うぱやなんでも堂

中国古代史とShadeによる3DCGキャラ画像作成、シムズ2によるキャラ漫画作成

ポリゴン練習

2019-09-29 23:42:23 | 画像作成日記

中国旅行の記事を続けていましたが、前回のアップからまた間が空いてしまいました。

今回はその続き・・という予定でしたが、突然画像作成にしました。

漢文訳やキャラ漫画、画像作成などいろいろやりたいことがたくさんありますが、画像を作成していると漢文訳が気になったり、漢文訳をしているとキャラ漫画作成が気になったり、どれもそれなりの時間がかかるので時間が足りません。

平日はほぼゼロに近いぐらい出来ません。今から3年ぐらい前は、まだ少しやってましたが、加齢のために年々体力や気力が続かず、時間があると寝てしまったり、全く自分のコントロールが出来ていません。

 前置きは終わり、話は変わります。

3DCGはShadeの自由曲面で作成していますが、他のソフトでは全部というぐらいポリゴンが多いので少し気にはしていました。

以前、蔡敬仲さんキャラのポリゴン化を試したことがありましたが、頭部を作ったところで止めています。

また今回やってみました。

今回は延年さんキャラの2DCG(Shadeキャラを2DCGキャラに描いて卵絵やしおりの絵にしたことあり。)をShadeのポリゴンで作ろうと突然やりたくなって作りました。

 

まず、Shadeの自由曲面作成の延年さんキャラです。これは一番新しいバージョンで、以前ヤフーのブログに載せたことがあります。

 

そして、下の画像が上のShadeの延年さんキャラを卵絵やしおりの絵用に描いた2DCGです。これをモデルにShadeのポリゴンで作ろうとしたのです。

 

 

 下の画像がShadeの作成画像です。実は最初からポリゴンはどうしてもやり辛くて、まず、自由曲面で回転体を作り、ザックリとした形状を作りました。テンプレートにしているのは、正面の方は以前作成した紙粘土人形の延年さんの画像、横顔のテンプレートはシムズ2キャラの延年さんの横顔の画像を使いました。

 

 作成過程はいくつか飛びますが、ある程度輪郭を作ったところでポリゴンに変換しました。仮のテクスチャーを貼り付けてます。

 

 ずっと作成過程が飛んでいますが、一応頭部は完成です。簡単キャラなので鼻の穴も作っていません。

 

 今回は試作ということもあり、六角大王の人体モードで作成した体をOBJ形式でインポートして頭部と合体し、一応簡単に全身作成しました。まだジョイントやボーンを入れていないのでポーズなどはつけられません。

 

 頭部と全身のレンダリング画像です。ジョイントを入れて、着物を作成すれば完成です。

 2DCGの延年さんキャラや自由曲面の延年さんキャラに似ているでしょうか?

もともとPCに弱い(特にシステム系)のでマニュアルも読まない(最近のWEBによるマニュアルが特に苦手、書籍にしてほしい。)のでポリゴンなど、同じShadeというソフトなのに操作が全く分かりませんでした。

 

 

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その3:駐馬店市上蔡県「蔡国故城跡」と上蔡県李楼村「李斯の墓」編

2019-09-16 14:00:49 | 2019西安・洛陽旅行

中国旅行の3日目、この日は河南省駐馬店市上蔡県にある蔡国の故城遺跡と秦の時代の宰相の李斯のお墓に行ってきました。

 

蔡国は周代の侯国で首都はこの上蔡県にあり、後の紀元前447年に楚国に滅ぼされました。

街中にはこのような石碑があり、ついでに街の風景も撮りました。

 

少し移動したところに下の写真のようなお寺というか、建物がありました。上に上ると周りが一望出来ます。

 

そして下の写真が蔡国の城壁の跡と石碑の写真です。ここは風が強くてドローンでの上からの撮影が出来ませんでした。

 

蔡国の城壁跡の次は李斯の墓に行きました。

そういうことで李斯について下記のとおり簡単に書きました。

李斯は秦の始皇帝に仕えた宰相です。

李斯の出身地はこの河南省駐馬店市上蔡県ということです。。

李斯は若い時に地元の上蔡県の役所で小役人をしていました。

ある時に役所の厠(便所)に住む鼠を見つけましたが、厠の鼠は痩せて人が入ってくると常に怯えており、また、ある時に食料庫の鼠も見かけましたがここの鼠は丸まる太って人が入って来てもびくびくしていない・・これを見た李斯は自分を生かすか殺すかは環境が全てと思いました。

その後に儒家の荀子(性悪説を唱えた)の弟子になり学びました。

そして秦国に入国して呂不韋の食客となりましたが、呂不韋からその才能を認められ、推薦されて秦王政(後の始皇帝)に仕えました。

李斯は秦の始皇帝に仕え、呂不韋亡き後に始皇帝の信頼を受け、秦の全国統一に貢献しました。

荀子の門下生には韓国の公子の韓非がおり、韓非の著書の韓非子を読んだ始皇帝はこれを書いた人物に会えたら死んでもいいとまで絶賛していましたが、これで韓非が重用されれば自分の地位が危ないと思った李斯は韓非を罪に陥れ、投獄のうえ毒で死なせました。

李斯は始皇帝に周の制度の封建制(君主の下の諸侯がそれぞれ土地を所有して人民を統治する)を取り入れることに反対して郡県制(中央から官吏を派遣して統治すること。中央集権制度。)を説き、政府に批判を行う学者達の著書を焼きました。(焚書)

そして始皇帝を非難していた儒者や方士460人余りが生き埋めにされました。(坑儒)

李斯は丞相となってその政治手腕を振るっていましたが、始皇帝が巡幸の途中に亡くなると、宦官の趙高と謀り偽の詔勅(始皇帝が遺言した跡継ぎは長男の扶蘇であったが、巡幸に同行していた末子の胡亥と書き換えた)を出し、胡亥を二世皇帝に即位させ、扶蘇を自決させました。

胡亥は愚かな皇帝であり、政治から離れて遊んでばかりいました。

その頃、秦の苛酷な法律に反発してあちこちで反乱が起きていましたが、それでも胡亥は外界を見ようとせず(趙高が妨害していたということもある)、阿房宮の造営も止めようとしないので李斯は何度も諌めようとしましたが疎まれて、とうとう趙高の罠にかかって罪を着せられて(当前冤罪です)息子と共に腰斬の刑に処せられました。

その時隣に並んでいた次男に「また故郷(上蔡県)でお前と一緒に黄色い犬(私の昔の記憶なので間違っていたらスミマセン)を連れて兎狩に行きたいな。でも、もう叶わないな。」って言ったそうです。

 

畑の中の一本道を進むと正面に木が生い茂っている丘のような場所があります。お墓の回りはこういう所が多いです。車では進めませんここはまだ道が良い方です。

石碑があり、草を掻き分けて撮影しました。

 

周りは整備されて立派なお墓でした。さすが李丞相。ちなみに上蔡県出身の歴史上の有名人は李斯だけということです。

歩いている途中でお爺さんとすれ違い、通訳さんがそのお爺さんに李斯のことを聞いたところ、李斯が腰斬の刑で処刑された後に李斯の弟子が李斯の遺体(首は趙高が胡亥に処刑の印として捧げているので無し。)を出身地のこの地に運んで埋葬し、李斯の身内(父か祖父か)が李斯の末子をつれてここまで逃げて来たということです。

そしてその子孫が現在も墓を守っており、年に一回この墓の前に白い布を引いてお祭をしていると聞きました。

お墓の前で李丞相に拝礼をして、「李丞相、黄泉の国では息子さんと一緒に黄色い犬と兎狩りをしていますか?」と問いかけました。

 

ドローンで上空からお墓全体を撮影してもらいました。

 

次回の南陽編に続きます。

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その2:漢魏洛陽故城跡、滎陽故城跡編

2019-09-08 19:12:28 | 2019西安・洛陽旅行

 中国旅行の2日目の8月23日は朝早くから高速鉄道で河南省洛陽市の洛陽龍門駅まで移動しました。昨年の日程を見てみましたが、全く同じ日程になっていました。

 この日の予定は洛陽市内の蔡倫街(昨年と同場所)、洛陽市内の骨董市、和帝の陵墓、玄奘三蔵古里近くの造紙河、前紙村、ここまでは昨年と同じですが、次は昨年とは別場所の漢魏洛陽故城跡に行きました。

 その次ですが、昨年は呂強くんの出身地(河南省鄭州市西北汜水鎮)の近くの虎牢関跡に行きましたが、今年は滎陽故城跡(河南省鄭州市滎陽市)に行き、宿泊は昨年と同じ築義市泊でした。

 

 まずは洛陽市内の蔡倫街の写真です。

 具体的な地名は分かりませんが、元農村であった場所を開発して町にした時に歴史上の人物(主に文化人)の名前をつけるそうです。

 蔡倫街は国内のあちこちにあり、1000箇所以上と聞いたような。

 昨年と同じ街ですが違う場所の表示を撮りました。木の葉に隠れて見えてませんが。

 

 次は洛陽市内白馬寺の近く(と、聞きました。)の漢魏洛陽故城跡です。昨年は金村の漢魏洛陽故城跡を見ましたが、ここより南の方ということです。

 

  次は白草破村の後漢4代目の皇帝の和帝(劉肇)のお墓です。

 最近では和帝の墓参りも定番化して今年で4回目になります。一つ前の記事では3回目と記載しましたが、4回目の誤りです。そんなに行ったのか!って感じです。

 2回目回までの場所は新橋村なのですが3回目からはこの白草破村です。

 石碑が無いのですが、こちらの白草破村の墓が本物の墓ということです。

 道路で二つに分かれているように見えますが、この山のようなもの全体がお墓です。

 

 

 次は偃師市にある玄奘三蔵(三蔵法師)の古里のすぐ近くの蔡倫(敬仲)さんに縁のある造紙河があったという場所へ行きました。今回で2回目です。

 この造紙河の名称は現在では馬締川(当時は馬澗川)といい、昨年同様、水は綺麗と言えませんでした。 

 

 場所を移動して、ここも今年で4回目の前紙村です。周りを整備開発するということで、廃墟が多くなっていました。

 40~50年ぐらい前にはすぐ近くの住宅が建っている場所に蔡倫さんのお墓(丘があって、以前話を聞いたおじさんが子供の時に上に上って遊んでいたということ。削られて家が建てられた。)があったということです。その家も廃墟になっていると思います。

 村は約10年後には無くなるということですが、この石碑が残るかどうかは不明です。

 

 そして東側の鄭州市へ向かい鄭州市滎陽市の滎陽故城跡に行きました。

(滎陽城は楚漢戦争の時の漢軍の拠点。紀元前205年、劉邦軍は項羽軍の本拠地の彭城の戦いで敗れて滎陽城に逃れて籠城しました。項羽の猛攻撃を受けましたが、陳平の策により項羽軍の軍師范増が追い出され、やがて劉邦は城を脱出しました。その後項羽軍の攻撃を受け、城を守っていた部下達は討ち死にし滎陽城は陥落しました。)

 23日はこれで終了しました。

 次回に続きます。

 

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その1:食い物・花・土産物編

2019-09-01 13:03:38 | 2019西安・洛陽旅行

 8月22日~28日まで中国の陝西省(西安市、漢中市、興平市)、河南省(洛陽市、南陽市、汝州市、平頂山市、鄭州市、駐馬店市、鄧州市)へ行って来ました。

 主な目的は漢代の人物のお墓巡りで、その人物の墓が残っていない場合は出身地や封地、その近くに有名人物等の墓がある場合はそこにも立ち寄るという内容です。

 目的の人物の墓があっても(地元で墓と伝えられている)文化大革命の時に壊されて石碑がないとか、トウモロコシ畑の中の小さな山・丘というような場所が殆どです。

 今年のお墓巡りの対象人物は、戦国時代の楚国の屈原(郷里の廟)、秦の趙高、李斯、前漢の李延年、後漢の4代皇帝の和帝、鄭衆(郷里・封地)、蔡倫、竇憲でした。

 そして、前漢の李延年、後漢の蔡倫の墓については今年で10回目(それも連続)の訪問です。

 鄭衆の封地と郷里は今年で2回目、和帝の墓は3回目(1回目は別場所)、趙高の墓は2回目、屈原、李斯、竇憲の墓(場所は特定されているが整備されておらず、今年は見ていない。近くの村《封地の冠軍村》へ)は初めて行きました。

 記事が長くなるので数回にわたってアップする予定です。

 前置きが長いのですが、今回はまず上記の期間に現地で食べた物や購入した物、見た花などの写真をアップしました。

 

 8月22日の夜に西安に到着し、ホテルで夕食です。途中の店で購入した「ロバ肉のハンバーガー」です。ハンバーガーといってもパン地ではなく、粉を溶いて焼いた固めの生地に香辛料で味付けしたロバの肉が挟まってます。写真を撮るのを忘れていて一部を齧ってしまいました。

8月23日に高速鉄道で洛陽(洛陽龍門駅)に移動し、昼飯は洛陽市内の店で食べました。下の写真です。炒めた野菜の付け合せとメインの麺です。きし麺のように太くてコシがある麺でとても美味しかったです。国内では食べたことが無い湯葉も食べました。

 

 次は8月24日、駐馬店市上蔡県内の店で食べた昼飯です。麺が中心で、付け合せは野菜中心(普段野菜を食べないので)にしてもらいました。

 

 

 次は8月25日、鄧州市内で食べた昼飯です。同様に麺と野菜の付け合せです。何処で食べても美味しいのですが、特にこの店の麺は美味しかったです。

 

 次は8月26日、平頂山市魯山県内での昼飯です。麺のスープが変わっていました。

 

 そして8月27日(実質的最終日)の漢中市洋県蔡倫廟近くの店(昨年と同じ店)での昼飯です。洋県ではご飯と酸菜魚のスープを注文していましたが、今回は時間が遅かったということもあり麺でした。冷たい麺でとても美味しかったです。

 

 

 ついでに夕飯に食べたものの写真もアップします。

まずは、8月23日に築義市のホテルに宿泊した時に、ホテル近くの店から買ったハンバーガーのような物です。これは昨年も食べており、美味しかったので今年も同じ店で買いました。中身は野菜を炒めたもので肉は入ってません。野菜だけを希望しました。

 

 

 次は24日に南陽市のホテルに宿泊した時にホテル近くのパン屋さんから購入したパンを夕食としました。パンが食べたくなったからです。見え辛いと思いますが、向かって右側はブタの顔をしたパンです。

 

 南陽市のホテルには翌日もう一泊し、野菜を挟んだハンバーガーのような物を購入して来ましたが、これは写真を撮り忘れました。

 最後の西安のホテルでの夕食は便利店(コンビニ)でパンを買いましたが、日本と同じようなパンであったので写真は撮っていません。

 

 

 私は蓮の花が好きで、日本国内では一度も本物を見たことがありませんでした。2,3年前に蓮の蕾状態の切花を買いましたが、花を咲かせてくれないまま枯れてしまいました。

 今回、西安市内の蓮湖公園という所で初めて実物の蓮の花を見ました。広い敷地内にたくさんの蓮の花が咲き、丁度見ごろでたくさんの見物客がいて写真を撮っていました。タマスダレもキレイに咲いていたので加えました。

 

 

 ついでにですが・・私はあまり買い物をしません。っていうか、移動時間が長く、行く先々は村など農村が多いため土産物屋がありません。

 行くのは骨董市(行く時間が遅かったり、時間が早すぎて閉店していることが多い。)、職場向けのお土産(お菓子)は高速道路のサービスエリアか西安又は咸陽市内のスーパーマーケットで購入します。

 今回購入したのは西安名物のザクロの果樹をペースト状にして挟んだお菓子でこれは職場向けです。私の好物でもあるので多めに購入しました。

 

 

下の写真はカボチャの種を炒めたものです。洋県の蔡倫廟に行った時に運転手さんにいただきました。歯で殻を割って中の実(写真では緑色のもの)を食べるのですが、最初は上手く割れなくて粉々になりました。一つ食べると止められなくなります。

 

 

 最後に自分の土産です。人物の玉、観音様の玉は西安の骨董市、ネックレス、ペンダントトップは洛陽の骨董市で購入した天然石(黄色の物は松の樹脂が年月を経て固まったもの)です。

 ガラにもないのですが、実は私は天然石や宝石(主に原石)が大好きです。

 

 


  次回の遺跡、お墓巡り編に続きます。

 

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