gooブログはじめました!

あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

動植物と生きた子どものころ

2020-08-29 16:37:40 | 日記

刺すような陽ざしが戻ってきた。階段も燻製のような香りがする。これが夏の終わりの暑さならいいのだが。

寝苦しい夜だった。毎日が日曜日の生活でも、今日は土曜日だもう少し寝ていようか と思う。起き出すのはメダカの餌やりがあるからだ。教会のお友達からもらったメダカがかなり大きくなった。金魚鉢でメダカ密度が高い。餌は1日に朝夕2回なのだが、どうも少ないのか入れておいた藻の根を食べてしまい、藻が枯れてしまった。(と思う)プラスチックの藻の上に乗って、餌を食べようとする。軽くジャンプする感じなので餌の時間はすさまじい動きになるが、1匹も死なないのはすごい。

こんな小さなメダカでも毎日餌やりをしないとならないので 私を縛る。長い間マンション暮らしだったので、動物を飼うことはできなかった。子供の頃は、祖父が金魚やメダカを飼っていた。季節になると縁日で鈴虫を買ってくれた。餌やりは子供の仕事だった。たまに逃げられたが、キュウリを切って竹の虫かごに入れた。ネコとイヌは1回ずつ飼った。賢い黒猫と間抜けな白いぬだった。世話はやはり子供たちの当番だった。おそらく、それが飼うための条件だったのだろう。弟は病弱なのでほとんど私の仕事だった。

学校でも高学年では飼育栽培部でウサギの世話や稲の管理をしていた。動植物が好きだった。それだけでなく父はプラネタリュームに連れて行ってくれて、星を教えてくれた。谷中には切通があるので見せてくれた。私はまわりの影響で動植物の「いのち」を子供のころから大事にみてきたようだ。

今朝、やっとゴウヤの花が咲いた。一輪なのがなんとも奥ゆかしい。(わらい)このごろ、つくづく自分の育った環境に感謝している。そして、育てるだけでなく、祖母はそのいのちの弔い方も教えてくれた。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 秋風をあなたに(琵琶湖にて) | トップ | このひとに賭ける »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事