南国の遊び部屋

鹿児島の祭りや観光地についてゆるーく報告してますが、最近オタッキーな記事が大半だったりします。
遊び部屋ですから(笑)

上床公園(霧島市溝辺町)の特攻の碑

2009-10-22 | 鹿児島の祭り・観光地
10月10日、子供のソフトの試合で霧島市溝辺町の上床公園に行き、そこで知覧特攻平和会館の特攻銅像「とこしえに」のような特攻の碑「十三塚原海軍特攻の碑」を見かけました。

「十三塚原」とは霧島市溝辺町から姶良郡加治木町にかけて広がる広大な高台(標高240~280メートル)に開けたシラス台地のことです。

「十三塚」の由来は、先日「隼人浜下り」の記事に出た鹿児島神宮(大隅正八幡宮)と大分県の宇佐八幡神社(宇佐神宮)とが神位(八幡宮の正統性)を争ったとき、宇佐側が大隅八幡を焼かせ、その使者が帰途この地で13人死んだので、ここに塚をつくったことによります。

同じく「隼人浜下り」の記事に書いた720年の「隼人の反乱」が、そもそも大和系の大神一族の宇佐神宮に対抗して708年に建立したと伝えられている大隅正八幡宮を取り仕切っていた、原始八幡神を祀る辛嶋宗家(秦一族)による勢力争いに端を発したものではないかとの説もあったりで、この複雑な因縁・関連に感心した次第であります。

(事実であれば、神社の争いに巻き込まれ反乱の実行犯になった熊襲(後の隼人)は気の毒ですね。熊襲を弔うために宇佐神宮で放生会(ほうじょうえ)が始まったことも考えれば、ますます事実?)



上床公園は高台にあり、見晴らしの良い公園です

桜島や・・

鹿児島空港も見えます
十三塚原海軍航空隊のあった第二国分飛行場跡地が、1972年(昭和47年)に鹿児島市から移転した鹿児島空港の一部になっています。

「十三塚原海軍特攻の碑」

1979年(昭和54年)4月6日に建立されたとのこと

昭和二十年四月六日から数回にわたり沖縄周辺の敵機動部隊に対して体当り攻撃を敢行し、二百余人の若人たちが殉じたとのこと・・・

「鎮魂 神風特別攻撃隊 戦死者之英霊」

近くに零戦のプロペラがありました

海底から引き上げられたそうです。

プロペラは曲がっていましたが、大きかったです。


上床公園は遊具もたくさんあり子供の遊び場としても、いい所です

お兄ちゃんがソフトの間、次男は遊具で友達とたくさん遊びました

体育館や芝の広いグランドもあります




次の週に、吹上浜海浜公園の秋祭りに行った時に偶然通りかかったのですが

海浜公園前の直線道路は万世飛行場の滑走路跡だそうです

万世特攻慰霊碑 「よろずよに」

万世特攻基地のあった万世飛行場からも特攻隊が出撃したのでした・・・

終戦直前の昭和20年(1945年)3月から7月までの約4ヶ月間に、201人の特攻隊員が万世飛行場から沖縄に向けて出撃し、帰らぬ人となりました・・

万世特攻平和祈念館
中には平成4年(1992年)に吹上浜より引き揚げられた日本でただ一機の「零式三座水上偵察機」などが展示されています・・





こちらは有名な知覧特攻平和会館の「特攻像・とこしえに」




その他、鹿児島県内には

○出水海軍航空基地   出水市
        特攻神社・特攻碑公園
        特攻隊員像/南方のかなた

○鹿児島海軍航空基地  鹿児島市
    鴨池公園
    貴様と俺の碑 (昇天する搭乗員の像)
    鴨池緑地公園
    赤心の碑 鹿児島海軍航空隊隊歌

○指宿基地   鹿児島県指宿市
     国民休暇村     
     指宿海軍航空基地 愛惜の碑

○串良海軍航空基地   鹿屋市串良町
        平和公園

○鹿屋海軍航空基地   鹿屋市
      特攻隊戦没者慰霊塔
      鹿屋航空基地史料館

○第一国分基地  霧島市国分
1955年(昭和30年)に跡地の一部を利用して陸上自衛隊国分駐屯地
1964年(昭和39年)8月15日に「特攻機発進之地」が建立
毎年4月22日に慰霊祭が行われる

等数々の資料館・碑が建立されています









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