銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

850ccのドイツ製バイクと、無縁社会(NHK特番)・・・お金の使い方

2010-09-06 01:57:54 | Weblog
 今日はいつもと、連続性がない話題です。あっちこっちで見聞きしたことをミックスして語らせてくださいませ。

 川越街道を歩いていたときのことです。広い歩道で夜写真を撮っている三人の男性がいました。商業用の撮影でもなくて、ただ、本人の楽しみように撮影しているグループ。
 主役は五十代の超がつくほどまじめそうな人で、大型バイクにまたがっています。

 そのバイクは黒一色。主役は、上下黒のつなぎを着て、ヘルメットもかぶらず、エンジンもふかさず、ただ、ペダルを踏ん張って、立ち、雄姿をカメラに収めているのですが、

 その三人のひそかな、しかし、確実な喜びように、ふと、『人のセックスを笑うな』というタイトルの映画があったことを思い出し、『人の喜びを笑ってはいけない。子どもっぽすぎるよと、突き放してはいけない。共感してあげないといけない』と思い直して、「250CCなんですか?」と問い合わせたのです。いやね。250CCというのは、息子がバイトして初めて買った中古のバイクで、相当に苦労をして買ったみたいだったので、男の子にとっては、宝物のひとつだと、そばから見ていて思ったものですから。

 すると、三人が異口同音に、「850CCなんですよ」というのです。驚いてしまいました。850CCもの排気量のあるバイクが、この世の中にあるなんてしらなかったものですから。私は車の運転もできないほうですから、そういうことにはトンと音痴なのです。

 で、どうも日本製ではないと思って、「ハーレー・ダビッドソンですか」とも聞いたのです。それも大昔、息子から受け売り(いえ、受け買いかな?)をした知識からですが、・・・・・スズキやヤマハよりもそちらのほうが大型だとは聞いていましたから。
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 すると、三人が三人とも、口を尖らせるようにして、「BMVです」といったような気がします。ちょっと前だったので、ブランド名が確かではありませんが、ドイツの車メーカーだったという記憶があります。ダイムラーベンツか? または、北欧系のアウディとか、ヴォルヴォだったかなあ? ともかく、オートバイのメーカーとしては、私の知識内には、かつて入っていなかったブランド名でした。

 私も驚嘆して、「あ、そうですか」とだけ言って引き下がりました。道理で、三人とも喜んでいたはずです。相当にお高いものだと感じました。中古か、新品かはわかりませんが、100万円は越すものではないかなあ? 全部品が真っ黒で、エナメル塗装の白や赤のカラフルな部分は一切ないのです。地味といっては地味ですが、個性はあります。

 そして、所有者も技術屋さんみたいな固い顔の人で、『もしかしたら、この年でも独身かもしれない』と思いました。ともかく、普通ですと、50代はこどもの養育費・教育費にお金がかかる時期で、自分の趣味に、100万円近い出費はできない時期でしょう。

 わかりません。単なる裕福な社長さんなのかもしれません。もちろん、それ以上の質問はしませんでした。
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 実は私こそ、ある一点に集中して破滅型といってよいようなお金の使い方を過去にした人間です。だから、他人の批判はできません。東京で、高校やら大学を出ている人間は、ある程度甘いのですね。だから、私は版画の武者修行と、その記録を残すことに、すさまじい大金を使った人間です。

 親戚中からしかられているし、小ばかにされていると思います。だけど、それもまた、私の『ものを書くことを含めて、行動の一切の基本における』→自信を作っている要素ですから、無駄ではなかったのです。自分ではその使いっぷりを肯定しています。

 ただし、この高齢化社会を、一生、生きていくためにどうするかですが、ある時点であきらめました。すぱっと方向転換をして、家庭の中の凡人として生きていくと、人生を見定めたのです。

 それは、なんと、キャベツが腐ったにおいに負けたからでした。『もし、孤独死したら、これ以上にひどい匂いが出るのだわ』と思ったら、『仕方が、ない。芸術の道・追求もここまでで、あきらめるか』となったのです。私は不器用なので、絵や版画の制作に入ると、一人暮らしでないとだめなのです。主婦とアーチストが両立しません。

 エッセイなら、大体(パソコンが普通に動けば)二時間で一本書けますので、家庭の主婦との両立ができます。ただ、その二時間の間の姿は、夕鶴の中のつうではないが、猫にも夫にも、子供にもその姿を見せたらだめですね。怖がられます。
 創作とは、そういうものです。すごい集中が必要だから、他人を怖がらせます。猫も怖がります。すごくわかっていて、その間は我慢してくれていますが、それが終わると甘えてきます。子供だった昔は、それを嫌がって、わざと、キーボードの上を歩いて邪魔してきましたが、今では終わるまで待っていてくれます。猫も大人に成りました。八歳ですから人間で言えば、30台から40台に入りかけたというところでしょう。
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 ただ、私が言う、破滅型ですが、どういうわけか、最後の破滅までは至らないで、救われるのです。まあ、度胸がないのだといえばそれまでだし、甘い人生観だと言われればそれまででもあります。他人に笑われてもしかたがないでしょう。
 50台までは相当に心配したお金のことも、今ではあまり心配がありません。どういう風に使ったり倹約したりするかのバランスというか、なにかが身についたからです。

 でも、世の中の同世代の人よりはお金を、洋服や芝居見物などには、使いません。パソコンを買ったりソフトを買ったり、本を作ろうとしたりして、見かけ上は貧乏人です。だけど、四六時中、人生を楽しんでいて、劣等感はありません。

 今ひとつ気がかりなのは、子供たちのことです。今までは『きちんとしている。始末やさんだ。結婚式も親に頼らず、全部自分たちでやったし』と思っていたのに、投資をし始めていると聞いて、『あら、あら、金融資産など、危ういのに』と心配しています。不動産とか、金(地金)ならよいのに、金融資産は危ないですから。

 それに、同じ空中に消えるのでも、海外で暮らしましたとか、画材を買いましたというのは自分に残るでしょう。でも、金融資産、特に為替の投資とか、株の下落で、損をした部分は、心残りだけが後を引く惨めなものです。だから、心が明るくなりませんし、心配します。他人の労働を一種の搾取として取り上げる社長さん(特に創業者一族)だったりしたら、そういう危ない投資に、自分の収入を回してもよいが、自分自身の労働で稼いだお金を、金融投資にまわしてはいけません。

 それだけは心配しています。いつもいっているとおり、この日本でサラリーマンがちょっとした投資をしても、勝てるはずがないです。マイケル・ムーア監督が言うとおりの、アメリカにいる1%の大金持ちが勝つだけです。または、ヨーロッパにいる3%の大金もちが勝つだけです。『普通の日本人なら、やめといたほうがよいのに』と思うが、自分の子供には、それは説得ができません。

 特に、18歳、以降は口出ししてはいけないと思っているから、何も言いませんし、いえません。子供というものは経験が必要で、金融・投資で、失敗するのも経験する必要があります。が、損失が大きいので、心配します。

 さきほど、NHKの特番で、無縁社会の、特に老齢の親が行方不明となる件を知りました。兄弟でも話し合いのない、無縁になるとのこと。特に遺産相続の争いなど起きると、それも起こりやすいでしょうね。

 それで、結果として、親が行方知れずになるとのこと。私が芸術に凝ったら、同じこととなったでしょう。「どうも、アメリカへ行っちゃったらしいが、その後のことはわかりません」と子供にいわれるようになるでしょう。

 生きる事に当たって、どちらを選択するか、本当に難しいことだけど、決定はキャベツにかかっていました。

 アトリエで一人暮らしをしていた時期に、肺炎になって、それに驚いて寝てばっかりいた、数日間にキャベツを冷蔵庫に入れるのを忘れていたのです。しかも冬なのに、昼夜連続してエアコンをかけていて、室温を28度に設定していたら、三・四日でキャベツが腐ったのでした。あれで芸術・志向が一巻の終わりとなったとは・・・・・笑止千万ですが、でも、神様の、「お前に似合った道は、これだよ。家庭の主婦だよ」という、さとしだったかもしれないと、今では、思っているしだいです、・・・・・

 まだ、映画「送りびと」もできていない時期でしたが、孤独死をしたあとの、家族や親族のあと始末の大変さを想像することができて、方針変換をしたのです。キャベツ一個で、この程度の悪臭がマンション二十四畳分に、満ちるのだったら、人間一人死んだらどれほどの悪臭であろうかと思えば、びびりまくります。普通の場合は、肉体が腐る前に、火葬をするので、死と悪臭が直接には結びつきませんが、孤独死をすると、悪臭が周り一面を覆うのです。大・近所迷惑となります。

 人間の生活には矛盾がいっぱいあります。希望とあきらめの混在で生きています。きっと誰でも同じです。

 だけど、結構、我慢して引いていると、神様から恵みを受けるということもあるのです。思いがけないことですが、それもあたりです。

 私は最近、国際的軍産共同体に、自分がいじめられている話ばかりしていて、皆様も読んでいて、ご気分の悪いことでしょう。が、一方で、そういう苦しみは外に見えないわけですから、「あなたほど、好きなことをしていて、恵まれている人はいない」とも言われています。たしかに、65を過ぎて、ブログをはじめたり、67を過ぎて、パソコンを自分で修理できるようになって、秋葉原で、店員さんの尊敬を勝ち得たりするのは愉快ですしね。それがいじめられていることの、思わぬ余得でもあります。

 どっちもあたっていると思います。だから、その矛盾の中で泳いでいくしかないです。突っ走りたいが突っ走れないときもあります。

 でも、NHKの無縁社会という特番を見ていたときに、やはり、ある程度は、上手な選択が必要で、それを誰もがマスターしてほしいものだなあと感じました。

 だまされない自分、踊らされない自分を形成してもらいたいです。お若い方にね。それを望みたいです。自分の子供を直接説得ができないので、どなたか、わからないが、この日本に生きているお若い方に、お勧めいたします。「どうか、賢い選択をなさってくださいませ」と。

 あの850CCのドイツ製のバイクを買った人は、その大切なバイクを除いた他の部分でも、幸せなのだろうか? ちょっと気にかかります。

                では、2010年9月6日、      雨宮 舜
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