以前、桜の季節に蒲生の大楠を見物に蒲生八幡神社へ来たことがあり、その時、駐車場が神社近くになく、難儀したことがありましたが、2009年10月10日より神社近辺に蒲生観光交流センターが稼動するなど、整備され、駐車場も準備されています。

蒲生八幡神社は蒲生小学校の隣です。

今年3月27日の様子
春は桜並木がきれいです

2009年11月1日現在
看板や歩道が、おしゃれになりました

蒲生の大楠と我が次男(6歳)との比較
推定樹齢:1600年、樹高:30mのご神木です。

巨大な根です(根廻り:33.57m )

樹の中は空洞(ウロ)があるようです。
ウロの直径4.5m(約畳8畳敷)だそうです
蒲生観光交流センター内には様々な展示物があります

蒲生の大楠は根回り33.57m、目通し幹回り24.22mで日本一の巨木(幹の太さ)です!

車や人のマグネットを並べて、何台・何人入るかで大きさが実感できます

環境省で1988年と2000年に行われた巨樹巨木林調査結果である約68000本ものデータベースに登録された巨木の中で、上位20本はおろか、No.1の巨木・日本一の巨樹です
それにしても九州から多数ランクインしていますね

巨木番付で「蒲生大楠」は東の横綱です!
国の特別天然記念物となっています

平成19年(2007)新築の社務所の係りの方から、2階から大楠が見えますよ
とのことで2階へ
展望室で大楠をスケッチしている方々がいました

社務所2階展望室から見た全体像

社務所の1階には、なにやら由緒ありそうなお面や・・

鏡が多数展示されていました。

鏡の台帳
ちなみに蒲生八幡神社には所蔵文化財の中に、秋草双雀文様銅鏡 1面(鎌倉時代、国の重要文化財) などがあるとのこと

戦国時代、島津氏との激しい戦いの末に蒲生氏(18代当主・範清)は敗れて島津氏の軍門に下り、1557年(弘治3年)退去させられ、その後島津義弘により社殿(蒲生八幡神社)を再興されたそうです。

薩摩藩の外城制度(藩内を113の区画(外城)に分割)において郷士(半士半農の在郷武士団)が居住していた集落を麓(ふもと)集落と称し城下町的機能を有していました。
蒲生麓(かもうふもと)は慶長の頃に成立した武士の居住区「麓」の一つです。

郷士の屋敷は石垣や生け垣で囲まれ、とくに高級郷士は豪華な門を構え、近くに農民や町人が住んだそうです。
蒲生麓は町割りが旧態を留めているそうです。
毎年11月の第3日曜日に「大楠どんとまつり」が開催されます。

蒲生八幡神社は蒲生小学校の隣です。

今年3月27日の様子
春は桜並木がきれいです


2009年11月1日現在
看板や歩道が、おしゃれになりました

蒲生の大楠と我が次男(6歳)との比較
推定樹齢:1600年、樹高:30mのご神木です。

巨大な根です(根廻り:33.57m )

樹の中は空洞(ウロ)があるようです。
ウロの直径4.5m(約畳8畳敷)だそうです
蒲生観光交流センター内には様々な展示物があります

蒲生の大楠は根回り33.57m、目通し幹回り24.22mで日本一の巨木(幹の太さ)です!

車や人のマグネットを並べて、何台・何人入るかで大きさが実感できます

環境省で1988年と2000年に行われた巨樹巨木林調査結果である約68000本ものデータベースに登録された巨木の中で、上位20本はおろか、No.1の巨木・日本一の巨樹です
それにしても九州から多数ランクインしていますね

巨木番付で「蒲生大楠」は東の横綱です!
国の特別天然記念物となっています

平成19年(2007)新築の社務所の係りの方から、2階から大楠が見えますよ

展望室で大楠をスケッチしている方々がいました

社務所2階展望室から見た全体像

社務所の1階には、なにやら由緒ありそうなお面や・・

鏡が多数展示されていました。

鏡の台帳
ちなみに蒲生八幡神社には所蔵文化財の中に、秋草双雀文様銅鏡 1面(鎌倉時代、国の重要文化財) などがあるとのこと

戦国時代、島津氏との激しい戦いの末に蒲生氏(18代当主・範清)は敗れて島津氏の軍門に下り、1557年(弘治3年)退去させられ、その後島津義弘により社殿(蒲生八幡神社)を再興されたそうです。

薩摩藩の外城制度(藩内を113の区画(外城)に分割)において郷士(半士半農の在郷武士団)が居住していた集落を麓(ふもと)集落と称し城下町的機能を有していました。
蒲生麓(かもうふもと)は慶長の頃に成立した武士の居住区「麓」の一つです。

郷士の屋敷は石垣や生け垣で囲まれ、とくに高級郷士は豪華な門を構え、近くに農民や町人が住んだそうです。
蒲生麓は町割りが旧態を留めているそうです。
毎年11月の第3日曜日に「大楠どんとまつり」が開催されます。
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