旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

みやぎ街道交流会 講演会『仙台藩から見た戊辰戦争』を聴講して

2018-03-21 23:35:22 | 日々雑感
2018.03.17(土)は、みやぎ街道交流会 平成29年度講演会『仙台藩から見た戊辰戦争』を聴講してきた。




     *
討幕運動~大政奉還~明治維新とは、いったい何だったのか?
その背景と蠢(うごめ)く策謀?

薩長を中心とする軍と、なぜ奥羽越の諸藩は戦わなければならなかったのか?
いわゆる「勝てば官軍、負ければ賊軍」扱いの薩長史観(順逆史観)で組み立てられた歴史教育がもたらしたものは?

戊辰戦争とは?
  ※十干戊(つちのえ)十二支が辰(たつ)の年なので戊辰。今年は、明治改元から150年。

あらためてそんな素朴な疑問にとらわれてしまった。

    *

東北の民は、いつの世も中央政権から奪われ続けてきた。
蝦夷と朝廷側との30年戦争(特筆すべき阿弖流為と坂上田村麻呂)、前九年の役(同じく安倍貞任と源頼義・義家父子)、後三年の役(奥州清原氏と介入してきた源義家)、平泉への源頼朝軍の侵攻、戊辰戦争などはその象徴と言えるだろう。
そして、富の簒奪(さんだつ)、人民の移封(いほう)をはじめ、西南の役や日露戦争などでは激戦の最前線に立たされてきた。

    *

いったい、正義とは何か?
薩長が掲げる正義、奥羽越列藩の正義と後にこれから離脱した秋田藩の正義。
正義にもいろいろあるもんだと改めて実感。

人類は、賢者を星の数ほど輩出しても、有史来、半径6400㎞に満たない大きくはない地球の上で戦争をやめない。
そこでも常に、多種多様な正義が語られる。
最近は、〇〇ファーストなどといった「自利」むき出しをして恥じることもない。


仏教では、自利、利他は別個の行為ではありえないと教えている・・・。
また、「仏教でいう“正しい”とは、自分と他人の区別がない、平等な観点に立つということ」と公方俊良(くぼうしゅんりょう)師は、その著『般若心経90の知恵』の中で書いている。
(般若心経を唱える人の数も、歴史上これまたおびただしいはずだが・・・。)

    *

いたずらに反逆精神の醸成が肝要などと言うつもりはない。
今日、講師は国内各地のイベント(下記参照)と宮城県内の動きを比較し、嘆きというより憤りをお持ちのようだった。

わたしも、講師と同じく、戊辰戦争の奥羽越列藩同盟の主要な役割を果たした仙台藩の後裔が、国主導の明治150周年のお祝いイベントにただ乗っかるような姿を歓迎する気にはなれない。


やはり、歴史は多面的に掘り下げられなければならない。
いろいろ書き散らかしたが、とにもかくにも様々な思いが湧いた講演会だった。


<参考>
鹿児島県
明治維新150年周年「かごしま明治維新博」

鹿児島市
明治維新150年 “維新のふるさと 鹿児島市”

山口県
2018明治150年“維新胎動の地 山口県”

京都
大政奉還150周年

国(内閣官房が中心)
明治150年

福島県
戊辰150周年

会津若松市
戊辰150周年記念事業

宮城県
明治150年 全国運河サミットinみやぎ

仙台市(博物館)
戊辰戦争150年(仮称):新潟県立・福島県立・仙台市立の博物館連携による巡回展を開催



(講演会に行く途中の台原森林公園)


(仙台市地下鉄旭ヶ丘駅)


(講演会後の街道談義に参加して帰宅する道にあった闇に浮かぶ白梅)


(ここまで歩いていつも休憩)



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