団塊世代ブログの今日の新着記事のタイトルを眺めていると、「僧房弁閉鎖不全症で緊急搬送」というタイトルが目に付いた。
ふだんは同じ「村」の人のブログを読ませてもらうことはないが、その記事は気になって読ませていただいた。
その方は、「胸痛があった」と書かれていたが、私の場合は、それはなかった。
が、ぜんぜん食べられなくなって、どんどん痩せていった。
「その数年前から咳が止まらなくなっていた」というのが兆候といえばいえただろうか。
咳は、だんだん酷くなってきて、何か食べると、そのたびに激しく咳き込んだ。
その年は、娘の初産を控えていた。
だから、病院で診察の結果、肺癌かもしれないといわれたが、もしそうだったら、お産の手伝いにいけなくなるから、そのままにしていた。
が、いよいよ娘の出産の日にちが近づいて上京したまではよかったが、娘のところでも咳は激しくなるばかり。
娘には、「お母さん、もう帰って」と言われてしまった。
仕方なく大阪に戻ったが、その後2週間くらい起き上がれないくらい体が弱っていた。
娘のお産には、一応、実家の母が行ってくれた。
娘の入院中は私の母が毎日行ってくれたようだったが、当時、私の母は、もう77歳の高齢だったので、急遽、娘婿の両親に鹿児島から行っていただいた。
娘婿のご両親が上京してくれている間に、義母も上京してくれたが、既に83歳の高齢だったので、返って娘婿のご両親にご迷惑をかけてしまったかもしれなかった。
孫が生まれたのが3月30日、私が心臓弁膜症の手術を受けたのが7月14日。
その間、病名がわからず、私は死にかけていた。遺書も書いた。
が、最後の最後に心臓に超音波を当てて心臓弁膜症が発見されて緊急手術を受けて一命を取り留めた。
循環器科にもかかっていて、若い女医さんは、毎回聴診器を当てて、毎回「異常はありません」だった。
それでいて、その女医さんは、私が手術を受ける前の日に、医学生を二人連れてきて、「医学生に心雑音を聞かせてやってください」とお願いをされた。(苦笑)
まったく笑い話にもならないが、それでも命が助かったから、運がよかった。
心雑音聞き逃したる女医が来て「心雑音を聞かせてあげて」 biko
もしエコーなくば今頃命なく遺影となりて拝まれをらむ biko
(註)エコー=超音波エコー
ふだんは同じ「村」の人のブログを読ませてもらうことはないが、その記事は気になって読ませていただいた。
その方は、「胸痛があった」と書かれていたが、私の場合は、それはなかった。
が、ぜんぜん食べられなくなって、どんどん痩せていった。
「その数年前から咳が止まらなくなっていた」というのが兆候といえばいえただろうか。
咳は、だんだん酷くなってきて、何か食べると、そのたびに激しく咳き込んだ。
その年は、娘の初産を控えていた。
だから、病院で診察の結果、肺癌かもしれないといわれたが、もしそうだったら、お産の手伝いにいけなくなるから、そのままにしていた。
が、いよいよ娘の出産の日にちが近づいて上京したまではよかったが、娘のところでも咳は激しくなるばかり。
娘には、「お母さん、もう帰って」と言われてしまった。
仕方なく大阪に戻ったが、その後2週間くらい起き上がれないくらい体が弱っていた。
娘のお産には、一応、実家の母が行ってくれた。
娘の入院中は私の母が毎日行ってくれたようだったが、当時、私の母は、もう77歳の高齢だったので、急遽、娘婿の両親に鹿児島から行っていただいた。
娘婿のご両親が上京してくれている間に、義母も上京してくれたが、既に83歳の高齢だったので、返って娘婿のご両親にご迷惑をかけてしまったかもしれなかった。
孫が生まれたのが3月30日、私が心臓弁膜症の手術を受けたのが7月14日。
その間、病名がわからず、私は死にかけていた。遺書も書いた。
が、最後の最後に心臓に超音波を当てて心臓弁膜症が発見されて緊急手術を受けて一命を取り留めた。
循環器科にもかかっていて、若い女医さんは、毎回聴診器を当てて、毎回「異常はありません」だった。
それでいて、その女医さんは、私が手術を受ける前の日に、医学生を二人連れてきて、「医学生に心雑音を聞かせてやってください」とお願いをされた。(苦笑)
まったく笑い話にもならないが、それでも命が助かったから、運がよかった。
心雑音聞き逃したる女医が来て「心雑音を聞かせてあげて」 biko
もしエコーなくば今頃命なく遺影となりて拝まれをらむ biko
(註)エコー=超音波エコー
しつこいふかさんです。手術で治る弁膜症なら、羨ましい限りです。私は、弁膜症、心房細動、心室不全など5つの病名があり、「覚えきれません」と言った処、「では、全部含めて拡大心筋症と言いなさい」と担当医に言われました。完治することは無く、ただただ今の「心臓の機能を大事に維持する様に」との説明でした。補助として「crtーd+ペースメーカー」を埋め込み、5年半が経ちました。担当医にお任せのノー天気患者です。通うのは大学病院なので、私も研修医に心音を聞かせたり、埋め込み手術の見学もして貰ったりしました。イイ医者になるには経験第一ですからネ。
私は、手術するまでは、子供の頃から顔色の悪い子だといわれたりしていたのでしたが、現在は、一応元気です。
病気の人を助けるためには、病気の人が見本になってあげることも大事ですね。そのいみでは、ふかさんは社会の役に立っていられるわけですね。
私の聴覚障害も、これからの世代の人たちのお役に立てるのなら、死後解剖してもらってもと思います。
私には、心臓弁膜症より難聴の悩みのほうが切実です。
それは、ふかさんのような深刻な症状でないからかもしれませんが・・・。
重ねてのコメント、ありがとうございました。
またお待ちしています。(^^)