地震の後一年2か月以上が過ぎて
だんだん感覚がマヒしてきている
私にしても
この茨城から去るという選択肢はないわけだし
人々の多くはそこで暮らしている
傍で見ていると
大変な汚染の地区で暮らす人々は
そのことを考えるだけで
ノイローゼになっちゃう という面もあり
安心できることを探して自分を納得させる
というのが 本当のところだと思う
私だって
筑西市のタケノコから放射能は出なかったという一つのデータだけ
それで
タケノコはいいことにして
食べている
山菜は いやな気持はあるけれど
タマだし 私たち老人だし
いいや と食べている
高をくくって あの地震が来て原発は爆発
高をくくって 竜巻が来て
それでも懲りずに高をくくって生きていく
そういう風にできているなと思う
考えてみると福島の原発の実情なんか
分かってないのだし
えらいことになったとしても
去年の3月15,16日が恐ろしいということも知らずで歩いていたのと同じ
無知な状態だ
それでも防災ということについて 知恵はつけて行かないとな
とは思う
今死んだとしても年寄の場合
人生50年というのはすぐ近くの話だったのだから いいけどさ
火砕流 速攻逃げろ
津波てんでんこ一目散に高いところへ
竜巻 可能な限り頑丈な建物に逃げ込む ガラスの破片から身を守る
放射能 食べ物と 粉じんに気を付ける
とか
文化として伝えて行かないと
それにしてもこうやって麻痺していって
戦争でいっぱい死んだんだな
原発も竜巻も日常の困難も忘れてはいないが麻痺していくことも大切なことだと思います。怯えてばかりいたら生きていけないし、生きられる範囲で頑張るしかないよね。
結局行って
またまた25分水中歩行やってました
ホント 無事でよかったです
杖を車の中に忘れたのでとってこようか?というと
いい
といい
手を引こうとしたら 振り払われた
この気の強さがいいのですな
おびえてもなんの役にも立たないのでね
と言いつつ
地震のあの時の揺れは
やっぱりフラッシュバックするのよね
この頃揺れが減って助かるけど