竇憲は後漢3代皇帝の章帝(粛宗・劉烜)の皇后竇皇后の兄で、皇帝の外戚になります。
前々回までの列伝の内容は匈奴遠征で勝利を収め、現地の石碑にその功績を班固に作文させた文章を記念に石碑に彫らせるように命じたというところまで訳しました。
前回の訳は班固に作文させた石碑に刻んだ功績の文章の内容でした。
今回はその続きで最後まで訳しました。ついでに和帝紀と章徳竇皇后紀の抜粋も付けています。
匈奴との闘いに勝ち、都に帰って大きな権力を持ち、やりたい放題(特に弟の竇景が鬼畜野郎でやっていることは強盗と同じ)でした。
遂には謀略を企て失脚し、追放・自殺という運命を辿ります。
この竇憲伝の中では竇憲の取り巻き(竇憲の娘婿やその母たち)が竇太后(文脈からおそらくそうだと思うのですが・・)の殺害を企て、それが和帝に知れて竇一族は討伐されたとあります。
でも、和帝紀には「竇憲は潜に殺逆(主君を殺すこと)を図る。」章竇徳皇后紀(竇太后)にも「竇憲、竇篤、竇景の兄弟は密かに道ならぬ謀を企てた。」とあり、これから見れば、竇憲と弟の竇篤、竇景らは和帝の暗殺を企てていたということになりそうです。
前回の白文転記ミスや訓読文、書き下し文の誤りも赤字で入れています。(また間違ってるかもしれませんが・・。)
一番難しかったのはいつもながら、最後の作者范曄の「論じて曰はく・・」のコメントでした。
古典の引用やら何やら、特に比喩的表現などが分からないですね・・。
ど素人のやってることなので、誤り等はご了承願います。さっそく、注釈文の〔一〕とかが一部抜けていました。
7枚目の赤字の訂正箇所も誤っていました。「當に靑が奴僕の時に病み・・」じゃなくて、「當し靑が奴僕の時に病み・・」でした。
これでいいかどうかも不明ですが・・。