銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

三菱銀行のカードが、貴女は、第三位の貧乏人だから、現金がおろせませんと、ATM画面で言う△

2013-04-09 22:30:54 | 政治

 この文章は、初稿の段階では、『XPが、2014年4月9日に使えなくなる?・・・・・・その1(銀行の鎌倉支店がおかしいぞ)』となっていました。その方が、全体を表しているのですが、エピソードの面白さがあるので、上のタイトルに、木曜日の、夜10時半に代えさせていただきました。そして、二日目に、8千字を加筆してあります。そして、今推敲も終わりました。ので、タイトル横に△印を通例の如く入れておきます。

 私は今、八幡宮の大広告というシリーズで物を書いています。だが、本日から、XPが使えなくなるというシリーズで、ものを書き始めます。これは、単純なビジネス上の、発表だとは思っていません。例の如く、私と関係があります。しかし、それを分析し、書いていくと同時に、莫大な思い出も喚起されますので、それを書いていきましょう。

副題1、『湘南信金のカードがきかない時があった』

副題2、『大原光孝氏の、ワインが割れてというカラカイの言葉を、ここで、思い出さないといけない』

副題3、『問題の石段を、市が、半分、町内会が半分という形で、費用を出し合って直すこととなったが、支払いが大問題だった』

副題4、『父の遺産を相続したころ、三菱銀行の応接室も招じ入れられるほどの、厚遇を受けていたが』

副題5、『三菱銀行のカードが、あなたは、第三位の貧乏人だから、現金がおろせませんと、ATM画面で言う・・・・・・驚天動地のバグさんが入っていましたが』

副題6、『私は、自分の、システムエンジニアーとしての能力に、自信は持ったが・・・・・』

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副題1、『湘南信金のカードがきかない時があった』

 我が家に泥棒が入るということは、前報を、含めて、何度もお話をさせていただいています。それは、相当に気ぶっせいなことではありました。

 2008年ごろに最もひどくて、銀行のカードとか、銀行の金庫のカギなど、何度も、作り直したほどです。それから、絶対に復元が不可能jな写真類を、盗まれて行ったケース。

 それで、仕方がなくて、銀行の金庫は、主人を入れれば3つも持っていますが、銀行の金庫が、最大に安全かどうかはわからない所さえあるのです。

 まず、湘南信用金庫は、めちゃくちゃに、敵側に利用をされてきました。一つを挙げると、東京へ行くときは、鎌倉支店で、常に、午前中に、4000円引き出すことにしていたのです。すると、そこをめがけて、原水禁千葉県連(共産党の動員だから、どうせ、井上ひさしの案でしょうが)が、生気のない顔で、行進をしているのです。

 そのころ、以前も言っている、柳沢昇のゴルフ会員権(はがきだから、偽装の可能性もあるが)が、わざと我が家へ誤配達をされたころであり、私の文章を常にチェックし、いじめ策を考案している、井上ひさしが、考え付いたアイデアであることはすぐにわかりました。

 そこは、裏駅(通常の駅では、西口というが、鎌倉は、八幡宮へ向かう参道がある東口を表駅という)なので、アッピール力の少ない場所ですが、私を数で、威圧するために、それが役に立つと思われているのでした。そのうえ、東京で、母の見舞いと銀座の画廊巡りを含めて、一日に4000円で済まそうと決めていたのですが、画廊で、画集や画家の出版物を買ったり、誰かと一緒にお茶すると、4000円では足りなくなります。で、青山のセブンイレブンで、おろそうとすると、カードが効きません。ほかのカードを持っていなかったのでぎょっとしました。画廊は、すべてしまっている時間帯で、しかも、昔青山に住んでいたお友達はすでに引っ越している。帰りの切符が買えるかどうか?

 しかし、2007年から、パソコン内に種々様々ん妨害工作を受け続けてきていた私はそれを突破する必要があって、すさまじいレベルで、いわゆるシステムの勉強をし始めていたのです。それゆえに、バグ(=悪い影響力を持つソフトのこと)があることを知っており、カードがきかないのは、それによると、考えました。

 ATMは、大型のパソコンであり、今、これが使えないのは、どこで、引っ掛かっているのか?を、頭で解剖していったのです。すると、私のカード固有の、バグが、その日の朝から入れ込められたことが推察され、それなら、私がどこかを変更すれば、何とか、突破できるはずだと回答が出てきたのです。それで、4000円を7000円に直して、やっと、カードがきくようになりました。これが、二つ目の、妨害工作でしたが、

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副題2、『大原光孝氏の、ワインが割れてというカラカイの言葉を、ここで、思い出さないといけない』

 3つ目の工作に出逢って、完璧に湘南信用金庫との取引はやめたのです。3つ目のものとは、ご近所の画家大原光孝氏が、ある夜に、後ろから、私を追い抜いて行ったことがあります。

 当時、彼は、柄沢斉氏の弟子でした。二人は、同窓で、しかも、木口版画の弟子として、そちらへ出入りしていたらしい大原氏は、私との仲を裂くために、敵から好条件の数々を提案され、有頂天になっていたころだったでしょう。お嬢様を、神奈川近美に、お勤めできるように、招じ入れられ、ご自分の個展も、あれこれ、企画をされていて、得意満面だったと思われます。

 山本容子や、平山郁夫が、どれほど、つまらない作家であるかという話を立ち話で聞きました。彼は、お勤めをしたことがないので、そこに、潜在意識上の劣等感がある人で、それゆえに、えらい人を噂話の対象としてけなすところがあるのです。そのうえ、養父も実父も、妻の父も、全部お医者さんという一家で、この上なく上品なふるまいをしているご家庭ですが、実際には、他人のうわさ話が大好きな一家です。

 ただ、この山本容子と、平山郁夫をけなすのは、柄沢斉氏からの、受け売りというかなにかであって、その大元は・・・・・特に平山郁夫氏に関しての部分は、酒井忠康氏の、発想だと思われます。酒井忠康氏は、鎌倉の二階堂という街で、平山さんとは、ご近所様です。ご近所っていろいろあるのですよね。分かることもいっぱいあるし、ねたみも抱きやすい関係です。

 酒井氏は一回離婚をされている。後にきた奥様は、水も滴る美女で、しかも頭のいい人です。だけど、一方で、堅実で、美形でもない平山夫人には、芸大と、武蔵野美大の差、および年齢の差で、頭が上がらないところが、あるやもしれません。で、「平山家では、奥様の方に大きな才能があって、ほとんどの絵は奥様が描いているのだ」という話が大原氏から、立ち話で、私の耳に入った時に、『画家同士の嫉妬心とはすさまじいし、もしかすると、美術評論家の、作家に対する嫉妬心も、すさまじいものがあるのだなあ』と思いながら、それを聞いていたのでした。

 しかし、その後、蝉のおしっこというブログで、丁寧に書いていますが、大原氏が、攻撃をしてこなかったら、私はすべてを、完黙していたと思います。

 だけど、意図的な攻撃が、五段階ぐらい波状的に来たので、すでに、彼との、自然な交流は一切、あきらめていて、書くことに決めています。

 その波状的な攻撃の第一波が、後ろから追い抜いて行ったときに、「川崎さん、ワインが割れておしかったねえ」という言葉でした。

 私は、銀座の画廊巡りをした後で、新橋の高速道路下にあるハナマサというスーパーでワインやお肉を買ってくることがよくありました。当時は白ワインを、特に、好きだったのです。ところで、我が家へ昇る道は、120段以上の石段を使わないとなりません。その石段が、鎌倉砂石というものでできていて、割れやすくて、ガタガタだったのです。ハナマサでは、ワインは安く売っているので、単にレジ袋に入れてくれるだけだから、レジ袋に入った2本のワインを石段に置いたら、割れたところに底がはまってしまいバランスが崩れて、ワインが転がって割れたのです。赤ワインが割れたので、辺りにはポリフェノールのにおいが立ち込めました。

 そのころの私は同時並行的に、五つぐらいの仕事をこなしていたので、ひどく、エネルギーを消耗をしていて、石段120段を一気に上がることは無理でした。30段程度上がったところで、一息ついていたら、割れたのです。でもね。その時にすでに、私は60歳で、しかも、若い時に大量のトルエン系の化学実験をしていて、40代で、すでに、90代の骨になっていますとか、血管の弁(それは、体中にあるんですよ)が、すべて閉まらなくなっていて、トルコのイスタンブールで、4時間も気絶していて、たまたま、シェラトンホテルで、朝食のルームサービスを頼んでいた時の立ちくらみだったから、ボーイがドアを開けてくれたので、発見をされて、医者に蘇生術を施されて、助かったわけですから、とても、体が弱くて、石段の途中で、休むのは仕方がないことなのです。

 駅からすでに、12分は歩いてきているわけですし、銀座の画廊巡りでは、4時間程度歩き回るわけですから。

 そんなことは、彼には立ち話で、話した過去はありません。だけど、それ以前は、親切で、上品な紳士だった彼が、その日に、やむを得ない事情ながら、ワインが割れて、途方に暮れている老女を、「あれ、困りましたね。ほかのものを持ってあげましょう」というのではなくて、反対に、「川崎さん、ワインが割れて惜しかったねえ」というのは、私にとっては、驚天動地の出来事でした。

 その当時は、この文章の上の部分に書いたような裏があるとは、はっきりとは、まだ見抜いておらず、したがって、ずっと仲良しだった彼のすさまじい変身を、許す気にはなれませんでした。

 実はずっと仲良しだったというのは、10年間は事実だったのです。人数の少ないこの山で、彼は、もっとも上品な態度の人間ですから、とても、好ましく思って、私としては、良好な関係を築いてきたという気持ちもあったので、残念でたまらないものの、すぐ、それを文章として発表する気にもなれず・・・・・(私は、実はひどくやさしいのですよ。だけど、やさしさって、力があるから、やさしくなれるのだから、馬鹿にされたら力を反対方向に使います。それは、覚悟しておいてくださいね)、一応の断りを入れたのです。もし謝罪をしてもらえたら、それを発表をしないつもりでした。ずっと、友達だったつもりですから。

 次の日に電話で、「あなた、昨日、あなたがなさった事って、文章に書くと、とてもみっともない事なのですよ」と言ってみたのです。これが、インテリ特有のものの言い方なんですが(笑)、彼は、それを、理解できなかったみたいで「ああ、いいですよ。書いて下さい」と言ったのです。

 それで、ブログではなくて、メルマガで書きました。が、パソコンが何台も壊されていて、原文はすでにありません。初期のAOLは、パソコンのOSと、関係がないみたいで、保存はされていませんが、簡単に内容を、思い出すと、私は、どうして、彼が、あれほどの、からかいを年上の、しかも他人に対してやったのかということを、心理学的に分析しています。つまり、彼が甘えることのできる対象が、周辺には、私しかいなったという事なのです。だが、私は、彼を弟とも、大親友とは思っていないから激怒したのでした。

 随分後で、それを知る事となるのですが、こちらも、安野家と、同じく、実母と、実子の関係では無かったのです。略奪婚というわけではなくて、正式な、養子縁組であって、それゆえに、家庭内に、微妙な緊張の漂う家だったのです。

 ただし、安野家とは違って、上品な生活態度の家で、日常的に他人に迷惑をかけるというような、人たちではないので、この日までは、それは、目立たない範疇の出来事だったのですが、私がひとたび怒ったら、そういう微妙な嘘は、すぐに、見破られてしまいます。すべての破片から、統括された全体像が浮かび上がってきますからね。そこが、私が他人とは特に違っていて、、際立って、優秀な部分だそうです。

 で、彼の弱点は、勤務したことがない点にあるのですが、それが、家庭内に、異常な緊張状態があるので、外へ勤めに出られないのだと、分析しています。養子である事を知らなかったので、母と、妻の間に隠された嫁姑問題があって、その間のトリモチのために、彼は、精神的に大きな負担がかかっていて、外へ出られないのだと、分析しています。

 いえ、彼の奥さんは、「光孝さんは、非常に繊細だから、外には、出られないのです」と強調をしていましたが、実際には、違うのです。一家では一番、図太いしっかり者がご主人の光孝氏であり、一家中の人間が仲良く暮らすために、目配りやら、気配りをするのに精いっぱいで、外へ働きに出る事ができないのでした。

 どうして、そうなるかといえば、母君も、細君も、両方が両方とも、お嬢様だからです。精神的には、未熟なお嬢様状態だからです。で、二人を置いて外へ出たら、家庭が、バラバラになるか、細君が、母堂を上回ってしまうので、養子である責任上、母堂を守るために、彼は外へ出られないのでした。で、大黒柱が彼だけだから、彼は甘える対象が身近にないのです。

 つまり、そちらさまの女性陣は、かっこうはすこぶる良いですし、他人に迷惑はかけないし、お上品なこと、極まりないのですが、二人とも、妻としてはだめな人で、男性を真に支える縁の下の力持ちにはなれないのでした。お人形さん的な、女性であり、おばさん的パワーがないのです。

 つまり、ロマンローランが言っていた、「女性は太い腰を持つことが大切だ」という部分がないのです。その点、当時は、162センチで、45キロというほど、やせ細っていて、肉体的な腰は、全然ない私ですが、精神的な意味での腰はある模様です。娘が言うのです。「(私は、どっちでも平気だけど)、お母さんが家にいないと、お兄ちゃんも、お父さんもダメになっちゃうから、おうちに帰って」と。

 私は結婚を皆さんに勧めていますが、女性が仕事を持ち、絶対に、その仕事で、一流になろうとしたら、時には家庭の束縛が、重荷になり、できない場合もあるのです。結婚とは、大いなる責任を、もつものですが、専業主婦という形で、太っ腹な女性が家にいることで、男性は、七人の敵がいるという外へ出ていかれるのですよ。

 ”””””””””これは、今朝のあさいちで、専業主婦というあり方が問題になっていたので、申し上げます。挿入となりますが、その中で、夫の収入が1000万円ないと、専業主婦生活はできないので、その手の男性を探すという外資系銀行勤めの女性が出てきましたが、彼女にその手の、人間的大きさと、包容力があるかは疑問です。それは、偏差値が高いから、蓄積されるものでもなくて、一族の人間の暮らし方から学ぶものでしょう。特に両親の在り方が大切ですね。難しい事ですが・・・・・ 

 だから、結婚は、顔でもなければ、能力でもなく、最も大切なことは、お里の雰囲気と、両親を見る事と、本人の性格でしょうね。無論のこと、男性側にも言えます。が・・・・・””””””

 元へ戻ります。その文章は、主人公の名前は無記名で書き、かつ、閉鎖されたメルマガだけで、送信したのに、大原氏は、どうも内容を知っているみたいでした。今にして思えば、伊藤玄二郎だって、井上ひさしだって、古村浩三君だって、楽々に、私のパソコンを覗き込むシステムは、とっくに開発されていたと思いますので、通々で漏れていたのです。

 が、そこまでは、2004年ぐらいにはわかりませんでした。

 ここで、少し違うポイントで、さらに挿入を続けますが、上にあげた・・・・・二人の有名作家である、平山郁夫と、山本容子がたいした作家では無い・・・・・・という話ですが、私は、大原氏とは、全く違った意味で、また違った基盤を持って、有名作家が、即、いい作品を作っているという事を信じられなくなっています。

 私は自分の目で見て、いいと思った作品しか信じないし、メディアが、エージェントたちに、動かされ切っているというのも、つくづくというほど、気が付いていますので、そういう側面からも有名な作家である事が、直に良い作品を作る人であるとは、信じていません。

 特にNHKBSプレミアムを私物化している山本容子さんには、2010年4月の私の個展にぶつけてきたとか、その裏側にどれほど、汚いいじめ工作があるかを、すでに、ずっと前から見破っていましたが、鎌倉春秋社を訪問をして、「ぜひ、私の個展に見に来てください」と言ってみる事で、見破っていることを、外部へ表明したとたんに、

 井上ひさしが、自らを死んだ事にしたので、特に、評価が低いのです。

 これから、それを、詳細に書くつもりはありますが、本日は触れません。

  ”””””””で、挿入から、元へ戻ります。

 今は、湘南信金について語っている最中です。その銀行がどれほど、敵方に利用をされていたかをです。

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副題3、『問題の石段を、市が、半分、町内会が半分という形で、費用を出し合って直すこととなったが、支払いが大問題だった』

 さて、私は、2007年から、明瞭にパソコンに攻撃を受け始め、それ以来、どうしてこうなるのかと、考え続けているのですが、今では、後ろに瀬島隆三などの、国際的軍産共同体がいて、彼らが、まず、鎌倉では、伊藤玄二郎と、酒井忠康氏を抑え、そこへ、アイデアマンの、井上ひさしと、システム開発者(または、グループを率いている、)古村浩三君なども加え、そこは、まだ、確認できてはいないが、成岡庸司とか、石塚雅彦氏という、国際的な連絡をしうる人物やら、飯島勲氏か、小沢一郎氏か? 誰か、政府そのものに働きかけられる人間も加えて、

 壮大な規模で、いじめぬき、暗殺しようとする勢力に・・・・・自分が、取り囲まれている事を、だんだんと、自覚するようになるのです。

 ただし、本日は、XPのサービスが終わるという点に絞って、語ろうとしていますので、パソコンのシステムのことを語りたく、それは、自分のパソコンの異常もありますが、銀行を使った手だてもたくさん行われたのでした。銀行こそ巨大なパソコンシステムを使っているからです。

 それを語っていきたいと思いますが、大原氏が、からかったが故に、その石段を直す事に、決まったらしくて、市が半分、そして、町内会が半分のお金を出して、石段を直す事となりました。

 それは、2008年の春だったと思います。で、町内会長を前田家が、副会長を、安野家が、がめ続けているのは、そういう書類を、私に利用をされて、自分たちの悪事の証拠として使われると大変だという意識があるからでしょう。

 そういう書類がいっぱいあるわけですが、

 もっとも、奇妙なのは、町内会からの支払いを、湘南信用金庫を通じて行うという話です。相手は土木会社です。どこの銀行にどういう口座を持っているかは知りませんが、どこが相手にしろ、横浜銀行から送金ができない筈はないのです。この当時に、上限50万円の制限はなかったと思いますし、もしあったとしても印鑑を使って送金すれば、すぐ送金できるでしょう。記帳は通帳に一行記載をされるだけですがね。

 でも、わざわざ迂回路を作って湘南信金を利用する。それがどういう意味を持っているかというと、当時は、まだ、私が湘南信金を使っていましたから、あの例の青山で、4000円が、おろせなくて、10分以上おろおろしたことも含めて、そこを、強烈に印象付けたいらしいのです。『それが、どうした?』と、こちらは思いますが、

 当時は、私はお金がなくてね。いろいろ、お金がないということを文章、(メルマガ)に書いていましたから、よほど貧乏だと思ったらしいのです。敵、特に井上ひさしなどがね。彼が、子供のころ、制限をされたおこづかいをもらっていた孤児院・・・・・(カソリックが経営しているが、実態は親が育てられない子供を預かっていた)・・・・・時代の苦痛の反映だと思うのですが、雨宮舜は貧乏らしいから、さらに、貧乏を、突っ込んで、いじめてやれ。四千円がおろせなかった事を思い出させるには、この支払は、湘南信金でやらせる以外にはない』と、言う話であって、と、同時に、猫のことで、とんでもない迷惑をかけ続けている鎌倉春秋窯の先生石川和子女史の夫、柳沢昇が、ゴルフの会員権を持っていることを郵便の誤配達を利用して、私に知らせたあたりの、時期なのです。

 どうせ、これも、例の原水協か、原水禁の、千葉県連のデモを、鎌倉、裏駅の湘南信金前に行わせた、鎌倉エージェント(井上ひさし)の発案だと思いますが、・・・・・・

 特にその時点2008年では、では、井上ひさしは、完璧に生きていましたからね。

 で、その・・・・・町内会が、その砂岩の補修工事をする・・・・・という決定は、表向きからだけ見れば、公的なものですが、裏側を、私から見れば、いかにも私的なものなのです。大原氏の失言の跡である、石段を、無くして行って、私の文章の証拠を消していこうという案です。だから、工事そのものが、大原氏に個人的に味方をするものです。そういう目的のために、市のお金と町内会のお金を使うのです。

 そして、私の方は、30年間にわたって、自分の土地を自分が使えないという被害があって、しかも、パソコンの方や、同窓会における友人関係、鎌倉市内における友人関係を壊され続けるという精神的な被害を入れれば、五億を超える被害を受け続けているのの、一切の保障を、もらえないのです。やられっぱなしで、被害だけ積み重なっていきます。

 というわけで、大原氏は、自分が数の上では、大きい側についていて、従って、そちらに正義があると信じているので、自分は勝った側だとも、信じていて、次から次へと、さらにひどいからかいの言葉を、捨て台詞的に投げつけてきます。堂々と。または性懲りもなくと言っていいほど。

 しかも、裏側では、いろいろなところに悪口もばらまいています。何度も言ったように、一家の大黒柱が外へ出て働いていない家では、話題が限られ、狭い世界に話題が限られるので、その表向きの優雅さとは全く違って、家庭内の話題が、知っている人のうわさ話が多いからです。

 そして、特に、藤沢東美という画材店に、自分の同窓の人がいるので、そちらにも悪口を入れたらしくて、数百万円を買ったり、運び賃として、入れ込んだそちらから、私が取引を断られたり、鎌倉の町中で会うと、睨まれたり(普通商売人は愛想がいいのが通り相場ですが)、あまつさえ市川さんというのが版画家は、Oギャラリーと、T.Box が、同じビルにいたころに、何かを、言ったらしくて、私は仕事上のひどい損失を被る事になるのです。

 それらの事を、私はほとんど、戦いません。やられっぱなしです。特にT.Boxの高橋典夫さんが、月刊ギャラリーへ私の連載時に、編集長に讒言の手紙を送ったのも、大損失でしたが、

 この大原光孝→、中村さん、→ 市川さん、高橋典夫さんという流れになって起きた事でしょう。ひどいなあ。私は大原さんの企画展をやっている画廊のオーナーとも親しいですが、大原さんの悪口をその人に言ったことなど一切ありませんよ。

 本当にひどい。

 で、私的な流用でも、数の力で、それが通ることに、意味があり、彼らはそれで、公的なものになると信じて居るので、絶対に私に確認を、させたいと思ったのでしょうね。で、なんと、そんな必要はまるでないのに、わざわざ、一回浜銀から、湘南信金へ入金して、そこを通じて、業者へ、入金をするということになり、それがまた、ご丁寧に、回覧板を通じてお知らせをされました。請求書だか、領収書だか、詳細には、覚えていませんが、B6か、A5程度の建て8宣地以上、横、25センチぐらいの、小切手かな?・・・・・が、準備されたのですが、110万か、180万の支払いに、仰々しいこと、笑っちゃうようですが、そういう脚色が大好きなのです。誰がって、たぶんですが、井上ひさしです。

 ここで、XPがサービスを停止することにもどります。それが、2014年、4月9日と決められていますね。それこそ、井上ひさしが、自分を死んだことにした、月命日なのです。それを、強調して、私への脅かしに役立てようという、それが、今回のマイクロソフトの、XPサービス停止の最大の目的ですから、常に、そういう脚色を作り出す井上ひさしについて語るために、湘南信金に関するエピソードをここで、思い出す必要があったわけです。

 ここで、問題をクリアーにするために、もう一度送金システムを反省してみましょう。町内会はお金を、工事会社に払うわけでしょう。その会社は、どこかの銀行に口座を持っているわけです。その口座がたとえ、湘南信金のものであっても、浜銀からは、送金ができます。もし、今できないこととなっているのなら、それこそ、誰がそれを命令したかを問わないといけません。

 この三番目の件は、本日の主題となっている、IT的な問題には直接には関係がないのですが、XPヴァージョンのサービスが、どうして、2014年の4月9日に停止されるようになったかを追求するには、こういうエピソードがすべて必要なのです。

 ところで、こと、湘南信金に関して言えば、当然のごとく、噛んでいるわけです。伊藤玄二郎が命令したのかお願いしたのか、それとも、国際的軍産共同体の犬と化している警察が動いて、警察署長が命令したのか、どうかは知りませんが、ともかく、なんだか、仰々しい普段は全く使っていないような、白紙の小切手を、急きょ、作り出したのは、湘南信金の、鎌倉支店長でしょう。小切手って、普通は偽造を恐れるので、背景に、証券類に特有の細かい柄が印刷されているのがですが、その時は、大きさが目立つことが必要だったので、背景が、白紙でしたね。そういう証拠を隠しておきたいと願うのが、前田家と、安野家なのです。

 私はとうとう、仏の顔も三度となって、湘南信金の口座からは、千円以内を残して、普通預金も、二百万円(ちっぽけなお金ですが・・・・笑)の定期も解約をしました。

 で、今度は、矛先が、三菱東京UFJ銀行へ移ったのです。

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副題4、『父の遺産を相続したころ、三菱銀行の応接室も招じ入れられるほどの、厚遇を受けていたが』

 父の遺産を相続した時に、相続税を、千三百万円払いました。それで、その年だけ、鎌倉市の高額納税者、18位だかになりました。それほど、高額の税金の相応するほどの額をもらったわけではないのですが、遺産の総額が大きかったのです。すると、パーセンテイジが、大きくなるのでした。そして、遺言書相続でしたから、娘よりも息子がたくさんもらったのでした。長男は家を守り法事などを執り行わないといけないという親の感覚がありましたから。

 でも、私がここで、真に言いたいことは、三菱銀行とも、とても友好的な関係で始まったと言うことです。1980年代は、2階に金庫室と応接間があって、その応接間に招じ入れられるほどでした。そして、鎌倉には、血はつながっていないものの、おじやおばにあたる大金持ちもいて、叔父は、鎌倉の旧男子師範の付属小学校も卒業しているし、職業的にも申し分のない来歴ですし、その上に、麹町にあった昔からの家を売ったから、資産家なのですが、そちらと、二階で私は偶然、出会ったりして、「あら、まあ」と言ったりしていた平和な時代です。

 ところが、その12年後に私はパソコンを使い始めます。これも、一人暮らしだから可能だったのでした。我が家の鎌倉の家では、母が、インテリであることを、主人も子供も好まなかったのです。で、こういう風に活動をできるようになったのは、あの一人暮らしがあったからです。

 でも、残された家族にとっては、「お母さんが家にいた方がいい」となって、私のほうは、「それなら、ある程度の自由を許してね」となったので、やっと、こういう風に、発信をできる、一種の主体性を持つ主婦になれたのですから、あの一人暮らしは、いろいろな意味で、大いに役立ったのでした。

 しかし、敵にとっては一大事です。つまり、私が発信者となってしまうと、タコ部屋的な世界で、隠し続けてきた悪が、表に出てしまうからです。で、すさまじい弾圧を受け始めます。でも、その中で、私は着実に進歩し続けています。

 敵は私が、出版社として、いわゆる東販とか、ニッパンという本の卸業に配本をお願いするところまで、手を伸ばすと思っていたみたいです。でも、実際の私は、敵がみなすよりも常に、歩幅を小さく、動いているのです。が、それでも、メルマガをやり、フェイスブックをやり、・・・・・(それは、どういうわけか2012年の3月11日以来、ログインできなくなっているが)、・・・・ブログをやる。そして、自分一人で本を出版できる。

 それは、敵にとっては、きっと、瞠目をするべき進歩であり、気にかかってならないというか、心配でならない存在となった模様です。特に悪事やら、失敗を、私に目撃をされている手合いは、ある種の恐怖感にさらされたのでしょう。

 で、ものすごい事が、三菱銀行を舞台としても起きるのでした。湘南信金を使わなくなったからこそ、今度は三菱銀行を舞台としていろいろ起きてきたのです。

 ちょうどそのころ、横浜銀行鎌倉支店は、工事中で、裏駅側にあったので、つい、使いにくく思っていたころでもありましたし。

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副題5、『三菱銀行のカードが、あなたは、第三位の貧乏人だから、現金がおろせませんと、ATM画面で言う・・・・・・驚天動地のバグさんが入っていましたが』

 もうひとつ、当時は郵便貯金も、カードは持ち歩いていました。だが、駅に近い三菱銀行も日常的に、使うようになったのです。ただ、それは、借金もできるカードなので、忙しすぎて、よくバッグそのものを電車に置き忘れたりしている私は、できるだけ使いたくないとは思っているものの、上に言ったように、浜銀は工事中だし、スルガも駅からは、行くのが面倒だし、と、いろいろあって、落とすと困る三菱銀行のカードを常用していた時期もあるのでした。

 だが、さすがに、このカードで、千円単位に、引き出しをするのはためらわれ、湘南信金で、それをしていたように、「一回に必ず、4000円を下ろします」というような、決まりは作っていませんでした。だから、青山のセブンイレブンで、突然、湘南信金のカードがきかなくなって、おろおろしたような経験はありません。

 しかし、鎌倉支店で、驚天動地の体験をいたしました。それはあまりにも辱められた程度が激しくて、今まで、書いていなかったと思います。書くのが嫌だったのです。

 ところが、今では、母から、遺産をもらって、お金がずいぶんと自由になりました。しかも、海外修行をする年でも、ないなあと、今では、思っているので、大金を使う予定がないので、自由度がひどく高くなっています。で、語る事ができるようになったエピソードですが、

 ある日、お金をおろすために、三菱銀行、鎌倉支店に、入ったのです。それは、たいていは、夕方6時にシャッターが、降りて使えなくなるので、

 6時前だったと記憶をしています。だが、辺りには他の人がいなかったので、午後4時前後ではなくて、6時直前だったでしょう。特に冬の。

 その時間帯では、当時は、通帳記帳はできない時代で、私は単純に、借金では無い方の、向きで、カードを差し込みました。すると、画面が、いつもとは全く違う、画面となりました。

 薄い緑色で、濃い緑色のラインで、仕切られたいわゆる、エクセル画面、もしくは、HTML画面が現れたのです。大小の長方形で、4つか6つに仕切られた画面の中の文字は、フォント18程度の大きなものですが、黒であって、何のデザイン上の凝りも工夫も感じさせないシンプルさです。

 その中のメインらしい長方形の中に、麗々しくも文字が躍っていて、「あなたは、当行にとって、第三位の劣位にある顧客ですから、お金がおろせません」ですって。

 今では、笑ってしまいます。そして、『こんな現象に出逢って、文章を書く種ができてよかったなあ。読者のみなさんも、久しぶりに大笑いをなさるだろう。暗い話題が続いていたからね』と、思うのですが、当時はさすがにドキッとしました。

 それを写真に撮っておけばよかったですね。しかし、当時は、証拠は、ちゃんと残しておこうというほどの、意識がなくて、証拠は、ただ、単に、私の記憶と、インターフォンで、呼び出された、三菱銀行鎌倉支店の、当時のスタッフさんの頭の中だけに残っているのでしょうが・・・・・ただし、内部では大問題になって、帰宅しないでいた行員は、ほとんど、このカードについて知っているのではないかしら?

 特に一階で、仕事をしていた人たちは。

 毎晩、毎晩、自宅のパソコンに入れ込められる悪い作用、(たとえば、アドビで、レイヤーという線が必要になることがあるのですが、それが、普通は透明であるはずなのに、黒または、白の色が付けられていて、気が付かないと、表紙の装丁に、横線が入っていたりする・・・・・・・その好例は、「黄色いさくらんぼ」という私の著書の表紙に、顕著に見えておりますが・・・・・・・)に遭遇し、毎晩、それと戦っているので、

 すぐ、これが、からかいをこめて、いじめるためのバグのせいで、こう成っているとは判るわけです。だが、普通なら突破できる、バグも、この時は突破できませんでした。

 銀行のカードをいじる、クリック用マウスは、右側に置いてある、数字ボタンしかありません。そこには、1~0までの、アラビア数字と、ハイフォンなどの少数の記号があるだけです。

 画面の中に、HTML方式で描かれた長方形が現れて

 そのまわりに、「金額を入れてください」と、案内が出ていたら、初めて、その液晶画面の右側に置いてある数字パネルが生きるのですが、そういう画面が出ていないと、数字を入れたくても、入れられず、したがって画面がうんともすんとも言わないのです。つまり、フリーズ状態で、動かないという事です。その上、カードも差し込まれたまま、戻ってこないわけなのです。

 これは、『辱めの局地であって、自分一人で解決したいものだ』と、思っていても、どうしようもないのです。それで、ATMに置いてあるインターフォンで、裏に待機しているスタッフを呼びました。三菱銀行のスタッフも、あっけにとられて、びっくりしていました。それには、私は驚きません。真夜中でも、プリンターをがたがた言わせて脅かしてくるのが、敵のそのころの日常ですが、三菱銀行がそれをするはずがなく、湘南信金のはずでもないので、もっと、別のところから送り込まれたバグによって、こういう事が起こっているのは、わかっていますから、別に、三菱銀行に対して、怒りをあらわにしても、何も解決しないのです。

 それに、支店長が、誰か、伊藤玄二郎か、鎌倉警察署長に頼まれて、こういう事をやりますか? まさかやらないでしょう。三菱銀行の鎌倉支店って、神社仏閣が多くて、そういうところは、お賽銭を、株に投資したりはしないので、定期預金にしていくので、日本一預金残高が多い支店だそうです。

 それほどの、誇り高い、支店のトップが、「ある個人をいじめる必要があったので、こういたしました。鎌倉春秋社社長、伊藤玄次郎様に依頼をされましたので・・・・・」という事があったら、この世は闇ですね。

 で、私は、ただ、じっと彼らが現れるのを待っていました。15分以上、20分は確実に待たされました。もしかすると、30分だったかもしれません。先ほどは、一人だったスタッフに、補助として、男性が付いて来て、二人が現れて、

 「どうしても、直らなかったので、新しく作り直しました。お受け取りください」と言って、新しいカードを渡されました。

 その顔は、やや、ひきつっているようでした。驚きの余りというか、ことの大きさに、震え切ってというかで、そういう顔になったと推察されました。

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副題6、『私は、自分の、システムエンジニアーとしての能力に、自信は持ったが・・・・・』

 わかりましたと言って、別に、彼らを叱り飛ばしもせずに、帰りました。一応現金をおろしてね。でも、その時に、私は深い自信を持ったのです。自分のシステムエンジニアーとしての、実力にね。それは、相手方の攻撃によって磨かれたものでした。

 ひどい時は、一晩に、50回ぐらい、仕事を邪魔するバグを入れられます。ワードだったら、漢字変換ができなかったり、アドビだったら、回転の角度が全く正反対に動いたりします。

 それを直しなおし、突破し、突破して、本を作ってきました。で、もし私が三菱銀行の、行員用パソコンの画面をいじらせてもらったら、もしかしたら、この「あなたは、当行、第三位という低い、レベルのお客だから、現金がおろせません」というバグを退散させ得たと思いますよ。

 だけど、優秀な大学を卒業し、厳しい就職戦線を突破してきた、若い行員は、このバグを突破できなかったのです。

 のちに中古のパソコンを扱う専門店、ソフマップの横浜支店で、「あなたはソフマップの店員ができますね」といわれるのですが、あながちお世辞では無いと思っています。

 どこの専門学校に通ったわけでもないのですが、攻撃があるからこそ、学び得た技術でした。

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 この後で、副題を、『しかし、その数年後、この2014年の、春の浜銀の、ことカードの混乱についての、態度は、三菱より敵側(=悪人達に)に、より忠節だった』

 という節も書いていました。ところが推敲中に、それが、3千字を超えてしまいました。その前も、推敲中に文字が増えていますので、全体で、二万字をオーヴァーしたと、グーブログ側が言いました。ので、その節は、後ろへ回します。別章を立てて、語らせていただきます。どうか、よろしく。

 今日は前説だけで、現時点で、このシリーズを起こすことになった、本当に大切な、テーマの方である『XPのサービス停止の意味』までは、言及できませんでしたが、お許しくださいませ。

なお、このブログの2013年度から数え始めた延べ訪問回数は、150万回以上です。 です。 2013年4月9日に初稿を書き始め、12日に推敲を終える。

             雨宮舜 (川崎 千恵子)

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