阿智胡地亭のShot日乗

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ジャカルタ空港の「鮭の新巻き10本」の通関には大汗をかいた           昭和50年代の海外あちこち記 その3

2024年03月28日 | 昭和50年代の海外あちこち記

1976年12月、インドネシアのジャカルタへ出張しました。

 入社9年後に突然 それまでの国内営業部から貿易部に配属されて海外出張2回目に、インドネシアのジャカルタへ年末に役員のお供で出張しました。
 
 アルミのアサハンプロジェクトが立ち上がり、お客さんの会社がジャカルタオフィスを開いていたので、受注活動の一環で陣中見舞いの年末ご挨拶です。
 
役員は「お客さん達が正月を初めて家族でジャカルタで過ごすんだから、鮭の新巻をお土産に持ってくぞ」と言い、10本の新巻きを持って行くことになりました。
 
 さあ、ガルーダ航空がジャカルタ空港に到着し通関です。同行のみなさんは機内のお酒で、機嫌よくパスポートチエックの方に行き、通過していきます。
 
空港の税関で 持ち込んだ10本の鮭の新巻を通すのは一番下っ端のボクの仕事です。
 
 カートに自分のトランクと新巻10本を乗せて後をついていったボクは、係の役人からこっちへ来いと別室に連れ込まれました。
 
物凄い剣幕で「この大量の荷物は何んだ?」と言っているようですがよくわかりません。
 
しどろもどろで「魚のサーモンのソールト漬・・なんじゃかんじやです」と説明しますが、こちらの英語もいい加減、向こうはハナから聴く耳もたずです。
 
 時間は経っていくし、これをここで没収されたらエライ人から何を言われるかわからんと大汗かいて全身が熱くなりました。
 
そうこうするうちに 相手の口はガタガタ言っているけど目はニヤニヤ笑っているのに気が付きました。
 
そうか話に聞いていたアンダーテーブル・袖の下や と米ドル10ドルを財布から出して渡すと
 
(早くそれを出したらいいんだよ)という感じですぐにポケットに入れ、向こうのドアを開けてくれました。
 
 それでも、出張の一行が心配そうな顔で出口で待っていてくれました。
 
「やっぱり引っかかったか」と役員が言いました。
 
「よう通してきたな」というお褒めの言葉を期待していたボクの甘さを思い知りましたが、これから後の同じような経験の初めの始めでした。
 
役人の給料が安いのでこうして集めた金をプールしておいて年末なんかに仲間内で分けると後で聞きましたが、
 
その後各国でこのような事を何遍経験しても、その都度身体がフリーズして大汗かきまくりでした。
 
 海外出張2回目の社員に外国の通関には日本と全く違う事態がありうると その対処についてなど貿易部の上司が誰も教えてくれないのに
 
困惑の中でああこれは袖の下で解決する状況だなとわかったのは 学生時代から好きで いろんな日本人の海外旅行記をそれまでに読んでいたおかげかも知れません。
 
 そして10ドル紙幣を持っていたのは 海外出張一回目のスマトラ島メダンへの出張時に
 
同行の大阪コンベヤ設計部の竹中技師が1ドル紙幣を何十枚も持ってきたことを知っていたからです。
 
なぜ米ドルを1ドルに小さく崩して持ってきたのですかと問うと、「あんなあ 阿智やん、ドル札の現金は世界最強や。
 
どこの国に行っても困ったときにはこれが効くんや」と。
 
 この話を聞いていたので 私も貿易部にいて出張のときにはずっと何枚かドル現金を小さく崩して財布の中に忍ばせていました。
 
 
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