遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

大地を抱きしめて接吻

2012-03-24 21:03:09 | 文学

カラマゾフにもこれが出てくる

罪と罰でも最後にソーニャにあった後

ラスコーリニコフがそうする

 

これがドストエフスキーの信仰の表れなのかもしれない

大地 というのは神の愛の象徴なのかもしれないと

思い至った

1332459793

そう感じたのは

この書を花てぼさんのところで見たからだ

キリスト教で言う神の愛って

阿弥陀様の本願ではないか?

と思ってきたのだが

今孔子伝を見ていて

西洋の人も孔子の論語かなり 読んでいるんだな

で 孔子の言うところの仁について

キリスト教の愛と関連付けた意見はいっぱいあると

初めて知った

 

こんなことをいろいろ考えてしまうのは

原発事故がらみで

早川先生は自然に対する畏敬の念

これを教育の中で大事に教える必要があると

よく言っている

科学的なアプローチで 自然のことなんか

そうは分からない

ましてこういう事故が起きてしまって

もしかすると 大地震に関連して 火山の爆発はあるかもしれない

賢しらに 人間が対処できないような自然のまえで

謙虚に畏敬の念を持っていく必要性を

科学者も考えだしている時代だ

 

罪と罰についても 法や制度といった

人間の作った枠をを超えた苦悩というものについて

ドストエフスキーもバルバラも

提起している問題 

今まで それらが キリスト教と言う

私の理解の外の話に結びつくところは

パスしたり 追いやってきたけれど

孔子伝を見ていると

何千年も考え続けられた 普遍的なテーマだなあと思った

地面を描けという

次の課題

それも細密に

なんて 気が乗らなかったけれど

地面 即物的に考えなくても描けるぞと思った

だいたい 今 地面見てみたら

そりゃあ

自然に対して 畏敬の念は湧いてくると思う

命の春だから

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6 コメント

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泥棒さんはちっぽけな書から大層なことをお考えに... (花てぼ)
2012-03-24 23:03:09
泥棒さんはちっぽけな書から大層なことをお考えになるんだー。
大地を抱きしめて接吻って、フランス文学では出会... (Unknown)
2012-03-24 23:04:56
ないようなきがする。たしかに、ドストエフスキーにおいては
これは改悛の象徴的表現で最重要なところだっていうことは
わかったけど。
神に対する愛の表現?自然に対する愛の表現?ほんと?
よくわかったようなわからないような。
大地が神の愛の象徴。
西洋では人間は自然と対立するもののように考えてるような
気がしてた。
諸諸の関係がよくわからない。

孔子伝って白川静の?よくよむ時間あるなあ。
わたしはくだらないことにばかり時間を費やしてる。
花てぼ様 (遊工房)
2012-03-25 08:14:55
たいそうなことと勝手に結び付けただけで
地面を描く
って
春の命のうごめきが描けたらいいな

思えたというだけのことなんだけど
それができればいいけど
難しい
コクリコの歌はあれだけの歌に
さらに 愛の揺らぎも 表現って
すごいねえ

それを書にする 花てぼさんも すごいねえ
[E:leo]様 (遊工房)
2012-03-25 08:19:09
そっか
フランスでは大地を抱きしめて接吻って
ないのか!

私は 宗教は 自然哲学の芸術表現だと思っているんだもん

孔子伝は読んでるんじゃないの
ビデオを見ているの

今どこかテレビでやってて
武蔵が全巻 ビデオやで借りてきて見ている
それを鬼の居ぬ間に私も見ている

カラマゾフは行く種類も映画になっているのよね
私はユル・ブリンナーのを見たけど
あなたと見たんだっけ?
あるかないかは確かじゃないよ。でもフランス人は... (Unknown)
2012-03-26 12:08:49
わかってるよ。日本人ってそれほどぴんとこないのじゃないの?
わたし、にぶいから、フランス人に指摘された。
クレマンには神はいない(?、これほんと?神がいないとして、人間を含めた
すべてを描いていくとああいうことになるのだとおもう。人間の世界を
座標軸にとって物事をかんがえるとああなるってことだ。むつかしいなあ。
)、ラスコーリニコフには神がいる。
[E:leo]様 (遊工房)
2012-03-26 13:58:34
19世紀西洋では無神論社会主義懐疑主義が吹き荒れたのね

キリスト教の土壌がない日本人にはわかりにくいことがいろいろあるわけだ
ドストエフスキーはローマ・カトリックに対して否定的
というか 無神論に近づき社会主義に近づき
結局神を見たわけだ
大地に抱き抱かれ

こういうのと 正教と ともかくわからないからな

クレマンは神がないという観念はあったけれど
西と東の中央での死と
その苦悩と

救済のない話ではあるけれど
バルバラは そこに 救済を見たんではないの?
とてもペシミストだけど


私 ゲーテの 親和力も読み直さないといけない

世の常の人と一緒で
自分の座標軸から読んでしまうけれど

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