優位点でもあるのです。だから、先ほどから室内をたって、熊さんのように歩き回りながら、片手にお昼用に、メロンパンを薄くきったものをもってかじりながら、考え続けているのです。本当に重要なことを考える際は、いすに座っているよりも立って歩いたほうが、よりよく考えられます。

 で、結論として、この追記3を加えることと決めました。関係各位には、あしからずご了承をいただきたく、また、感謝至極であることも、お伝えしたいです。空々しく聞こえるかもしれませんが、一方では、本音でもあるのです。

 では、これで、本日の一本を終わらせていただきます。
   2010年7月27日              雨宮 舜(本名川崎千恵子)

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