遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

神田川 関連 私の川物語

2013-03-09 23:18:20 | ただの記事

ゆすらうめさんちで神田川が出てきて

いろいろ思いめぐらした

神田川と外堀と つながっているよね?

飯田橋のところで江戸川橋のほうに行くのが神田川だな?

この間はこの絵を外堀って書いたけど

どこまでを外堀っていうのかね?

神田川ね

これは昌平橋から描いた

御茶ノ水界隈 秋葉原界隈

思い出の多い人が多いのね

私もこの御茶ノ水界隈は近くの画塾に通ってたから懐かしい

この川を下ると浅草橋の先で

柳橋を経て隅田川に合流する

柳橋って見ると

ああ ここがよく小説に出るとこね

って思うわけだ

その界隈の問屋街

ナツサンのおなじみのところだ

私もおなじみ

その神田川

上流に向かっていくと江戸川橋というところがあって

早稲田のほうに抜けて遡れる

そのほとりには高校二年生の時通った画塾があって

そこの後進の画塾?予備校?になったところに

息子は通っていたのだ

ところで

私が初めて本格的っぽく職に就いたところの近くに

千川通りというのがある

太陽のない町 で有名なところだ

その千川というのはかつてはよく氾濫したというのだが

私に縁が出来たころは

すっかり暗渠になっていた

その千川はさかのぼると 義姉たちの住む練馬区を通る

道の名前に残っているのだ でも水は見たことない そこも暗渠

千川というのは千川上水らしく

名前はいろいろ残っているけれど

ほとんどが 暗渠になっている

しかし上流は水辺がある

かつて私たちは私の主治医の家を借りて住んでいた

その練馬区の家は(吉祥寺のちょっと北)

この千川上水のほとんどほとりにある

その周りはムクの散歩コースだった

この子はこの家で17歳で

娘にみとられて亡くなった

え~~ん ムクゥ

上水というのは有名なのが玉川上水だけれど

私は玉川上水の近くで育った

そこに引っ越していったのが昭和24年でその前の年に

玉川上水(我が家よりかなり上流だけど)で太宰治が

入水自殺(愛人と心中)した

この事件はかなり衝撃的だったらしく

私は小学校に入る直前の小さい子だったのに

その話は

母から聞いた

小さい子に聞かせる話か?

と思ったけど ゥへえ!?と思った気持ちが強かったんだろうねえ

わたしに話した口調まで覚えているよ

母は ふしだらだ と思ったようだよ

憤激していたようだった

男ってなんて馬鹿な動物だ 的な話し方だった

太宰治 やたら愛人と心中する人だったのね

そんな話ねえ

小さい子 侮るべからずだ

分かんないと思って 一人ごちたんだろう

しかし どうやら松原辺りのこれも今は暗渠になっているようだ

後に 学生時代は この上水のうんと上流

よく散歩した

いいところだ

さらに上流に行くと

羽村の取水所にたどり着くのだが

その界隈で働いたこともある

多摩川の上流なのだよ

もっと上流

小河内ダムのあたり

あそこができたのは

私が小学生の時で

何でだろうね 親父さんは好きでよく連れて行ってくれた

だから

私は小河内ダムができる過程を見ているのだよ

私が若造のころ

家出中 一人暮らしは

多摩川の下流

矢口の渡し(矢切の渡しじゃないよ)のそばに住んでいた

こうやって考えると

都内はすべて水辺に絡めて語れるな

私が生まれたのは隅田川近く小名木川の近くだろうよ

小名木川も小説によく出る

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