・・・涼しい朝です。
昨日の朝久しぶりに富士山が全部見えた。なにかしらホッとする朝だったが夕方には雲の中に・・富士山自体ここんとこ天候が悪くって毎日曇り・濃霧・雷・雨などの山岳気象予報が出てる。やはり8月にならないと天候も安定しないのかも。
7月30日には富士山太鼓祭りが御殿場登山口の新5合目太郎坊で、8月5日には富士登山駅伝が、8月12日は花火大会が東富士演習場で、その間に御殿場夏祭りなどの夏の行事が目白押し・・・
夏といっても海抜の高いところだから長袖シャツやうすでのジャンパ-などが必要なことも。
涼しくっても晴れてくれたらいいんだけどなぁ~
市内の交通規制も結構あるし、5合目を周ってるスカイラインもお盆の間は車は行けなくなるし、シャトルバスで移動なんてことも・・
で、昨日は<国家の品格>を書いた親父さんの本を一気に読んでみた。
新田次郎の<芙蓉の人>・・・
明治28年富士山の通年気象観測を目指して、民間人でありながら嘱託として観測機器は気象庁から提供を受けたけど、建物や食料は自費で冬の富士山の気象観測をはじめたんだけど、1人で冬の3776Mのところで一日2時間おきの観測を半年近くもできっこないって、見越した妻が資材の準備段階から観測まで周りの反対を押し切って夫を助けたことを妻側から見て書いてるんだけど、明治の女として、妻として、母としてその強さにそして、気象予報の正確さを裏付ける高所観測の必要性を訴え、その後大正のはじめにやっと第二の観測が設立されたものの妻は流感で大正12年になくなり、夫はその後富士山頂の通年観測を口にしなくなったと言う。
そして、国が通年観測に入ったのは昭和7年7月1日からである。新田次郎は気象官として昭和7年から12年まで一ヶ月交代で年に何回か山頂勤務をされた。その後富士山剣が峰に観測ド-ム建設の指揮を取られ、そこからの強力なレ-ダ-でもって、台風観測に威力を発揮したことは周知のことだと思う。
そのド-ムも気象観測衛星の出現によりお役ご免となって今は山梨の富士吉田に下ろされた。その辺のことは息子藤原正彦氏の書いた<国家の品格>の続編にくわしい。
いずれにしろ、いざとなったら昔も今も女は強い
昔と今と違うところは 昔の女は男を男にするために強かった。(銃後の守りなんかも・・)
昭和20年を過ぎた頃から女は自分のために男を男と思わないように強くなって行った。(言い過ぎかな_(_^_)_ペコリ )
自由と平等・個人の尊厳・尊重とかいって性差も考えないようになって来ているんじゃないのかな?
え
わたしんとこは・・今、嫁が強いです。私は小さくなっとります。(*σσ*)えへ♪
嫁よりも1秒でも先にあの世とやらへ行きたく思っとります。てへ(* ̄ー ̄)>
なんかいろいろ考えさせられる本でした。