ドイツの歴史認識を変えたという、映画「顔のないヒトラーたち」を見ましたか?
2016年2月公開中:厚木市 アミュー厚木にて上映中。
2015年は戦後70年でした。戦後70年ということで、映画『顔のないヒトラーたち』が公開されました。この映画は、1963年に行われた裁判「アウシュビッツ裁判」が行われるまでの苦難の実話を元に作られています。
アウシュビッツ裁判とはホロコーストに関わった人間をドイツ人自身が裁いたものです . . . 本文を読む
こんな夢でした。あまりに鮮明に覚えているので、ばかばかしいのですがメモしたのを起こしました。
「雲隠れ宗衛門」のこと
≪彼はここ数日憂鬱な気持ちのままに過ごしてしまった。
なにしろ、大事な人を迎えての講演の折に、大失敗し、みんなの前で上司に叱られたのである。その後のみんなの視線の冷たかったこと。いや彼が一人そう感じたのかもしれないが、誰かが話していると自分ことではないかと思ったり、視線が合うと笑っているように思えたりするのであった。その度に自分を責めるのであった。
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今日5月29日、ハーモニカ仲間と一緒に映画「望郷の鐘」-満蒙開拓団の落日―をみました。中国残留孤児の父と言われた山本慈昭、満州での過酷な体験で、妻子を亡くしながらも、阿智村長岳寺の住職をつとめながら、残留孤児たちの肉身を探しや孤児たちを献身的に支えた生涯を描いた作品でした。この作品の中で分かったことは、(以下本文) . . . 本文を読む
今日5月28日は2回目の放送でした。辺野古のきれいな海が紹介されました。埋め立てられて基地になってしまったら、もう二度とサンゴの海は戻らないでしょう。観光客はもうここには来ないで、来るのは危険な軍用機だと思いました。
視聴者からの意見には、反対ばかり伝えて偏っているというFAXもあり、それも伝えていました。そのような意見や、圧力を心配してでしょうか、困っている、大変だという思いで反対している人とともに、賛成の人の意見も紹介されました。
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明日のNHK「あさイチ」8時15分お勧め!ニュースではひどい編集をしていると怒っているのですが、今朝のNHKあさイチ8時15分で、篠山アッキ―の沖縄訪問は良かったですよ。普天間基地が世界一危険な基地と言われるわけをはっきり伝えていました。 . . . 本文を読む
4月末にまた、施設訪問でした。3月に行った施設より、新しく、施設のスタッフも慣れていないような感じです。何回か行っているのですが、いつもスタッフがこの時間は息抜き?のような感じで、3月の別な施設のように一緒に楽しんだり、盛り上げたりということが苦手のようでした。 . . . 本文を読む
過日、近所のご夫婦と息子さんを呼んで我が家で一杯やりました。
その折、ワインやビールもおいしかったのですが、大好評だったのがなんと私がつくった焼き肉!今までの、焼き肉はどうも固くなりがちで、余りおいしくできませんでした。それで最近、料理番組などを見て修行?したのです。肉は柔らかくて、添えたモヤシもおいしいと完食!でした。(レシピは本文) . . . 本文を読む
このブログを読んでくださっている皆さんは、中学校の頃の先生を覚えているでしょうか。
中学校では、たくさんの先生のお世話になりました。
まず桜井先生は石巻の大きなお店の息子さんとかで、社会の先生でした。ちょっと足が不自由な方でしたが、この先生の社会科は重点をきっちり教えてくださるという感じでしたし、黒板の字は見事でした。一番覚えていることは、「所変われば品変わる」と一年生の社会科の始めに板書して説明されたことでした。地理の説明ですが、普遍的な面もあります。さっそく習ってノートに赤く書いたのでした。後に自分が社会科の授業をする時にもこの言葉とともに思い出す先生でした。 (以下続く)
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①みんなで春を感じる
3月20日、ハーモニカのボランテイアで施設訪問をしました。演奏する4人が入ると「待ってました!」と大きな声で迎えてくれた施設の人々は20人ほど。2,3人は車イスにのったり、支えられたりしていますが、椅子に座って待ってくれる人々は歌が好きでたまらないという感じです。始めに、施設に来る途中で摘んだ野草をお見せして春の雰囲気を感じてもらいました。「ホトケノザ」「ヒメオドリコソウ」「オオイヌノフグリ」。「ホトケノザ」と「ヒメオドリコソウ」は区別が難しいと、言う方もいてみなさん興味津々でした。(以下続く) . . . 本文を読む
中学校は、村内の4つの小学校が集まったもので4クラスあり、稲井中学校といいました。四小学校の名は、私が通っていた真野小学校のほか、井内、大瓜、金山といいました。
中学校は山の中腹にあるので、各学区から自転車で通ってくる生徒の自転車置き場が長く連なっていました。私は自転車で30分ぐらいかけて通学していました。(以下本文に続く)
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