時間が出来たら読もうと思っていた本を読んでいる。
「あい 永遠に在り」(高田郁)
高田氏の「みをつくし料理帖シリーズ」をずっと読んでいたせいもあるが、「あい」という題名に惹かれたのが一番の理由。
あいは、関寛斎という幕末の医師の妻。
幕末に江戸を恐怖に陥れたコロリに立ち向かう種痘所(東大医学部の前進)で活躍する手塚治虫氏の曽祖父を描いた「陽だまりの樹」(手塚治虫)が、この時代の医術を書いて詳しく、コロリといえば東大医学部だとばかり思っていたが、コロリ対策で活躍する「あい 永遠に在り」の夫関寛斎は、最近何かと話題の順天堂大学の前身佐倉順天堂出身である。
それはともかく、本書を読んでいて既視感を覚えたのは「陽だまりの樹」とは違う作品。
あいの夫関寛斎
藩医の家柄でないための苦労もあるが、江戸でコロリが流行った時には駆けつけ治療にあたるなど真摯な人柄と確かな医術がヤマサ醤油の濱口梧陵に見込まれ、その援助により最新の西洋医学を習得する。高度な西洋医術でもって典医に上りつめ、戊辰戦争では敵味方なく治療にあたった姿勢が新政府からも評価され要職を提示されるが町医者として生きる道を選び、最終的には北海道の開拓団に加わり北に旅立ち表舞台から消えてしまう。
「JIN 仁」(TBS日曜劇場)
現代からタイムスリップして幕末に辿り着いたドラマの主人公・仁は現代の医学を活かしてコロリ対策やペニシリンの精製術を授けるのだが、その資金援助をするのがヤマサ醤油の浜口。タイムスリップで現れたため出自が不明であり、行く末も危ぶまれるという設定。
「JIN仁」を見ている時、ヤマサ醤油など実在の人物が出てくるのでモデルがあるのだろうかと思っていたが、藩医の家柄でないため出自を云々され維新後は表舞台から消えた関寛斎がモデルだとすれば話が分かる、そんなことばかり考えながら読んでいたので、残念ながら題名に惹かれた「あい」さんの印象は強くはない。それは関寛斎の資料が大量に残っているため詳細な描写が出来るのに対して、妻あいの記録は残っていないため、あいの描写が著者の想像に頼っているせいもあると思うが、それだけに題名となった「永遠に在り」が語られる場面は印象深い。
他人の援助を受けてまで学問を続けることを潔しとしない潔白な関寛斎を理解している妻あいだが、ヤマサ醤油の濱口の言葉を受けて夫に留学を勧める決意をする。
「人たる者の本分は、眼前にあらずして、永遠にあり」
時代も親子の価値観も変わったと痛感した寛斎の最期を知ると、関夫婦が人生の転機を迎えるたび指針となる言葉を直接聞いたのだが「あい」であった意味は大きいのかもしれない。
この本を読んだ理由の題名「あい 永遠に在り」。
作品のどこかに主人公のどこかに面影がないかと探したが、芯は強いが夫を支えることに徹する月「あい」さんと、生まれながらに強いオーラで御自身で輝く太陽では、名前以外に類似点は見つからなかった。
しかし、太陽にも「人たる者の本分は、眼前にあらずして、永遠にあり」をお届けしたい。
新しい道を歩まれる一瞬一瞬は厳しくとも、その道の行く手は、永遠の真理へとつながっていくと信じている。
ところで、失敗ばかりしている私に贈りたい本文の言葉
「人が生きるうえで、本当に取り返しのつかないことは、実のところ、そう多くはないのかもしれない」
「あい 永遠に在り」(高田郁)
高田氏の「みをつくし料理帖シリーズ」をずっと読んでいたせいもあるが、「あい」という題名に惹かれたのが一番の理由。
あいは、関寛斎という幕末の医師の妻。
幕末に江戸を恐怖に陥れたコロリに立ち向かう種痘所(東大医学部の前進)で活躍する手塚治虫氏の曽祖父を描いた「陽だまりの樹」(手塚治虫)が、この時代の医術を書いて詳しく、コロリといえば東大医学部だとばかり思っていたが、コロリ対策で活躍する「あい 永遠に在り」の夫関寛斎は、最近何かと話題の順天堂大学の前身佐倉順天堂出身である。
それはともかく、本書を読んでいて既視感を覚えたのは「陽だまりの樹」とは違う作品。
あいの夫関寛斎
藩医の家柄でないための苦労もあるが、江戸でコロリが流行った時には駆けつけ治療にあたるなど真摯な人柄と確かな医術がヤマサ醤油の濱口梧陵に見込まれ、その援助により最新の西洋医学を習得する。高度な西洋医術でもって典医に上りつめ、戊辰戦争では敵味方なく治療にあたった姿勢が新政府からも評価され要職を提示されるが町医者として生きる道を選び、最終的には北海道の開拓団に加わり北に旅立ち表舞台から消えてしまう。
「JIN 仁」(TBS日曜劇場)
現代からタイムスリップして幕末に辿り着いたドラマの主人公・仁は現代の医学を活かしてコロリ対策やペニシリンの精製術を授けるのだが、その資金援助をするのがヤマサ醤油の浜口。タイムスリップで現れたため出自が不明であり、行く末も危ぶまれるという設定。
「JIN仁」を見ている時、ヤマサ醤油など実在の人物が出てくるのでモデルがあるのだろうかと思っていたが、藩医の家柄でないため出自を云々され維新後は表舞台から消えた関寛斎がモデルだとすれば話が分かる、そんなことばかり考えながら読んでいたので、残念ながら題名に惹かれた「あい」さんの印象は強くはない。それは関寛斎の資料が大量に残っているため詳細な描写が出来るのに対して、妻あいの記録は残っていないため、あいの描写が著者の想像に頼っているせいもあると思うが、それだけに題名となった「永遠に在り」が語られる場面は印象深い。
他人の援助を受けてまで学問を続けることを潔しとしない潔白な関寛斎を理解している妻あいだが、ヤマサ醤油の濱口の言葉を受けて夫に留学を勧める決意をする。
「人たる者の本分は、眼前にあらずして、永遠にあり」
時代も親子の価値観も変わったと痛感した寛斎の最期を知ると、関夫婦が人生の転機を迎えるたび指針となる言葉を直接聞いたのだが「あい」であった意味は大きいのかもしれない。
この本を読んだ理由の題名「あい 永遠に在り」。
作品のどこかに主人公のどこかに面影がないかと探したが、芯は強いが夫を支えることに徹する月「あい」さんと、生まれながらに強いオーラで御自身で輝く太陽では、名前以外に類似点は見つからなかった。
しかし、太陽にも「人たる者の本分は、眼前にあらずして、永遠にあり」をお届けしたい。
新しい道を歩まれる一瞬一瞬は厳しくとも、その道の行く手は、永遠の真理へとつながっていくと信じている。
ところで、失敗ばかりしている私に贈りたい本文の言葉
「人が生きるうえで、本当に取り返しのつかないことは、実のところ、そう多くはないのかもしれない」