遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

災害ボランティア

2011-03-22 04:42:26 | ただの記事

バジルさんの記事からの引用です

彼女のお知り合いからのメールだそうです

 

被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ

     ~僕の浅はかな経験談~

阪神大震災が起きたとき、僕は高校3年生で、しかも

センター試験の翌日だった。

遠くから沢山のトラックが走ってぃるような、不気味な音が

夢うつつに聞こえ、気がつくと家全体が揺れていた。

父親にたたき起こされて玄関を開け、ガスを閉めてテレビを

つけると、阪神高速が倒壊していた。

家が揺れた恐怖と、テレビの実感の無さと、街中の静けさが

記憶に残っている。

     

その日は登校してセンター試験の自己採点を行い、二次試験の

ための面談をしなければならなかった。

僕は迷ったが、結局自転車で出発した。大阪城の掘から水が

溢れだしていた。    

学校に着くと全てがいつもどおりで、来ていない生徒もいたが、

先生は特に何も言わなかった。

粛々と自己採点し、粛々と面談が行われた。僕たちの仲間に

三宮と西宮に住んでいる友人がいたのだが、さすがに登校は

していなかった。昼休みに仲間3人で、二次試験が終わったら

ボランティアに行こうと話をしていた。

    

下校時刻になって、担任の物理教師がおもむろに話だした。

「今回の震災で我が校の教師や生徒も被災者となり、登校

できない人がいます。センター試験が終わり、受験生としての

役目を終えた人もいると思います。

あなた方の中には、正義感や義侠心に駆られて現地に乗り込む

人もいるでしょう。それは、間違ったことではありません。

正直に言えば、あなた方が役にたつことはありません。

それでも何かの役に立ちたいという人は、これから言う事を

よく聞いてください。

    

まず食料は持って行き、無くなったら帰ってくること。被災地の

食料に手を出してはいけません。

寝袋・テントを持っていくこと。乾いた床は被災者のものです。

あなたがたが寝てはいけません。

作業員として登録したら、仕事の内容がどうであれ拒否しては

いけません。

集団作業において途中離脱ほど邪魔なものはないからです。

    

以上の事が守れるのであれば、君たちはなんの技術もありません

が、若く、優秀で力があります。

少しでも役にたつことがあるかもしれません。

    

ただ、私としては 今は現地に行かず受験に集中し、

大学で専門的な知識や技術を身につけて、10年後20年後の

災害を防ぐ人材になって欲しいと思います。」

言葉の端々はは忘れましたが、教師が言いたかったことは今でも

はっきり憶えている。

    

結局、僕たちは、物理教師の言ったとおり、なんの役にも

立たなかった。配給のパンを配ったり、お年寄りの移動に

付き添ったり、避難所の廻りを掃除したり、雑用をさせてもらったが、

持っていった食料は5日で尽きた。風呂には入らなかったが、

防犯上困るということで、避難所のなかで寝た。

   

生活のインフラ整備や瓦礫撤去などは消防や自衛隊が 

あ然とするぐらい力強く、迅速に問題を解決していった。

僕たちの存在は 宙に浮き 遊び半分で来たボランティア

ごっこのガキ扱いをされていた。

実際手ぶらで現地に入って、汚い仕事を嫌がるような若者は

たくさんいたし、そいうグループと僕たちが能力的に大きな差が

あったかというと、とてもそうとはいえなかった。

      

僕たちが強く現地で学んだことは「何かして欲しい人」がいて

「何かしてあげたい人」がいても、事態は何も前進しないということ

だった。人が動くためには「人を動かす人」が必ず必要になる。

社会人なら常識として知っている事さえ、僕たちは知らなかった。

    

僕たちは現実に打ちひしがれて現地を離れ、浪人をへて

京都大学生になった。そして被災地への情熱も無くなっていった。

結果的に、ハリボテだったのだ。

正直に告白し、反省する。僕たちは神戸への気持ちを、

たった一年間も持続させる事さえ出来なかった。

    

今回の震災で、被災した人の役に立ちたい、被災地のために何かを

したい、と感じている若い人達がたくさんいると思う。

でも慌てないでほしい。今、あなた方が現地で出来ることは、

何ひとつ無い。現地に存在すること自体が邪魔なのだ。

今は募金と献血ぐらいしかないだろう。それでも立派な貢献だ。

胸を張って活動してほしい。そして、是非その気持ちを一年間

持ちつづけて欲しい。もしも一年経って、あなたにまだその情熱が

残っているのなら、活躍出来るチャンスが見えてくるはずだ。

仮説住宅でのケアや被災者の心の病、生活の手助けなど、

震災直後よりも深刻な問題を解決するために、NPOなどが

立ち上がるだろう。その時に初めて、被災地は「何も出来ない

けど何かの役に立ちたいと思っている、心優しいあなた」を

必要とするのだ。もしかするとそれが、あなたの一生を変える

大きなきっかけになるかもしれない。

     

結局僕は紆余曲折を経てGISの技術者になり、専門分野は

違っていても、多少なりとも防災の分野に寄与できる立場に

辿り着いた。

あの頃よりも、少しは人の役にたてるように 

なったんじゃないかと考えている。

 

私も愚かな母親で

個展のために仕事を離れた息子に

次の展覧会の絵が終わったら

コメしょって寝袋しょって手伝いに行けば?

なんて言って

そういうことをしても今は迷惑なだけだ

いろいろ説明された

 

そういうことか

 

やっぱりなるべく倹約してお金を出すのが一番だな

そしてまた大きな余震が来ても

物がひっくり返らないように

ちゃんと片づけることだな

 

 

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