怒りを掘り下げていくと
必ず悲しみに行き着く
その悲しみは何だろう
とてつもない怒りでも
必ず奥に悲しみがある
それは見たくないもの
とにかく後から空虚感に苛まれる
私が悲しいことは何だろう
認められないことか
太刀打ちできないことか
悔しさか
誤解を招いたことか
すなわち、自分をわかってもらえないからか。
年老いてから愛されること それって、かなり、いや、人生の中ではいちばん幸せなことなのかもしれない。 例え、本人がわかっていなくとも。 それって 本人が、今まで頑張って、周りのことも大切にして、お節介も、頑固なところも、時には困らせたりもして、ただただ自分と人を思い、 一生懸命生きてきたことを、私達が知っているからだ。 あなたのそのシワとその顔は、今まで一生懸命歩んできた証。 とても素敵で愛おしい。 あなたが生きてきたこと、がんばって生きてきたことを、 周りも知っているから、弱くなっても愛おしいし、なにかしてあげたいと思う。 なにかしてあげたいだなんて、おこがましいかもしれないが、時々そばにいて、話しかけるだけでもやっぱりなにか伝わっているんじゃないだろうか。 できることを、私達はやればいい。 大好きな人が、この世を去る瞬間まで、 できることをしてあげたい、 そういうのが愛で、 そう思わせるあなたは、とてつもなく素晴らしい人間だ。 そして私もあなたのように、なれたらなと思う。 どんな私でも、放り出さないで、いつもあなたから歩み寄ってくれたこと。 悲しいって伝えてくれたこと。 それでも優しくしてくれたこと。 今だから、ありがたいことだったと気付く。 私もそんな生き方をしたい。 例えば拒否されても、愛したかったら愛すること。 できるかな、私にも。