旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

松島航空基地地下壕「松島要塞」に

2009-10-11 22:18:09 | 水の道逍遥
2007年10月23日に、北上運河の端にある石井閘門に行ったときに、その隣の施設『北上川運河交流館 水の洞窟』でとても興味深い冊子(郷土の冊子ZEROひたかみ)を見つけた。書かれている記事に、“松島航空基地地下壕「松島要塞」調査の顛末”とある。


以下は、その記事の一部を転載(途中略あり)。
― 日本海軍が太平洋戦争のさなか、本土決戦に備えて松島航空基地の付属施設として建設。
鹿妻地下壕(魚雷庫と隧道)は戦後、松島基地に進駐した米軍が海軍が保有していた爆弾類を壕内で爆破したためうずもれましたが、牛網地下壕はひっそりと眠るように残されていました。 ―


昨日、川村孫兵衛重吉(かわむらまごべえしげよし)の足跡を尋ねて石巻に行くついでにこの松島要塞のあった場所(東松島市鳴瀬の牛網地区)を訪れてみた。

う~ん、さっぱりわからん!!

牛網堰(堤)の周りを奥の方へと進んでみたが、道が悪くて大変。4輪駆動のわが愛車だが、悲しいかな断念。ましてや、方向が間違っていたらしい。基地の作られたところ(現在の鷹ノ巣山公園)は堤のすぐ脇。そこを通り過ぎてしまった。ということで、再度現地に行かなければならなくなってしまった。



(牛網池)





(観光名所100選の碑:鷹ノ巣公園と牛網堰)



これまた随分と昔のことだが、長野県の松代大本営跡を訪れたとき、その地下要塞の規模、強制連行されて工事にあたった朝鮮人の方々の過酷さに胸が締め付けられる思いがした。

二つの基地を単純に比較することはできないが、埋もれさせてはならない歴史事実と思っている。



●松代大本営と「慰安所」:「もうひとつの歴史館・松代」建設実行委員会サイト
    ⇒ こちら

(注)
次のウイキペディア版は内容詳細だが、朝鮮人労働者の待遇が良かったように記述されており、作為が働いているようだ。(財)ながの観光コンベンションビューローの公式サイトでも“強制連行”となっているのに・・・。
●松代大本営跡 ⇒ こちら
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