66歳の貧乏なアルバイター

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

定年後の生き方

2020-01-22 08:40:29 | メンタル
今になって改めて考えることでもないのであるが 仕事をする能力も速度も落ちている昨今の自分がワザワザ若者と同じ意識でしごとをしようとムキになってもしようがないのだろう。
 
これからは、いや、今まあでもそうなのかもしれないけれど落ち着いて現代に必要なことをもっと学ぶべきではないのだろうか?
 
先日も、改めて大学に入り直したらどうかな、と思ったりもした。
 
先立つ資本がなければどうしようもないのだけれど。
 
まぁ、その為には、と、奥さんを説得できないだろう。
 
今は兎にも角にも現状を維持することくらいしか無いのだが。
 
ただ、独学で勉強をするならばそれは可能だろう。
 
これからは何が必要になる時代なのか?
 
介護とか英語とか、きっと必要になるだろうな。
 
ただし、介護は現場では非常にハードであり、肉体的にも精神的にも大変だと聞く。
 
もっと、業務をやり易くしないと老後を迎える人たちだけでなく、支える人たちも困ることになるだろうし、支える人もいずれは支えられる側になっていくのである。
 
であるならば今後の介護の現場を模索するプロジェクトはどのように動いているのであろうか?
 
そこを勉強しなくてはならないのだろうな。
 
2050年問題も含めて超高齢社会の日本において万人が今後突入する問題なのに、自分だけは綺麗な、楽な、旨味のある世界に行こうとしてる。
 
特に若者は無意識にそれが当たり前の未来だと思ってる気がする。
 
日本人文化の問題かもしれない。
 
日本人は世界有数の道徳的民族だ、という欺瞞。
 
ワールドカップでサッカー場の試合後の掃除を自らやったってことだけれど、一つだけ「みんながやるから怖くない」的な感じを受ける。
 
実態は、自分達の本当の姿を見ようとしてないのではないのかな?
 
中国が悪い。韓国が悪い。トランプが悪い。と、それだけでは片付かない。
 
足元を見ると、自分たちの倫理もけっこうドス黒いのではないのかな?
 
 
人のことではなく、自分自身、自分の手を汚したくないから、自らの手で悪いことを避けている。
 
悪いこと。
 
悪いと見えること。
 
本当に悪いのか?
 
みんなが悪いと言ってるだけなのに、自分はそれは嘘だと気付いてて、気づいていても、みんなが言うから「やらない」「周りに日和ってれば当たり障りない」だから自分の手が汚れない。
 
肉体的な手ではなく、精神的な触手のことだ。
 
自分の保身したい「こころの襞」には痛手を受けたくない。
 
みんなそう、きっと。
 
もう一度、「嫌われる勇気」でも読んだらいかがか。
 
なんだか定年後になっても、考えてる事は中二病的なことばかりだ。
 
中学生の頃の勉強からもう一度、おさらいするのが先かもしれない。
コメント
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