銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

空き家(NHK番組内)の主は、国展落選の、画家(女性)です

2011-01-21 00:05:18 | Weblog

 今、誤変換を大体直しました。この二〇一一年の一月から、一年七か月後、コメントをいただいたことをきっかけに、さらに誤変換を直しました。五つぐらい残っていましたので、直します。

 今は、22日の土曜日から、日曜日にかけての深夜です。昼間銀座へ行っていたので、疲れていて、今夜は新しい文章は書かないつもりでした。というのも今は他者を批判しています。こういう文章は気をつけて書かないといけませんね。丁寧にしっかりと、かつ正確に。そのためには体力気力が充実していることが大切です。

 ところが、NHKに追い立てられました。皆様はご覧に成りましたか? 空き家に困るという特集番組を。土曜日って特集を出す日だったっけ? これは後で調べればわかりますが、その番組はまさしく私を狙ったものでした。

 どういう風に狙っているかというと、画面に登場した男性・北側順一郎さん(ギャラリーモテキという有名な画廊のオーナーである。ただ、画廊は今はやめている)という作家が第一の罠だったからです。北川さんも、近々、(今から五回か六回後に)登場をさせるはずでした。

 で、一種の威嚇として、『そのこと(?)を書くな』ということなのかもしれません。その次に、空き家の問題ですが、特に一軒に集中して取材をしてあります。これが、自然じゃあありません。その上、その持ち主、70歳(?)の女性は、まさしく、近々も近々、本名で書こうと思っていた女流・画家でした。

 で、先を越されたということもあるし、何らかの『書くことへの、差し止めなのかな?』とも感じます。で、どう対応するかですが、臨機応変で順番をかえて、今日それを先に書きます。本当は、次々報ぐらいで書く予定だった、女流画家「K藤、N子」さんについて、今日、前倒しで書きます。それは徐々に高めていってクライマックスに置くエピソードのはずでしたが・・・・・

 私ね。この方を非常に同情的に捕らえていて、この15年間ぐらい関心を捨てたことはありません。草間弥生のことも、最近のブレイクの前から一生懸命閉鎖されたメルマガの中で書いてきましたが、あちらさまは今は、日本でも最上級の有名人となり、日本でも北の丸の美術館で個展が開かれたり、この前、ギャラリー福山さんから、母が死んだ途端に、(きっと誰かからの教唆でしょうが)「草間の作品を、350万円で買わない」といわれたほど、高くなっているので、私は、すでに関心を失っています。

 しかし、K藤N子さんの方は、まだ引き続いて強い関心を持っています。・・・・草間弥生と、1980年代に、上野の都美館で、五人展を一緒にやったほどの画家なのに、・・・・ひどく、不運というか、不遇でね、廃人になったとさえいわれています。そのことは、前から知っていました。NHKの番組内でも入院とは言っていましたね。

 それが、精神病院をさすのです。が、偶然の結果、そこへ到達したのか、それとも予定調和というか、K藤N子さんを最初から主役にすえる目的で、この番組をつくって、こちらに何かを悟らせて、脅かすつもりか、どちらであろうかと考えると、最後に町内の夜警が出てきたので、後者だろうと感じます。夜警については皆様にすでに繰り返し述べています。で、どうするかですが、『あ、そう。脅かされませんわ。気がつかない振りをいたします。で、彼女について書く内容は、前々の計画通り』と企画した人々には言っておきましょう。

 これも、伊藤玄二郎、井上ひさし、酒井忠康氏等が、私の過去の電話、メール、パソコン内メモを検討すれば、今から彼女に触れることは容易に想像ができるはずだからです。

 伊藤玄二郎氏は、村松友視と連絡のある人です。鎌倉春秋というタウン誌に村松さんが連載をしたので、メールとか、電話ができる間柄でしょう。その村松氏は、赤瀬川原平さんを強力にサポートした編集者です。その、赤瀬川原平さんは、ライカ(カメラ)好きの縁で、秋山裕徳太子氏と、友人です。秋山裕徳太子氏と北側氏は友人です。で、この番組も鎌倉発原案と考えられます。
 伊藤玄二郎氏は、NHKをどうにでも動かせます。今日のこの番組もそうですが、過去にもあり、その例を将来書くつもりです。で、彼とNHKとの間を取り持つのは、NHK副会長の今井さんだったりして????? これも湘南という地縁です。今井さんが、鎌倉の飲み屋に通じる路地に消えて行ったことがありますが、鎌倉名士同士で、伊藤玄二郎氏や酒井忠康氏と親しい間柄であることは、十分に可能性のある話です。

 『それって、こじつけに過ぎない?』とおっしゃる向きも多いと思いますが、ともかく、この番組の忌まわしい製作意図を先においてから、本文を進めさせてくださいませ。

 彼らが書くなという件ですが、唯一可能性のある脅かしとしては、私はこの女流画家を本名で、一度書いています。だから、ここで、K藤N子さんと書いても、精神病院に入っている当の、女流画家の本名をさらしたということで責められる点でしょう。昔の文章とつき合わせればそうなります。

 だけど、私は思うのです、『精神病院に入ったということで、その画業や、作品が抹殺されるのは気の毒である。一面では優秀な画家だったのだから、名前は残るべきだ。ゴッホだって、ほかの有名な画家だって、その種の病気はマイナスではない。繊細すぎたとか、神経が高ぶりすぎたということで、許されるはずだ』と。で、書くなと脅されていても、書きましょう。
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 最大のポイントは、『彼女が、精神病院に入らざるを得ないほど壊れたのは、国展に落選したのがきっかけだった』というところにあります。

 今書いている連載の主題は、『国画会内部の審査が、いい加減だ』ということですが、それを、自分を例証として書き進めても・・・ごまめの歯軋り・・・ととられるでしょうから、説得力がないと考えました。で、ほかの人の気の毒さを、例として挙げたいと考えたわけです。その例の一つがK藤N子さんでした。

 私の観察を画業面から、逐一述べます。K藤N子さんの実物像については知りません。いろいろ悪口を言われているみたいです。が、それはそれとして、私の論考は以下のとおりです。

 私は1990年に女流展というのに入選しました。その前に、ハマ展とか、神奈川女流展というのに出品をしていて、そこでは会員までは、出世できていないわけですが、なんとなく、自らの才能を信じるところがあって、東京に引きがなくても(勝手に)進出したわけです。これに、K藤N子さんが注目をしてくれたと仮定をしましょう。経歴書なども添付すると思いますので、美大出身ではないということは彼女のように委員(=役員)ならわかるはずです。彼女は役員でした。
 K藤N子さんも美大ではなくて、薬学部出身だそうです。そこは作品を見るとわかります。コンセプト重視です。で、高名な美術評論家の三木多門氏の推薦的好意をうけました。そこが、彼女が少し、おかしくなるきっかけのひとつだったらしいのです。

 三木多門さんに惚れちゃったのかなあ? それをまた、隠さないので、三木さんの方が重荷に感じて、病気になっちゃったそうです。循環器系らしい。で、ご家族などが、K藤N子さんを排除するでしょう。もし、奥様がいらっしゃったり、お子様がいらっしゃったりすれば、『病院に見舞いに来ないでほしい』とか、当然のこととして、おっしゃるでしょう。それが大きかったと推察します。

 私はK藤N子さんとは、個人的な付き合いが一切ないので、すべてずっと後で知った事ですが、想像で時系列を正確に並べると、三木さんが病気になってしまう前にK藤N子さんが離婚をした可能性はあります。この離婚をここで、さらすのは覗き見主義で言うのではなくて、経済的な問題が後で大きく、関連してくるからです。

 画家でなくても、女性が一人で生きていくのは大変ですが、画家であったら、さらにお金がかかるので、一人で生きていくのは大変です。彼女が離婚に踏み切ったのは、薬剤師としての収入があったからでしょう。そこに依拠したわけでしょう。昔はルーズで資格を貸すだけで、月に15万円程度の収入が入ったのではないかなあ?

 そこへ、父君(銀行マンだったとテレビ画面は言った)の遺族年金が入るわけです。その両方で生活できます。が、燃え上がって離婚をした当座はよくても、サラリーマンの夫がいなくなると、税金とか、そのほかのお金がかかるので、やがて立ち行かなくなるものです。私は一人暮らしをはじめたときに、2400万円を持っていたのですが、これで、一生は送れないと判断しましたね。特に痛い病気になったり、キャベツが腐ったときに、孤独死の実態を知ったりして、かぶとを脱いだわけです。

 『はい、私は、家庭の主婦に戻りましょう』と思ったわけです。その際に、主婦だったときにどれほど、家族の役に立っていたかは重要です。画家だから精神的には『お母さんは、いつも夢見る夢子さんだ』と言う意味で、家族に不満を与えていたとは思いますが、家事育児は相当にちゃんとやっていたと思います。それに精神的な意味では家庭の要だったらしいのです。娘が『お母さんがいないと、お父さんもおにいちゃんも駄目になっちゃうから、帰ってきて』といいましたから。私は口で言っているのとは違って、いわゆるニッポンのおかあさん、の典型なのです。

 だから、学友たちから「え、まだ離婚をしていなかったの?」と笑われたりしても『へ、へ、へ』という感じでシレッとして家庭に戻っています。『まあ、主人が偉いのかもしれないけれど、夫婦って、必ず、似たもの同士というか、それなりに分担しているもので、どちらかが輸出超過だったら、そちらが、逃げ出すものだ』と思います。ともかくあっさり言って、私は他人が想像するよりはずっと、そばにいて楽な人間です。安心するタイプなのです。私がいた方が、場が明るくなるタイプなのです。だから、「戻ってきてほしい。お母さんが家にいてほしい」と言われるタイプなのです。

 K藤N子さんが、その後、経済的な苦境に陥る模様ですが(それは、母君のお葬式を出せなかったというところに現れます)、それは、経済的なものが大きかったでしょう。お葬式ってたとえ家族葬でも、納骨式とすべての食べごとも入れれば、200万円を越します。エリートサラリーマンだったはずのご主人がいなくなって数年後だと、利用できる貯金も200万円はなかった可能性もあるし、一人だと誰に相談していいかもわからないし、体力の不足もあったら大変で、結果として遺体を、放っておいたのだと私は感じています。お葬式って残されたこどもたちの方に力がないとできないものなのです。

 彼女は恋愛が理由で、離婚をしたために、夫はおろか、子供たちにも、手伝ってもらえなかったのでしょう。

 K藤さんが、三木さんに惚れたり、離婚をしたりしたのは、50代だったでしょう。三木さんの家族に拒否されて、三木さんに会えなくなったことは、相当に彼女を壊した模様です。が、ちゃんと、作品を女流展に出しておられたし、なんと私が入選した後の1993年か4年ごろ、国展にも彼女の作品を発見しました。

 しかし、次の年度には、彼女の作品はありませんでした。

 すわち彼女は落選したわけです。

 だけど、私は国画会の会員ではないので、審査会場にいません。だから、この時点では想像だけです。落選とは、すごいことなのです。特にこの方みたいに、過去の履歴が立派(草間と一緒に五人展・・・・・会場が広いので、作品数が多い・・・・・を開くなどのケースはご立派なものです)だと、余計にショックなはずです。

 この時から、彼女は壊れたと私は感じるし、丁寧に探偵みたいに調べたら、それはあたりでしょう。ところで、私はNHK番組に対して、「あなた方はひどい人間だ」とはっきり言いますが、こんな弱い人を社会問題みたいに偽装して、表に出したのは非常にずるいです。土曜日の午後、鎌倉駅前の広場で、NHK批判をしている若者たちがいて、雪印への誤報を報道して雪印がつぶれ、ノリ
ーズという韓国の会社にのっとられたと言っていましたが、非常に悪辣です。これは大規模な悪辣さですが、今度の一見社会問題めいた、番組はいっそう悪辣です。

 で、NHKの番組まで使って私の言論封殺をしようとしている酒井忠康氏や、伊藤玄二郎氏に向かって、はっきりといいますが、指原いく子さんみたいに、山寺重子さんとそっくりな絵を描いて、あっという間に同年代の中では先に、会員になる人もいれば、この不運な女流画家のように人間として抹殺をされてしまうほどの、物なのです。審査って。

 恐ろしいというか、なんと言うか、人間の職分を超えた傲慢だと感じますね。特にお金や、感情の行方でそれが左右されるのなら。(後でそれも例証します)そして、日本ほど、この団体展という仕組みが発達をしている国は、ほかにないのです。だから、日本とは、アーチストにとっては住みにくい国であるとは、この一件だけでも言えることです。
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 ところで、ここで時制をさらに過去へ戻します。それは上のような事実をどうして私が知ったかの筋道を説明するためです。

 私はK藤N子さんの落選を、当該時に、確信しましたが、直後は誰にも問い合わせることができませんでした。もしK藤さんの耳に入ったら、『なぜ、無関係なものが、私の恥をほじくるの?』ということになって、これまた大問題になるからです。が、5,6年後、K藤さんの姿が見えなくなってから、渡辺真利さんと藤岡れい子さんという国画会会員に問い合わせて、想像通り、彼女が落選をした事を知りました。

 私がどうして、それまで関心を持ったかというと、一種の責任を感じたからです。私の姿勢を見習って、K藤さんは国展に応募をされたのでしょう。それは、なぜかというと、私の生きる姿勢は外部から見ると、輝かしいばかりにまっとうだったからです。で、まねをされたのです。
 私のほうの実情をいえば、すでに内心では疑問が一杯で、逃げ出したいと思っているわけですが、それはできないわけですから、外へ向かっては愚痴も言いません。で、私はただただ、元気で生きている人に見えるわけです。

 それと、誰の引きもないのに、女流展にも入選したし、すぐ、引き続いて国展にも入選したというのは、審査がまっとうであるということを外部に知らしめました。

 そうですね。『入選をさせるか否かという審査ではまっとうだ』と思います。審査が変だというのは、それ以降です。会員へと出世できるかどうか、またその速度については、正義が通るかどうかは、非常に怪しいこととなっていきます。

 で、K藤さんの場合は、正の方向だけを見て、出品をされて、一年目は入選したので、「これでいい」という判断がついて、二年目も応募したのですが、それは落選しました。
 同じ傾向のものを、開会日が直後の女流展にお出しになるので、それが、国展で落選したわけも、私にはわかりました。

 それは、週刊誌の頁をパネル(木の台)に縦横に貼り付けて行った作品で、系統としてはコンセプチュアルアートというものです。しかし、材料費がかかっていません。それに、手数もかかっていません。国画会は最大派閥が芸大出身者でしめられていて、後の3分の2ぐらいも美大出身者です。特に地方の国立大学を出た人が多いです。

 で、技量が高くないと、駄目なのです。コンセプチュアルアートというのは技量は問題ではなくて、思考とか、思想が問題なのですが、それは、鑑賞側(または審査側)に理解力を求める手法で、国画会の審査員の中には、それを理解する人がいなかったということです。

 だけど、結果の恐ろしさ(彼女が廃人になったのは、これがきっかけであるのは確かです)を考えたり、国画会の審査のほかの人への甘さも考えたり、それから、閉鎖性のきわみであることを考えたりすると、ここで、この方を落としたのは、国画会の罪であり恥だと私は思うのですが、国画会内部の人は、誰も反省をしないはずです。

 つまり国画会で偉い人はほかの展覧会を無視していて見ないのです。せいぜい、野球チームが定期的いn対戦するほど仲良しである独立ぐらいしか見ないのです。だから、現在の主流のひとつである、コンセプチュアルアートに対しても理解がないし、K藤さんという大画家の過去にもまったく理解がないのです。

 ここは本当なら、女流展のことをよく知っている山寺重子さんが「落とすべきではない」といって、とりなさないといけないのですが、彼女は自分より上か同等の人を支援するはずがないのです。将来部下として自分があごで使える人材しか支援しませんから。
 
 私は、私を見習ってK藤さんが応募したと、考えることから、一種の罪悪感を感じて、K藤さんを追っかけることと成ります。意識を彼女に集中することと成ります。それで、まず、『なぜ、彼女が国展に応募したいと思ったか』を考え始めます。

 きっとすさまじい閉塞感を感じていたのでしょう。そこが希望の窓口だと思っていた、三木多門氏との関係が、ついえてしまったわけです。彼女が自分からそれを吹聴したのか、しなかったのかは知りませんが、三木多門氏の推薦で大規模な五人展を上野でしたのは、誰もが知っていることだから、その時は、相当に嫉妬されたと思います。だけど、誰もプライドがあるから表面にはそれを出しません。でも、三木さんが病気になって、ご家族からだと思うけれど、彼女が出入り禁止になって、そこで、それを悲しんで、半病人になったときに、一気に、いじめが始まったと考えるとわかりやすいです。どういういじめかは知りませんが、彼女にとっては「つらいなあ」という状況が、女流展の中に出来したから、逃避の道として国展を、視野に入れたと仮定します。一年目はうまくいきました。が、二年目が駄目だったので、余計つらかったのではないかなあ。

 もともとの閉閉塞感がさらに強まって、不安も増し、彼女にとっての決定的な絶望を招いたのでしょう。ここで、こう書いても国画会の人は読まないでしょうし、何の影響力もないでしょうが、でも、それだからこそ、はっきりと書いておきます。

 で、その落選の後で、彼女は壊れたのですが、入院をしなかったとおもわれます。そして、母の死を迎えます。それが大騒ぎと成りました。葬儀を行わないでいるうちに腐敗臭を発する遺体が発見されたのです。ご近所がくさいといった模様です。今は、多いのですが、当時は奇想天外なことで、新聞沙汰になったそうです。が、私も知らないし、ほかにも知らない人は一杯いるでしょう。私が知らなかったのは、まず、当時は新聞を読まなかったということがあります。勉強に集中していたから、新聞を読む暇がなかったのです。そして、それをいいことだと思っていたし、テレビも見ませんでした。

 また、社交的なことを一切しておりません。特に美術界において。それは堕落につながると判断をしているからです。山寺さんとか、これから、詳述する予定の、サイトウ良さんなどは社交術という意味では優れています。島田章三さんもそうですね。作詞家の安井かずみさんとかと親しいそうです。だけど、私は尊敬していません。

 で、同時進行的にはまったく、この事実を、知らなくて、彼女の行方不明以降、自分なりの調査を始めて、やっと知りびっくりしたのです。

 最初に耳に入れてくれたのが渡辺真利さんです。それで、ここで、少し渡辺真利さんについて述べないといけません。

 渡辺さんはアラブを舞台とした具象+心象の風景画を描く画家です。私は国画会について何かを知りたいときには、この人に電話をすることにしていました。

 ここで挿入ですが、何かを知りたいときにどうして、渡辺さんを選んだかというと、正直な方だと知っていたからです。それは、意外な事、しかも私にとっては嫌な事実から、わかったことでした。国画会では、人数が多いので初日にとても豪華なパーティを開きます。数百人もいて、しかも立食なので落ち着かないので必ず二次会があります。その二次会でのことです。

 渡辺さんから『なぜビールを注がないの?』といわれてびっくり仰天したからです。『え、嫌だなあ』と思いました。というのもこちらが威張っていて、失礼なことをしていると受け取られたからです。ぜんぜん違います。

 私は父も夫もお酒を飲まないので酒席のマナーを知らなかっただけです。勤務先も東大で、飲み会なんてないところでした。だから、『女は、こういう時にはお酌をするものだ』ということさえ知らなかったのです。その上、私は『ここでは何の歌を歌ったら受けるのかなあ』と考えながら、頭の中で選曲をしていたので、一種の白昼夢に浸っていただけで、失礼なことをしたり、人を無視するつもりは一切なかったのですから、嫌だなあ、この人ってと、最初はおもいました。

 だけど、正直な人だということはしっかりわかって、何かを質問するときは渡辺真利さんと、決めていったのでした。嘘を教えない人だと信じています。ただ、あるときに、『僕は君の恋人ではないのだから、電話をくれるのが困る』というようなことを言われて、それにも、びっくり仰天をしました。戦前生まれの男の人にしてはとても背が高くて顔もイケメンだからPTAのお母さん方にもてたのかしら。渡辺さんは先生です。ただ、私は恋愛をしたくて電話をかけているわけではないのです。本当に困惑するいやなことが国画会内部でいろいろあったので、どうして、そういうことになるのかの理由を知りたくて、一種の調査をしたいから電話をかけているわけです。で、恋愛を仕掛けていると誤解をされたので、一応、『ひどくしょっている人だ』とは、思いました。

 でもきっとそれほど、プレイボーイではないはずですよ。奥さんがすぐ、私(女性)からの電話を、だんなに取り次いで下さる家は、だんながまじめな家です。奥さんがぐずぐず、電話を取り次いでくれない家もあるので、それは、奥さんが庁が付くほど嫉妬深いか、または、旦那がいろいろ、色事関係を起こした家でしょう。国画会内部で、これはと思う会員に電話をしても、奥さんが、電話を取り次がないケースが色々あって、『そんな、不思議な内情に気が付くケースがあったのです。世の奥さまお気を付けあそばせ、常に、ルールにのっとって、電話は取り次いだ方がいいですよ。でないと、あらぬ誤解を招きます。渡辺さんはイケメンですが、まじめな人でしょう。

 ただ、そういわれて、初めて、自分が、たいそうなレベルで、世間知らずであるのは、わかりました。苦労知らずでもあったでしょう。男の人に用事で電話をかけるときに、相手がどう取るかとかを、一切顧慮したことがなかったのです。だけど、やっぱりびっくりして傷ついたので、それ以降は成るべく、かけないようにしていたのですが、このK藤N子さんの落選の件は絶対に知りたくて、かけました。そのときに、渡辺真利さんなら、K藤さんに相当に同情してあげるだろうと事前には思っていたのです。それは、ビールとともに、花を生けるエピソードを聞いていたからです。

 「あんた、女性はそんなことを考えるより、花でも生けた方がいいんだよ。窓辺に小さな花を生けてご覧。平和になるよ」と彼は言います。私そんなことは常日頃、やっています。だからお母さん帰ってきてねといわれる人なのです。すごく可愛い人なのです。それは、旧友なら知っている。だけど、もちろん反論をしませんでしたよ。すでに誤解をして怒っている人を相手にしても説得はできないですから。

 ただそういう過去から考えると、国画会の体制に反して、個人としては、K藤さんを気の毒に思うはずだと予測して質問をしたのです。

 まったく正反対でした。K藤N子さんを責め立てまくりました。そのときに始めていたい放置の件を知ったのです。時制が逆転をしていますが、そういうわけで、事件から5,6年後に初めてそれを知りました。ただ、そのときに、弱い人へそれほどの悪意あることばを投げつける人がいることがせつなくて、お口直しに、もっと善良な人だって国画会にはいるはずだと思って、RFさんにも電話をかけました。

 この項つづく。2011年、22日から書き始め、23日に書き終わる。ブログの日付は21日にしておく。次の文章の日付を変えるためです。  雨宮舜

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7 コメント

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初めての者です (Mさん)
2012-08-05 22:07:05
空き家問題の家主が知りたくて、ここまでたどり着いたのですが、K藤さんには辛い事情があったのですね。。。
息子さんも辛いでしょうね。。。
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Unknown (amemiya syun)
2012-08-06 10:34:22
コメントをいただいてありがとうございました。あの番組をご覧になった模様ですね。その通りです。
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誤変換ありがとうございます (Mさん)
2012-09-09 16:35:58
彼女の事について調べてみました。
国展に名前がありました。
しかし、殆ど彼女の情報はなく、作品も残されてないですね。。。
残念です。。
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弱者に光を! (utg)
2012-09-09 17:52:03
NHKの報道は、偏りすぎ。
大越アナウンサーは思わずチャンネルを変えます。ここまで偏向報道が多いのだから、無料にすべきだと思います。
ブログ主さん、ありがとう。
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Unknown (amemiya syun)
2012-09-09 20:22:11
コメントをくださってありがとうございます。
Mさんへ、現代アートはそうですね。それと、このケースでは、彼女を支援された美術評論家が脳溢血か何かになられたので、それもお気の毒でした。

utg サン。お言葉をいただき、ありがとうございます。おっしゃるとおりだと思います。
返信する
美術評論家の方 (Mさん)
2012-09-09 22:39:54
この話題で知りましたが、すごい方ですね。
NHKは悪意ありますね。最初から分かった上でネタにしている。これこそ立派なプライバシーです。
彼女の名簿と空き家の住所が一致しました。
しかし嬉しい知らせもありました。
2012年3~4月、千葉県立美術館にて(18年前の作品ですが)彼女の作品を展示していたそうです。
彼女の作品は生きていました。
ここら辺で私の追及は終わりにしたいと思います。
この番組のきっかけからですが、私も少しアートに興味が湧いて来ました(笑)
近々、美術館へ行く予定です。
雨宮さんのブログはとても内容が深いので、このブログに出会ってからは、チェックをしてます。
私のお話に付き合って頂きありがとうございました。
また書き込みをする機会がありましたら、よろしくお願いします。

返信する
Unknown (雨宮舜)
2012-09-10 07:59:35
新しい情報をくださってありがとうございます。そうですか。千葉県立美術館に行けば作品の写真等もあるかもしれないし、作品の一部は保管してあるかもしれませんね。
 立派な方だし、上に書いたようなエピソードはすべて、50年後とか、100年後に、酒井忠康氏とか、北側純一郎氏とか、秋山裕徳大子氏とか、伊藤玄二郎氏が、亡くなったら、却って見事なエピソードとして、伝説になるでしょう。
 日本のゴッホとまでは言いませんが、日本のカミーユ・クローデルと言ってよいほどとなるでしょう。ただ、ゴッホやカミーユほど、わかりやすい作品ではないですね。
 私の記憶だとそうです。打から、専門家の中だけで、終わる評価かもしれませんが、美術評論家とは、本当はそう言う件で、発掘をしていくものだと思います。
 私は、そう言う意味で、お金に関係が無い形で動くので、実際は、いい美術評論家なのですが、邪魔されきっていて、仕事がなかなか、出来ません。
 でも、決してめげませんよ。では、
情報をくださってありがとうございました。
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