曜日がわからなくなりそうだ。朝、Youtube で函館の修道院のミサを見ることができた。ああ、日曜日だ と思う。いままであまり感じずにいた、ミサ(教会へ行くこと)の意味が改めてわかった。たまたま、そのYoutubeのページに1950年代のアメリカ人記者が見た日本の当時の状況のカラー写真があった。この時代の写真でカラーはとても珍しいという。戦後の東京と熱海や伊東の写真だった。
今の銀座や日本橋の様子と当時の写真を比較していた。もう50年以上も前の写真、馬が写っていたりする。家族の写真も夫婦のどちらかが和服を着ていたりしている。東京タワーの建設が始まっている。今と全然違く工事風景だ。そして、デパートの屋上にディズニーランドが作られていた。このころから、ディズニーは人気だったらしい。熱海の写真には、干物を作る人や駅前でお客さんを待つのぼりを持った旅館の人たちが写っていた。まだまだ、生活が豊かになっているとは思えないが、子供たちも大人たちも、その写真では笑顔があふれていた。というよりは、「生きている!」表情だ。
都市部に異常に人が密集している という記事を読んだ。新型コロナウイルスの感染状況をみれば明らかだ。都会で育って、この地に越してきた私は複雑な思いでこのカラー写真を見直した。
どんな時でもひとはひととつながらなくては生きていけないらしい。ITでは補えないものがあるという。会って議論しながら生まれてくるものがあるという。今日のぶろぐはここまでしか書けない。私たちは50年以上前のように自然に笑っていない気がした。
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