今日はとある鍾乳洞のお話。
私は鍾乳洞に詳しいわけではないが、先日機会があり、鍾乳洞を見ることができた。
鍾乳洞・・・それはまさに自然の神秘。
果てしない時を刻み、己を形成し続けていく。
圧巻であった。
鍾乳洞がここまで成長するのに費やしてきた時間には程遠いが、少しの時間、呆けてしまった。
口がちょっと開いていたのはここだけの話だ。
湿度がかなり高く、そして、よく見るとそこに流れる水の中に、ちらほらと魚がいた。うなぎのような生き物もいた。
ちなみに、フラッシュ撮影をしたのだが、そうしたら、彼らの目が全て光ってしまい、少し不気味な写真ができあがったのはご愛嬌だ。
ついでに言うと、写真を見て気づいたのだが、水の中にコインがあった。
なぜ、日常とは違う場での水には、コインを投げる人がいるのだろう。
まさか集合的無意識なのか。
そんなこんなで、なかなか楽しいひと時を過ごすことができた。
鍾乳石は、1mm成長するのに数年かかるらしい。
そんなものが何十メートル、いや、もっと成長しているものがごろごろある鍾乳洞。
軽はずみに折ってしまうわけにはいかないというのはもっともな話だ。
そう、ジャ・・・いや、なんでもない。
だから、絶対に折ることのないように・・との注意書きも発見した。
しかし、気になることがある。
私が行った鍾乳洞は、もちろん一般公開されている、観光客を狙いとしたものだ。
だから入場料を払う必要があるわけだ。
確かにこれは、入場料を払う価値ありだと思う。
しかしだ。
入場客用の通路上にある天井から伸びてきている鍾乳石たちを見ると、切断面らしきものが見えたのだ。
悠久の時を過ごし、気の遠くなるような速度で少しずつ少しずつ成長してきた鍾乳石が、ばっさりと切られているように見えたのだ。
登山すればごみをポイ捨てするようなマナーのわかっていない観光客がやったのであろうか。
いや、絶対に折るな。との注意書きがある以上、こんなに派手に折られていたら、公開はされなくなるだろう。
では、公開する側が、折ったのだろうか。
一体、何のために。
すぐに思いつく理由としては、客の通行に支障をきたさないように、だ。
鍾乳洞の魅力を人々に伝えるために、公開している側の人間としては、客が沢山来て欲しいだろう。
しかし、彼らはこの行為の重大さを最もよく理解しているはずである。
多大な利益欲しさにやったのであろうか。
もしそうであれば、どんな事情があるにせよ、彼らには鍾乳洞を管理する権利はない。
実際に、このことを問い合わせたわけではない。
もしかしたら、切ったのかもしれないし、そういうでき方をする鍾乳石もあるのかもしれない。
しかし、私は裏も取らずに、勝手に文句を言うだけ。
文句を言うだけで何も行動を起こすわけではない。
だから、私のこの発言は無責任なものだ。
だが、もう少しその無責任で恥知らずなことを続けよう。
観光業のために、その地の魅力を消し、取り返しのつかないことにしているという、つまり、「この土地のこれを目玉に、客を寄せて儲けよう。客を確保するには色々と開発せねば」の行為。
そんなことをすれば、その土地の目玉は破壊されてしまうのは目に見えている。
そういう意識を、一観光者としてもっておきたい。
何の行動も起こさず、また、生活の中で似たようなことをしていて、そんな自分のことを棚にあげる、会長であった。
私は鍾乳洞に詳しいわけではないが、先日機会があり、鍾乳洞を見ることができた。
鍾乳洞・・・それはまさに自然の神秘。
果てしない時を刻み、己を形成し続けていく。
圧巻であった。
鍾乳洞がここまで成長するのに費やしてきた時間には程遠いが、少しの時間、呆けてしまった。
口がちょっと開いていたのはここだけの話だ。
湿度がかなり高く、そして、よく見るとそこに流れる水の中に、ちらほらと魚がいた。うなぎのような生き物もいた。
ちなみに、フラッシュ撮影をしたのだが、そうしたら、彼らの目が全て光ってしまい、少し不気味な写真ができあがったのはご愛嬌だ。
ついでに言うと、写真を見て気づいたのだが、水の中にコインがあった。
なぜ、日常とは違う場での水には、コインを投げる人がいるのだろう。
まさか集合的無意識なのか。
そんなこんなで、なかなか楽しいひと時を過ごすことができた。
鍾乳石は、1mm成長するのに数年かかるらしい。
そんなものが何十メートル、いや、もっと成長しているものがごろごろある鍾乳洞。
軽はずみに折ってしまうわけにはいかないというのはもっともな話だ。
そう、ジャ・・・いや、なんでもない。
だから、絶対に折ることのないように・・との注意書きも発見した。
しかし、気になることがある。
私が行った鍾乳洞は、もちろん一般公開されている、観光客を狙いとしたものだ。
だから入場料を払う必要があるわけだ。
確かにこれは、入場料を払う価値ありだと思う。
しかしだ。
入場客用の通路上にある天井から伸びてきている鍾乳石たちを見ると、切断面らしきものが見えたのだ。
悠久の時を過ごし、気の遠くなるような速度で少しずつ少しずつ成長してきた鍾乳石が、ばっさりと切られているように見えたのだ。
登山すればごみをポイ捨てするようなマナーのわかっていない観光客がやったのであろうか。
いや、絶対に折るな。との注意書きがある以上、こんなに派手に折られていたら、公開はされなくなるだろう。
では、公開する側が、折ったのだろうか。
一体、何のために。
すぐに思いつく理由としては、客の通行に支障をきたさないように、だ。
鍾乳洞の魅力を人々に伝えるために、公開している側の人間としては、客が沢山来て欲しいだろう。
しかし、彼らはこの行為の重大さを最もよく理解しているはずである。
多大な利益欲しさにやったのであろうか。
もしそうであれば、どんな事情があるにせよ、彼らには鍾乳洞を管理する権利はない。
実際に、このことを問い合わせたわけではない。
もしかしたら、切ったのかもしれないし、そういうでき方をする鍾乳石もあるのかもしれない。
しかし、私は裏も取らずに、勝手に文句を言うだけ。
文句を言うだけで何も行動を起こすわけではない。
だから、私のこの発言は無責任なものだ。
だが、もう少しその無責任で恥知らずなことを続けよう。
観光業のために、その地の魅力を消し、取り返しのつかないことにしているという、つまり、「この土地のこれを目玉に、客を寄せて儲けよう。客を確保するには色々と開発せねば」の行為。
そんなことをすれば、その土地の目玉は破壊されてしまうのは目に見えている。
そういう意識を、一観光者としてもっておきたい。
何の行動も起こさず、また、生活の中で似たようなことをしていて、そんな自分のことを棚にあげる、会長であった。