たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2008年8月‐12月『フェルメール展』_光の天才画家とデルフトの巨匠たち

2017年10月05日 19時01分01秒 | 美術館めぐり
 10月、急に涼しいというよりは冷え込んできましたね。あと三カ月で2017年が終わっていくなんて信じられません。色々なことがあった2017年、まだ終わりではありません。次の居場所に出会うべく、午後外出。書類の準備はできたのでエネルギーをふりしぼってまた写真を撮り、貼付して郵便局に持ち込まなければなりません。一回一回、心身をそがれます。息抜きにまた思い出振り返り。

 2008年8月から12月にかけて開催された『フェルメール展』、2009年のルーヴル展よりもこちらの方が先でしたね。わたしが訪れたのは会期がせまってきた12月だったかなあ。すごく混んでいました。この時出会った作品の中には、その後文化村で開催された『フェルメールからのラブレター展』で再会したものもあります。宗教色がなく、ありふれた日常生活の場面を描いているところが日本人には親近感をおぼえやすいかな。音声ガイドにOTTVAの音楽が流れていました。OTTVAとの出会いでもありました。音楽と絵画の素敵な組み合わせに、幸せ感あふれる音声ガイドでした。ありふれた日常生活、とうとい。


(山岸健著『絵画を見るということ』1997年7月30日発行、NHKブックスより)


「フェルメール‐描かれた日常


 身辺を描く穏健で静かな画風だが、目にしみ入るように美しいフェルメールの絵画世界がある。人間と人間との触れ合いが体験される画面には、どことなく劇的な様相が漂ってい る。

 ある意味では、彼は手紙をモチーフにした画家といえるだろう。手紙を読む女性、手紙を書く女性が描かれている。手紙を書き始めた女性に便りが届けられた絵もある。手紙とともに、手紙によって、人間的空間が浮かび上がってくる。一通の手紙とともに、姿が見えない他者が姿を見せる。差出人である。手紙において人と人との触れ合いとつながりが体験される日常的世界がクローズ・アップされてくる。フェルメールは手紙に強い関心を示している。

 フェルメール(1632‐75)は身辺を描いた画家だ。人びとの暮らし、日常生活と人生の一 場面が主題化されている。彼の生活の場であったオランダ・デルフトの絵には、デルフトの日常生活、居住空間の様相、風景などが描かれている。彼はさまざまな窓辺や壁を描き、また、楽器を描いて、生活空間を明るみに出した画家であり、人物を描くときには、手もとや身辺に注目し、また、視線を描いた画家でもある。

 何かをしているところ、何かが進行中、といった絵がある。人間の動作と行為にフェルメールの視線が注がれている。ワイン・グラスが人間的空間に姿を見せている絵がある。
果物やパンが描かれている絵がある。こうしたさまざまなモチーフが姿を現わす日常的空間が、絵画的現実として、おだやかな光と落ち着いた色調で表現されたのである。

 彼の絵において体験される音がある。人の声、楽器の音、文字を書いているときの音もある。いずれの画面からも、日常生活が浮かび上がってくる。」



 この時も分厚い公式ガイドブックを購入したもののいまだほとんど手つかず。これをきっかけにガイドブックもぼちぼちと振り返っていきたいと思います。ようやくここまで書けました。












会場で購入した絵葉書をスキャンしました。

「ヴァージナルの前に坐る女」、ヴァージナル、先日の『ダヴィンチ展」で資料をもとに再現された模型をみてようやくイメージできました。オルガンのシンプルな感じかな。




「リュートを調弦する女」