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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

災害が奪っていくもの

2020-07-05 18:52:12 | 日記

熊本市と鹿児島市のお友達は大雨の被害はないようだが、八代市の状況はわからない。また、線状降水帯が接近しそうだという。ゲリラ豪雨のような水害は予想もつかない。そのうえ被害も大きい。屋根しか見えない家の映像を見ると胸が痛む。教会でも神父様がお祈りをしましょう と声をかけた。お金では買えないものが流されていく。

昨日の教え子は気付きを残してくれた。まず、うちが非常に貧乏であることを改めて感じた。家具がないということは、衣類も食器も本もその他飾り物もないということだ。外から来た人の目で自分の家を見つめた。空間が欲しいためにさまざまなものを処分したが、それでよかったのだろうか・・・。「先生のうちいいなぁ。また、遊びに来ます」と彼女は言う。

陶芸で焼いた不出来な湯飲みが6組ある。陶芸の先生は「湯飲みも6個揃うといいよ」と言われた。6人もお客さんが来ないのに・・・と思った。それでも彼女にその湯飲みでお茶を出した。「買った湯飲みと違って、手にあたる感じがやさしくて違いますね」という彼女。私もうれしかった。そうか、6個あるということはそういう余裕なのか と先生の言葉を思い出した。この家には、母の書、油絵、大事な人の送ってくれた写真、お友達の作ってくれたプリザードフラワー、そんなものが飾られている。家具も中身もなくていいのかなぁ。

そんなものが全部なくなってしまったら・・・。今回の水害は避難する間も無く、水が押し寄せてきたという。温暖化の影響なのか。このような災害を復興をしていけば、いくらお札を刷ってもお金は足りなくなるだろう。レジ袋3円の問題ではない気がする。痛ましい災害にどう対処していけばいいのだろうか。コロナの禍も続いているのに。

 


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