2021.05.01(土)
宮城県沖発生地震の被害が大きくないことを心から祈っています。
関東大震災から間もなく100年になる。(1923(大正12)年9月1日11時58分発生)
東日本大震災(2011年3月11日午後2時46分ころ発生)では、わたしは広域消防団長会議に出席するため広域消防本部の会議室のドアに手をかけたときだった。あまりに大きな揺れに立っていられず、コンクリート柱にしがみついた。その会議の趣旨は、発生が確実視されている地震に共に備えようというものだった。その後の災害対応は大変なものだった。
2008(平成20)年6月14日午前8時43分発生の岩手・宮城内陸地震では親しい人たちを失った。
1978(昭和53)年6月12日午後5時16分発生の宮城県沖地震のときも苦労をした。
東京に転居してからずっと気にかかっていること、それは電気、ガス、上下水道といった生活インフラが被災するとすさまじい混乱が起き、それが長く続くだろうということ。
人口密度が高く、地下施設が膨大、海面よりも低い地帯と埋立地の多いことを想像するといっそう恐怖感が増してくる。
(徳川家康が入ったころの江戸城前(現在の日比谷)あたりまで入り江だった。)
給水車に群がる人たち、高層階まで水の入った容器を運び上げる人たち・・・。
わが家では、1週間分の食料、水、ガス燃料、簡易トイレ、ソーラー発電機・バッテリーなどを備蓄済み。
寝袋、マット、ツエルトなど山登り用の道具もある。
近くに住んでいるわが子たち(2世帯)にも常々準備を怠るなと言っては嫌がられている。
夕方近くなってから買物とウオーキングに出た。
多摩川緑地運動場のサラサウツギ(更紗空木)はまだ硬いツボミ状態。
帰宅してすぐにものすごい雷鳴がしてきた。
地震、カミナリ、火事~やはり怖い。
これに続く”おやじ”といえばその権威は失墜し、さっぱり怖くなくなったか。
代わりに増すのは”山の神”の威光(?)
(コマツヨイグサ)
(メマツヨイグサ)
(タニウツギ)
場所を変えて、丸子川と耕地前緑道へ。
(キショウブ)
(スウイートピー)
(アサヒカズラ)
(オルレア(オルラヤ))
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