旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

七ツ森(松倉山・撫倉山・大倉山・蜂倉山)とイワウチワ【宮城県】

2017-04-10 23:39:26 | 宮城県の山


今日は、イワウチワなどの花を見るため、七ツ森のうちの松倉山(291.2m)~撫倉山(359.0m)~大倉山(327.1m)~蜂倉山(鉢倉山289.0m)を歩き回ってきた。

イワウチワについては、蜂倉山が有名だが、一足先に咲く大倉山も良い。
それは、咲いている場所の斜度がきつくなく、山頂のすぐわきでもあるので、心穏やかに眺めることができるから。

それにまた今日は、うれしいことがあった。
充実したその内容に感心しつつ、いつも参考にさせていただいている『東北の山遊び』『(続)東北の山遊び』のSONEさんに蜂倉山で偶然お逢いし(その後2回も)、しばし懇談させていただくことができた。
まったく同じ場所でお逢いしたのは、かれこれ4~5年も前のことだったろうか。

    *

ところで、『ウソ(嘘)』は自・他ともに傷つけるが、『ホラ(法螺)』は人の心を明るくおおらかにしてくれるもの。

そこで、七ツ森がどうしてできたかというこんな話。
いつの時代のどなたが吹いた法螺かは知らないが、なかなか大したもの。

「昔、加美の都に朝比奈三郎という力持ちの大男が住んでいました。
あるとき、弓の稽古をするため、的にする山を作ることにしました。
そこで大きなタンガラ(土を運ぶための背負いかご)をつくり、黒川のほうまでやってきたそうな。
そして、大谷の東の原っぱ(現在の鹿島台町あたり(*市町村合併によって今は大崎市鹿島台))からタンガラいっぱいに土をいれ、七回ほど土を運んで的山をつくりました。
途中、一回づつ休んだときにタンガラから土がこぼれ、その土が固まって七つの山ができました。
それが今の「七ツ森」で、この時土を掘ったところが「品井沼」、三郎が歩いた足跡が「吉田川」になったんだと。
また、その時の的山が矢喰山(薬莱山)で、一番あとにタンガラの残りでできた山がたんがら森といわれるようになったんだとさ。」(大和町公式サイトから転載)

     *

一方、この掘られたところにできた『品井沼』は県内最大級の広さの沼で、その干拓に300年を費やしたという。
また、吉田川は、大氾濫を起こす暴れ川で、治水工事は現在も続けられている。
(この沼と川に生涯をかけて挑んだわらじ村長で知られる鎌田三之助翁三代の不撓不屈の歴史は、広く世に知られている。)
※その詳細は ⇒ こちら

鹿島台の人たちからすれば、朝比奈三郎も随分と余計なことをしてくれたものだとなるのでは・・・?

とはいえ我もまた、こんな大男までとは望まないが、やはりパワーが欲しい。
なにせ自分ときたら、3分歩いて息が切れ、また3分進んでは一休みといった軟弱もの。
(3分しかもたないウルトラマンでもその時間内に敵を倒し、シュワァーッチと言ってはどっかに飛んで行ってしまう。)

それにしても、今から60年以上も前に人工知能を持つ10万馬力の鉄腕アトムを生み出した手塚治虫はすごいなァ~。
同時代の鉄人28号は、リモコン操作ロボットだったしなァ~。

そんなとりとめのないことを思いながらの、楽しい今日の七ツ森歩きだった。



(イワウチワ)









(カタクリ)

(ニリンソウ)

(ショウジョウバカマ)

(うさぎさんのようなオオカメノキの芽)

(エンレイソウ)

(シュンラン)

(キクザキイチゲ 青)

(アズマイチゲ:花びらの数が多い)

(ヒトリシズカ)

(エンゴサク)

(撫倉山から栗駒山を遠望)

(枯れた松越しの眺望も良い。)

(泉ヶ岳・北泉ヶ岳・船形山を望む。)

(歩いた距離 8.41㎞  累積上昇高度 896m  累積下降高度 916m  17,411steps)
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8 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-04-11 14:48:35
こんにちは。いつも興味深く拝見させていただいております。

吉田川は、まさに七ツ森などの豊かな山々に恵まれ普段の水量は穏やか。河川面積に対する河道域は特に中流域で小さめです。ゆえに長時間の大雨になると水量は容易に堤防を越えていきます。同水系の善川には、合流する吉田川の負担を軽減すべく遊水地がいくつも設けられていますが、にもかかわらす、2015年9月11日の、関東・東北豪雨では、吉田川中流域および上流の同水系の河川が大氾濫を起こし、甚大な被害をもたらしました。

実は吉田川はむかし、品井沼あたりで高城川と十字に交錯し、肥沃な土壌という恵みをもたらした反面、雨が降る度に氾濫を起こして住民を悩ませて来ていたそうです。そこで鎌倉時代、いっそここをでっかい貯水池にしてしまえと立ち上がったのが、朝比奈三郎です(伝説)。

そして高城川は、時代時代の土木技術を駆使して吉田川の下を潜る(松島湾に流入)ことになり、吉田川は鳴瀬川としばらく並走してから東松島の河口近くで合流、そして鎌田三之助が品井沼の干拓を実現し灌漑技術の恩恵を受けて稲作が隆盛を誇る昭和へと至ったのでした。(年代詳細は順不同)

まとまったリンクもあったので、
貼っておきますね。
http://soba-ki.hatenablog.com/entry/2015/06/01/130000
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Unknown (SONE)
2017-04-11 18:49:36
まさかまた同じ場所でお会いできるとは思いませんでした。
調べたらちょうど丸2年前でした。
今回はいろいろお話もできて良かったです。
ブログに御ブログのリンクを貼らせていただきました。
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イワウチハ (maro7)
2017-04-11 20:05:06
いい時期に行きましたね。
それにしても、同じ時期にSONEさんと会うとは合縁奇縁ですね。
「ウソ」は、中条きよしの歌ですがうまく歌えない。
「ホラ」は、今月一日は吹かないでしまいました。
今年は吉田川源流に目を向けたいです。
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花いっぱい (morino)
2017-04-11 20:45:44
七ツ森は花盛りですね。
SONEさんと共に山仲間のナカシィさんやmaronnさんにも会えたのではないでしょうか?
皆さん別々したが、良い時期には集まるもんですね。
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ありがとうございました (やまぼうし)
2017-04-11 22:56:36
SONEさん、こんばんは!
お逢いしたのは2年前でしたか? 私もだいぶボケてきたようで・・・。
ホント、うれしい出逢いでした。
拙ブログまでリンクとはありがたく思います。
今後とも、よろしくお願いいたします。
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Unknown (やまぼうし)
2017-04-11 23:00:11
Unknownさん、こんばんは!
拙ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
また、貴重な情報をお寄せいただき、感謝いたします。
その昔、吉田川は品井沼に注ぎ込み、そこから小川(こがわ)となって鳴瀬川に合流していたようですね。
元禄潜穴、明治潜穴、高城川開削などを含めた品井沼干拓300年の歴史について、私なりにまとめてみましたので、こちらもご覧いただければ嬉しく思います。
(吉田川改修については、*補記4に掲載)
http://www.teizanunga.com/Pages/shinainuma.aspx
これからもよろしくお願いいたします。
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Unknown (やまぼうし)
2017-04-11 23:07:17
maro7さん、こんばんは!
開花時期と天気とのタイミングはかりも楽しいもんですね。
SONEさんとは嬉しい出逢いでした。
さすが薬師如来の鎮座する山?
吉田川源流の踏査を楽しみにしています。
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Unknown (やまぼうし)
2017-04-11 23:13:07
morinoさん、こんばんは!
前後の天気が不安定になることから、グッドタイミングだったのでしょうね。
ナカシィさんも来ていることは、SONEさんから伺いましたが、あいにく逢うことはかないませんでした。
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