2014.11.22(土)、岩手県陸前高田市に立ち寄ってきた。
東日本大震災で大きな被害を受けた陸前高田市。
進められている復旧・復興の取組の一端でも知りたいと思っていたので、氷上山からの下山後に回った。
この大震災では約1800人の方が死亡・行方不明になり、今も約4500人の方々が仮設住宅で暮らしているとのこと。
皆さんが一日でも早く平穏な日々を取り戻すことができるよう心から祈らずにはいられない。
※陸前高田市の復興への取組 ⇒ こちら
高台造成のため山を削った土を、市街地かさ上げに使用する総延長3キロのベルトコンベヤー。
1日に10トントラック4千台分、2万立方メートルを運ぶという。
地盤かさ上げは最大11メートルにも・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/40/002d3e390d4b83403dc98f681b2d2ef7.jpg)
(右端の建物と比較するとかさ上げ高さがよく判る)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/b8/79a29952c9d938bb1a8113d43e282029.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/f0/ca83031f960de850db2e80e4bd999fac.jpg)
(海岸側は二重の防潮堤が整備される予定)
だいぶ昔に訪れた際に「けんか七夕」の山車に感激した道の駅『高田松原 TAPIC45』は、津波襲来時の姿をそのままとどめ、痛々しく立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/b9/9a3508056f396ac146c02b78dbfea0d1.jpg)
駐車場を挟んで国道側に設置された真新しい石川啄木歌碑。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/09/d241ee03ae61b75ac0bbb6ad5763da07.jpg)
頬につたふ
なみだのごはず
一握の砂を示しし人を忘れず
啄木
碑の裏側には、次のような内容が刻まれている。
”明治33年7月21日に修学旅行でこの地を訪れた石川啄木は、高田松原で泳ぎ、氷上山登山を楽しんだという。
この縁で造られた歌碑も、東日本大震災の津波で7万本の松とともに行方不明になってしまった。
没後100年にあたり、悲しみ苦しんでいる人々をいやし、今日を見つめ未来への礎となるよう建立した。”
東日本大震災で大きな被害を受けた陸前高田市。
進められている復旧・復興の取組の一端でも知りたいと思っていたので、氷上山からの下山後に回った。
この大震災では約1800人の方が死亡・行方不明になり、今も約4500人の方々が仮設住宅で暮らしているとのこと。
皆さんが一日でも早く平穏な日々を取り戻すことができるよう心から祈らずにはいられない。
※陸前高田市の復興への取組 ⇒ こちら
高台造成のため山を削った土を、市街地かさ上げに使用する総延長3キロのベルトコンベヤー。
1日に10トントラック4千台分、2万立方メートルを運ぶという。
地盤かさ上げは最大11メートルにも・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/40/002d3e390d4b83403dc98f681b2d2ef7.jpg)
(右端の建物と比較するとかさ上げ高さがよく判る)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/b8/79a29952c9d938bb1a8113d43e282029.jpg)
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(海岸側は二重の防潮堤が整備される予定)
だいぶ昔に訪れた際に「けんか七夕」の山車に感激した道の駅『高田松原 TAPIC45』は、津波襲来時の姿をそのままとどめ、痛々しく立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/b9/9a3508056f396ac146c02b78dbfea0d1.jpg)
駐車場を挟んで国道側に設置された真新しい石川啄木歌碑。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/09/d241ee03ae61b75ac0bbb6ad5763da07.jpg)
頬につたふ
なみだのごはず
一握の砂を示しし人を忘れず
啄木
碑の裏側には、次のような内容が刻まれている。
”明治33年7月21日に修学旅行でこの地を訪れた石川啄木は、高田松原で泳ぎ、氷上山登山を楽しんだという。
この縁で造られた歌碑も、東日本大震災の津波で7万本の松とともに行方不明になってしまった。
没後100年にあたり、悲しみ苦しんでいる人々をいやし、今日を見つめ未来への礎となるよう建立した。”
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