RT 嫌っている人の中には女性もいるし、フェミニストには男性もいるんだけど、フェミレッテル貼り好きな人はことさら「男女の争い」という構図に持ち込む。女性の人権の尊重とはたとえば教育を受ける権利であり医療を選択する権利であり、それは母が子を守る権利でもあり人類の問題なんだけどね。
フェミレッテル貼りの人たちのもう一つの特徴は、性暴力の否定を性の否定と混同していること。女性を支配しようとしたり、無断で境界を侵害することを批判することを、欲情することそのものの否定ととらえて反論してくる。これは社会構造の問題でもあるだろうからなんとかせんと、というのがフェミだ。
男女平等、女性の意思の尊重という話になると、壁ドン禁止とか、デートは割り勘とか、生活費は出さないとか言い出す人もいる。
平等というのはみんな同じじゃないからね。好きな人にサービスして弱いところを強い側がケアするのはいいことでしょ。ただそれを性で役割固定するの変だって話だよ。
「女性をモノ扱いするな!」という言葉が全く響かない人というのは、もしかしたら自身がそれまでモノ扱いされて生きてきた人なのではないか、とふと思った。
きちんと人として尊重された経験がなければ、相手を人として対等に扱うということがどういうことなのか、わからないのも無理はない。
そもそも日本はおよそ人の権利や尊厳というものを大切にしない国だ。そこで育った人間に、自分も他人も等しく大切にできない人が多いというのは無い話ではない気がする。何しろ男性と見れば単なる労働力で、いかに安価で暴動も起こさず統率された労働力として使い続けられるかを考える発想の国だから。
そう考えていくと「男は性欲を我慢できない」という話も実は、そんなふうに一人の人間として大切にされない中でも、男達が使い勝手のよい労働力であり続ける為に用意された装置なのではないかと思えてくる。
「お前ら基本モノ扱いだけど、性欲の部分だけは優遇しといてやるから」みたいな。
だから法律もメディアも世論も、とにかく男の性欲に対しては緩いのではないか。
そこすら奪ってしまうといよいよ使い倒せなくなるから、風俗やらエロコンテンツやらはやたらと豊富に用意することで、エサを与え続けているんじゃないか。
そのことを成り立たせるために、女性という存在を生贄にして。
もし性欲が、基本モノ扱いのこの国の男達の唯一のはけ口で、かつそこが人としての尊厳の最後の砦になってしまっているような人は、それを奪われることに必死に抵抗するだろうし、むろんそれによって理不尽に被害を受けている女性の立場なんか想像する余裕もないから、何を言われても響かないだろう。
だとすると、男尊女卑もミソジニーもそういう理由で用意された装置とも思えるし、だったらもう男達も「人権とか言う奴はわがまま」とか言っていいように飼い慣らされてる場合じゃない気がする。
そんなエサすら与えられずとにかく抑えつけられてきた女性達が、自ら戦って尊厳を勝ち取ってきたように。
もし「これで性欲まで抑制されたらやってらんねえ」と思っている人がいたら、それ以前にもっと基本的な自身の人間としての尊厳がないがしろにされていないかどうか、そっちに目を向けるべきかもしれない。
少なくとも、そこで矛先を女性に向けるという発想は、絶対におかしい。
どっちも被害者だ。
言いたいこと全部書いてありすぎて精読するのがつらい……私も、ONE PIECE、好きでした。今は過去形でしか言えない。いろいろ疲れてしまった。言語化してて偉いな。 / “サンジ君がカムバックしない - 腐ハウスブログ” htn.to/phP5zY
続)私は少年漫画を愛していたいのだが、少年漫画からは永遠に愛されないし、愛されたいと願うほど少年漫画と相思相愛になれないどころか、私が私であるためには少年漫画を憎まなくてはならないのではと思えてつらい、そして傍目には「そもそもおまえ対象読者じゃないから」と片付けられるような……。
続)『聖闘士星矢』も『ONE PIECE』も同じで、私はこのモヤモヤに対抗する手段を腐的消費しか知らないのだが、いつも女聖闘士の掟「愛するか殺すか」が頭から離れない。いやしかし今現在のWJ中堅作の布陣はその意味でも素晴らしいと思います。腐的消費を逃げ道にせずに普通に楽しく読める。
めっちゃザックリとなんだけど、マヨロフはパパコーチが癌になって骨髄ドナーになった。骨髄を取ったその影響でグランプリシリーズとナショナルを欠場したみたい。そんな事情で試合に出られなかったのね。パパコーチが回復しますように(;_;)
SWE連の方が英語だし分かりやすいね。パパコーチが白血病になり、世界中のドナーを探したが見つからず、弟のニコマヨはまだ未成年だから自分がドナーになった。ラトビアの試合は体力が持たずに棄権、グランプリも回復するには時間が足りなかったみたい。
知らない人もいるっぽいから補足。マヨロフの父親はレニングラード(現サンクトペテルブルク)の人でミーシンの生徒だったんだけど、1991年にソ連が崩壊して生活が立ち行かなくなり一家でスウェーデンに移民したそうです。移民するにあたり自分の生徒だったヤグディンをミーシン先生に託したの。