遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

引き続き東京弁

2014-12-05 06:22:05 | ただの記事

田園調布という町は

私の子供のころはお屋敷町 という感じだったけれど

田園だから 元は農村で新しくできた街だった

東京が戦後復興していく過程でも

そういう近郊の町ができて

そこの住民は色々な方言で育った人たちだったと思う

山の手言葉という新しい方言を作ったのは

そういうおうちの奥方たち?

ざあます言葉なんか使って気取ったやつ!

と 父は ヘン!といってたが

父の育ったあたりの横浜弁にあるのよね

ジャン という語尾付け言葉

あれは 私が中学時代は 横浜から通っていた子が

流行らせた。

 

いろいろ話題になったの思い出した

小学校か中学校のころ

だから今から5,60年前

 

で 中学は田園調布だの自由が丘だの近かったせいで

友だちのうちは山の手言葉が飛び交う家なのかいな?

と思ったのを思い出した

 

友だちの家に遊びに行って階段をドタバタ足音をさせて降りたら

仰天されて

音を立てないでね って 顰蹙!という感じでびっくりしたことがあった

 

もっとも 音楽家一家だったから

音にうるさかったのかもしれないけれど

私が育ちが悪いだけかもしれない

 

言葉については 中学て初めてしっかり丁寧語だの敬語だの習うから

使いこなしたくなって

一生懸命になったということもある

こういうのは全国共通で

社会風潮に伴って 変異丁寧すぎる言葉が流行ったりするのだろうな

 

今は いやらしい わざとらしい おもてなしの流行のせいで

耳障り弁が流行ってるのだな

 

山の手言葉っていうけれどさ

山の手ってねえ 世田谷区 太田区は山の手じゃないよな

山の手線のもっと外側だものな

山の手線  私の幼少時の感じでは

確かに郊外電車って感じだったものな

池袋麦畑だったし

新宿

ここらは50年前までは広大な浄水場だったものな

 

かねやすまでは江戸のうち だからね

郊外だったわよこの辺 

 

松原の家の近くにも和田堀給水場という水道施設がある

ここの外壁(壁じゃないな高くないコンクリートの上にフェンス)

60年くらい前は 土手の上にフェンスだった

その土手には春になると つくしん坊がいっぱい顔を出すところだったのだ

 

そのころつくしが美味しいの知らなかったなあ

農薬も撒かれてなかったし

摘んで食べればよかった

 

 

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