また少し間を置きましたが、今回の漢文訳は宦者列伝中の「単超伝」になります。
桓帝の時代、朝廷の権力を独占して横暴の限りを尽くしていた外戚の梁冀(皇后の兄)がいました。
桓帝は梁冀一族に押さえつけられていましたが、それも限界で宦官5名と共に謀り梁冀とその一族郎党を排除しました。
しかし、今度はこの宦官5名が梁冀に代わり大きな力を持ち「五侯」と呼ばれました。
「五侯」と呼ばれた理由は梁冀排除の功績として、この5名の宦官が同日に列侯に封じられたからです。
この列伝は単超伝が中心で、他4名のこともまとめて記載されています。
単超は早死にし、列伝中では特段の悪行の記録はありませんが、彼のコネで出世をした親戚連中や、残った4名とその親類縁者の悪行が記載されています。
後漢の宦官のイメージの悪さはここから始まったと考えています。
「五侯」の次に続く侯覧など業突く張りのズルくそ野郎です。
そして十常侍で締めるわけですね。
今回は白文と訓読文をアップし、次は書き下し文と訳文をアップします。
毎回転記ミスや誤字脱字、訳ミスなど複数有ると思いますが、素人のやってることなのでご了承願います。
なお、「五侯」の一人の「左棺」の棺の字ですが、本当は部首が「木」でなく、「心」なのです。しかし、漢字変換が出来ないため、「棺」としました。
この後に書き下し文と訳文をアップしました。
宦官の悪質さは、こいつらに責任がありますね。
鄭衆さんとか、いい迷惑を被っていますね。
単超さん、早死にしましたが、長生きしても、身内の不始末の責任を
皇帝が代替わりしたときに一斉に責められて、破滅していたかもしれません。
まぁ、本人たち以外の親類縁者が何とか太守になったとか、どうでもいい話が多いですね。
本人だけが出世するならまだしも、何で関係の無い親戚までが偉くなってるのか理解できません。
鄭衆さんや会長は親類縁者を任官させたという記録は残っていないそうです。
ほんと、二人を五侯と一緒にしないでほしいですよね。