年賀状で
意外な友人の訃報に接して
呆然としている。
私には知らせもなかったし
葬儀にも出ていない
そうなると
どこでそのなくなったことを
胸に落としていいか分からなくて
とてもつらい
納得が出来ない。
人はいずれ死ぬのだけれど
残されたものは
ともにその死を嘆き
受け容れることがないと
なんだか病気になりそう。
自分は
人知れず
葬儀はしないでこの世を去りたいと思っていたが
それはいけないかもっしれない。
葬儀がいやでは
自分でちゃんと挨拶してから
死なねばならない。
しょうがないのです
田舎に来てしまったし
職場では同じ部署ではなかったのに
なぜかそのお仲間とは
なくなった方のいる京都へ集まる会には招かれていて
私の思いだけが慕わしく思っていたので
故人のお身内には分からないつながりだろうし
友人からは
あの方は遠いからって
そう言うことだと思うのですが
知らないうちに亡くなられた
というのがこんなに寂しくてつらいとは思いませんでした。
知ってたってつらいですけれど
そういう思いを分かち合う人がいないのもつらいのです
現役を去られて既に5年経っていませんか?若い人ばかりになった職場からは連絡は多分有りませんね。
職場でのお友達の訃報は出来る限り来ない方が良いと思います。時間の節約の為に!
従ってご自分の葬儀は集まられたお友達のみで他はお知らせする必要は無いと愚考致します。
変な悩みに落ちないで楽しい「凧」の話が善きように感じています。
お師匠様は面白い凧を描かれていますね。色彩も美しいと思います。
またご訪問させて頂きます。
悟れませんわ
職場は関係ないのです
巨大な職場で
あちこち転勤していくところでしたから