66歳の貧乏なアルバイター

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

あっという間ですね

2020-01-10 10:05:04 | メンタル
お正月があっという間に過ぎました。
暮れから帰省していた息子とはあまり会話はできませんでした。
できることなら結婚の話や将来の話や住まいの話など色々と考えることが多くて、そういう話もしたいと思っています。
もともと自分自身が固い頭の持ち主なので融通の効く判断ができません。
仮に将来設計などとなると、書面でレジュメを作成してからでないと対話できないかもしれません。
また、対人関係に関しては真逆で、ゆっくり座って話し合うのがとても苦手。
緊張して本質をとらえた話は出来ないでしょう。
気持ちを伝えられるのは寧ろ立ち話ですね。
 
28歳の息子にも、25歳の娘にもあまりきちんとした話はできません。
 
そういえば、先日からのお正月の間の外食は全部息子と娘に奢ってもらってます。
もう、しっかりした大人。
親との会食の支払いくらいは出すよ、と言うので。
甘えてます。
まぁ、そんな単発の食事代とかよりも結婚話のひとつくらい欲しいものです。
子供達二人とも、期待しないでくれ、って言います。
今の時代はなかなか安定した生活を確保するべく縁談は難しいかもしれません。
逆に共稼ぎで働き続ければどうにでも生活はできそうなものですが、気楽な独身生活と対比するとやはり二の足を踏むのもわかる気がします。
自分自身も若い時は自信を持って家庭を築くなど考えられませんでした。
では、なぜ結婚する気になったのかというと、友人たちが安定するもしないも関係なく結婚していったからでしょう。
自分もどうにかなるんじゃないかなと。
結果、まぁ、どうにかはなりました。
どうにもならなかったら離婚すれば良いだけですから。
考えたら結婚なんて分かり合えない人間同士が同居して子作りをするっていう程度のことで良い様に思います。
他人の気持ちなんて100%の理解はあり得ない。
だからこそ対話が肝心であり、それは絶対に必要であり、心身共にぶつけ合いのコミュニケーションです。
SNSのコミュニケーションはありだとは思いますが、実態のある生活も含めたコミュニケーションほど痛みを伴った対話はないでしょう。
おたがいに痛みを分かち合うこと。
心だけでなく時には体の痛みもあります。
経済的な痛みや、社会的な仕事も含めた痛みも伴うでしょうね。
そんなもろもろの利害関係も受け有った上での共同生活。
未来も共同して分け合うってこと。
だから本来は何でも屋に徹する必要もあります。
料理、掃除、洗濯、保育、教育、子育てだけでなく、収入確保や未来設計も含めて。
パパがママであり、ママがパパでもある。
今の時代はそういう時代。
役所の紙に署名と押印して出すだけならば、何も問題は起こりそうな気配はない。
重要なのは実際の、現実の生活ですから。
それを受け持つのが家庭でしょうね。
大袈裟ですが、一つの家庭は一つの国家とも考えてていいのではないですか?
重要な案件です。
 
また、我が家はとても狭いです。
ちゃちな小物がわさわさと部屋のあちこちに置いてあります。
既に新しい買い物をしても置き場所がない。
まぁ、捨てないから増えるだけなのですが、それを無視しても狭いです。
だから、引っ越ししたい。
もっと広いところに。
でも、先立つ資金もありませんし、マンションやましてや一軒家を買うお金も持ってません。
バラックの平屋くらいならなんとかなるかも、って、それはきっと今と変わらぬ狭い家でしょう。
賃貸の家を探してみたたところで、今より安くて広い家がない。
探して広ければ家賃が顔が青ざめるほど高い。
または、仕事もないくらいの、通勤困難な田舎。
まぁ、既に定年してるので年金生活で細々暮すならばいいかもしれませんが。
でもって、嫁さんは、それならば今の住まいのほうが随分マシだと言います。
 
自分たちの未来もそうですが、子供たちの未来も気になるのが親心。
気にしても若い時はそういう考えが頭に出てこないですよね。
自分も若い頃はそうでしたし。
で、今の時代は団塊世代のジュニア達が結婚できないって言いながら結婚はしてないし、無理してまで結婚しようとは思えないでしょう。
老後のことが頭に出てくるまでは、何とか一人で生きていけるから、今のままで良いって思うのでしょう。
今のままって時間はあり得ない事に気がつくまでは考えないのでしょう。
わかります。
自分もそうでしたから。
親兄弟、友人達が人と人とのコミュニティを保ってくれている間はそれでもいいんですよね。
一人で生きるようになって、親兄弟が段々と疎遠になり、友人達が仕事で遠方に行ったり身を固めたりしだすと、孤独が増幅してくるんです。
SNSの世界もそう優しくないし、理解を求めたら利害関係を求められる様になり始めます。
結局はこの世はお金だって気がつく。
本当はお金じゃないいけれど、今の社会はお金中心の社会を作ってしまったからその中で生きようとするならばそれの従うしかないんです。
残念な歪な資本主義社会。
社会主義とか資本主義とかの言葉はどうでもよくて、行きやすい共存社会でいいのに。
ある程度はみんなのために平たくしながら、で、ある程度はガンバッったら頑張った人が旨味を得る社会。
両方のいいところを白黒つけずに、共同作業で持ってていいんじゃないですか?って。
 
なんだか、考えがあちこちに飛び回ってますが。
LGBTがどうとかこうとかも含めて、白黒の区別をつけたがるからそういう言葉が必要になる気がします。
男女問わずいいと思える人は好きだし、嫌いな人は美系の顔立ちでも嫌い。
オス、メスは性別のことですから、やはり子孫繁栄に直結してそうな気がします。
結婚が昔の風習の子孫繁栄を目的とした制度ならばそれでいいでしょう。
でもって、子孫繁栄が個々の男女で保てなくなったら、社会全体がそれを出来る仕組みとして再構築したらいい。
それができないならばもっと大きな問題、課題が見張ってる。
必然的な人間の数の過多なのかもしれないですね。
しかし、やはり自分の子供達には哺乳類の動物としての安定した生活を得て欲しい。
そう願うのは親としての必然的な気持ちです。
ながなが、書きました。
とりあえず、ここまで。
意識の垂れ流しです。
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朝から洗濯

2020-01-10 09:54:38 | メンタル
今朝は天気がいいです

 
今日は休みなので朝から洗濯しました。
 
娘からも「洗濯よろしく!」って出勤前に言われました。
 
娘も咳してましたので風が移ったかもしれません。
 
私も明日からの土日の仕事が大変気になります。。。



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