2019.08.04(日)久しぶりに玉川上水、井の頭恩賜公園、三鷹を歩いてきた。
目的は、前回見残した公園の池周りを歩くことと国木田独歩の碑を訪れること。
※前回の「玉川上水と太宰治」(2019.04.21)は ⇒ こちら
京王井の頭線の井の頭公園駅で下車すると入口はすぐ目の前。
案内板を見ると神田川の起点の表示がある。
(神田川の起点:上は公園内のひょうたん池)
(この落とし口から神田川が始まる。)
先ずはそこを確認。
せせらぎと言ってよい付近では、数組の親子が網を手にし、ジャブジャブと遊んでいる。
園内の遊路は、ケヤキやサクラ、セコイアなどの巨木が暑い陽ざしを遮ってくれているのでなかなか気持ちがいい。
池でパシャパシャとボート遊びをしているグループ、湖面に張り出した木の上で羽を大きく広げ乾かしているカワウなどを眺めながら自然文化園へ。
七井門入口でチケットを購入。
(大人400円だが65歳以上は半額の200円。これで水生物園と動物園の両方が入場可能。)
前回は動物園側を歩いたので、今回は省略。
サギ、ミヤコドリ、カリガネ、カモやガンなどをのんびりと見て回り、木立の下のベンチでこれまたゆっくりと休憩。
動物園側と違ってこちらは人があまり多くなかったので、いたって静かな雰囲気。
その後、水生物館と弁財天へ。
(サカツラガン)
(井の頭弁財天)
玉川上水に沿って三鷹駅を目指す。
茂った青葉に覆われ、上水は見えない。
側道には至る所アジサイが植えられているので、もう1~2月前であれば見事だったろう。
(三鷹駅のデッキから玉川上水を見下ろす。中央の茂みの下が上水。太宰治入水の地は右にやや行ったところ。)
国木田独歩の碑は、JR三鷹駅北口の交番脇にあった。
「なんだ! 前回玉川上水~井の頭恩賜公園~太宰治終焉の地~三鷹駅を歩いたとき、ホンの数十歩先に進めば済んだのに~。」
自分の事前リサーチ不足と要領の悪さを自覚しつつも、「魅力的なこのエリアを再訪できたのだから、これもまた良し!」と思うことにした。
国木田独歩碑は雑木林風にあつらえられた小さな三角地に建てられている。
碑面に刻まれた「山林に自由存す」は武者小路実篤の筆によるもので、独歩のレリーフがつけられている。建立者:市
山林に自由存す
国木田独歩
われ此句(このく)を吟じて血のわくを覚ゆ
嗚呼(ああ)山林に自由存す
いかなればわれ山林をみすてし
あくがれて虚栄の途(みち)にのぼりしより
十年(ととせ)の月日塵(ちり)のうちに過ぎぬ
ふりさけ見れば自由の里は
すでに雲山千里の外にある心地す
眥(まなじり)を決して天外をのぞめば
をちかたの高峰(たかね)の雪の朝日影
嗚呼(ああ)山林に自由存す
われ此句を吟じて血のわくを覚ゆ
なつかしきわが故郷は何処(いずこ)ぞや
彼処(かしこ)にわれは山林の児(こ)なりき
顧(かえり)みれば千里江山(せんりこうざん)
自由の郷(さと)は雲底(うんてい)に没せんとす
*
明治文学は佐幕派の文学、朝敵方の、賊軍方の産物だという意見があるらしい。
明治文化研究者・木村毅(き)は、幸田露伴(1867~1947)、尾崎紅葉(1867~1903)、夏目漱石(1867~1916)、樋口一葉(1872~96)、坪内逍遥(1859~1935)、二葉亭四迷(1864~1909)、北村透谷(1868~1894)、国木田独歩(1871~1908)がその代表的な例として挙げているとのこと。
明治の薩長藩閥政府のもとで圧迫・冷遇を受けた佐幕派。その佐幕派の子弟として、国木田独歩は譜代大名の播州龍野藩藩士の国木田家に生まれている。幼名亀吉。後に、19歳になったときに哲夫と改名。27歳(明治30年)の10月にはじめて「国木田独歩」の筆名を使用。
※参考文献:『北村透谷と国木田独歩~短い命の輝き』(NHK文化セミナー 明治文学をよむ 1999年10月~2000年3月)平岡敏夫筑波大学名誉教授著 NHK出版
*
当然のことながら、このあたりのことを含め、まだまだ自分なりに勉強が必要だが、とまれ独歩ファンの一人として、またかつて武蔵野と呼ばれた地の一角(世田谷区内)に現在暮らす者として、国木田独歩碑はぜひ訪れてみたいとかねがね思っていた。
目的は、前回見残した公園の池周りを歩くことと国木田独歩の碑を訪れること。
※前回の「玉川上水と太宰治」(2019.04.21)は ⇒ こちら
京王井の頭線の井の頭公園駅で下車すると入口はすぐ目の前。
案内板を見ると神田川の起点の表示がある。
(神田川の起点:上は公園内のひょうたん池)
(この落とし口から神田川が始まる。)
先ずはそこを確認。
せせらぎと言ってよい付近では、数組の親子が網を手にし、ジャブジャブと遊んでいる。
園内の遊路は、ケヤキやサクラ、セコイアなどの巨木が暑い陽ざしを遮ってくれているのでなかなか気持ちがいい。
池でパシャパシャとボート遊びをしているグループ、湖面に張り出した木の上で羽を大きく広げ乾かしているカワウなどを眺めながら自然文化園へ。
七井門入口でチケットを購入。
(大人400円だが65歳以上は半額の200円。これで水生物園と動物園の両方が入場可能。)
前回は動物園側を歩いたので、今回は省略。
サギ、ミヤコドリ、カリガネ、カモやガンなどをのんびりと見て回り、木立の下のベンチでこれまたゆっくりと休憩。
動物園側と違ってこちらは人があまり多くなかったので、いたって静かな雰囲気。
その後、水生物館と弁財天へ。
(サカツラガン)
(井の頭弁財天)
玉川上水に沿って三鷹駅を目指す。
茂った青葉に覆われ、上水は見えない。
側道には至る所アジサイが植えられているので、もう1~2月前であれば見事だったろう。
(三鷹駅のデッキから玉川上水を見下ろす。中央の茂みの下が上水。太宰治入水の地は右にやや行ったところ。)
国木田独歩の碑は、JR三鷹駅北口の交番脇にあった。
「なんだ! 前回玉川上水~井の頭恩賜公園~太宰治終焉の地~三鷹駅を歩いたとき、ホンの数十歩先に進めば済んだのに~。」
自分の事前リサーチ不足と要領の悪さを自覚しつつも、「魅力的なこのエリアを再訪できたのだから、これもまた良し!」と思うことにした。
国木田独歩碑は雑木林風にあつらえられた小さな三角地に建てられている。
碑面に刻まれた「山林に自由存す」は武者小路実篤の筆によるもので、独歩のレリーフがつけられている。建立者:市
山林に自由存す
国木田独歩
われ此句(このく)を吟じて血のわくを覚ゆ
嗚呼(ああ)山林に自由存す
いかなればわれ山林をみすてし
あくがれて虚栄の途(みち)にのぼりしより
十年(ととせ)の月日塵(ちり)のうちに過ぎぬ
ふりさけ見れば自由の里は
すでに雲山千里の外にある心地す
眥(まなじり)を決して天外をのぞめば
をちかたの高峰(たかね)の雪の朝日影
嗚呼(ああ)山林に自由存す
われ此句を吟じて血のわくを覚ゆ
なつかしきわが故郷は何処(いずこ)ぞや
彼処(かしこ)にわれは山林の児(こ)なりき
顧(かえり)みれば千里江山(せんりこうざん)
自由の郷(さと)は雲底(うんてい)に没せんとす
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明治文学は佐幕派の文学、朝敵方の、賊軍方の産物だという意見があるらしい。
明治文化研究者・木村毅(き)は、幸田露伴(1867~1947)、尾崎紅葉(1867~1903)、夏目漱石(1867~1916)、樋口一葉(1872~96)、坪内逍遥(1859~1935)、二葉亭四迷(1864~1909)、北村透谷(1868~1894)、国木田独歩(1871~1908)がその代表的な例として挙げているとのこと。
明治の薩長藩閥政府のもとで圧迫・冷遇を受けた佐幕派。その佐幕派の子弟として、国木田独歩は譜代大名の播州龍野藩藩士の国木田家に生まれている。幼名亀吉。後に、19歳になったときに哲夫と改名。27歳(明治30年)の10月にはじめて「国木田独歩」の筆名を使用。
※参考文献:『北村透谷と国木田独歩~短い命の輝き』(NHK文化セミナー 明治文学をよむ 1999年10月~2000年3月)平岡敏夫筑波大学名誉教授著 NHK出版
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当然のことながら、このあたりのことを含め、まだまだ自分なりに勉強が必要だが、とまれ独歩ファンの一人として、またかつて武蔵野と呼ばれた地の一角(世田谷区内)に現在暮らす者として、国木田独歩碑はぜひ訪れてみたいとかねがね思っていた。
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